ったが、さあらぬ態で微笑にほぐらかし、そこから中庭を横切って、散りかかる桜花《はな》の下道を背戸へまわって二階建ての母屋《おもや》、焼きつくような饗庭の視線を絶えず首筋に意識しながら、ここが奥座敷と思われるあたりへ出た。
 ずらりと閉《たて》切った縁側の雨戸に、白っぽい日光が踊っている。
「どこかはいれるところがあるだろう。安、あけてみな」
 文次のさしずに、安兵衛はさっそく、戸袋に近い一枚へ手をかけて、どうもしようのない剽軽《ひょうきん》者だ。
「ちょっと切り戸をあけてんかいな、あけてんか、お隣さん、もし、お内かお宿か、おるすさんかいなあ。いぬのにとんとん[#「とんとん」に傍点]とたたいても、ええ、ほんにじれったいではないかいな」
 唄に合わせてがたぴし[#「がたぴし」に傍点]やっている。のんきな奴だ。
 やっとのことで、どうやら、横にはいれそうなすきまができる。
 そこから上がり込んだ。
 明るい戸外から来た眼が、しばらくすっかりくらんで、黒闇《やみ》に慣れるまでにかなりのまがある。
 ほこりのにおいがむっ[#「むっ」に傍点]と鼻を打つ。
 水のようにひえびえとした空気に、板戸の継ぎ目や節穴をもれる陽が射しこんで、玄妙な明暗の縞《しま》を織り出していた。
 内部から桟をはずして、順ぐりに雨戸を繰ると、さながらどっ[#「どっ」に傍点]と音を立てて、この家にも、はじめて春が流れ込んだ。
 さすが饗庭邸と同じ建築《つくり》だけあって、いかさま、これなら数百石のお旗下が住んでも恥ずかしくない屋敷だ。欄間《らんま》といい、床の間、建て具、なかなかどうして金をくっている。
 何の間、かにの間とそれぞれ用途によって名があるのであろう。広やかな座敷がいくつもならんでしいん[#「しいん」に傍点]と墓場のよう、きのう人のいたけはいなぞはみじん[#「みじん」に傍点]もない。
 中廊下の取っつきの梯子段《はしごだん》の裾《すそ》が見える。
 襖《ふすま》のかげや小暗い隅へ気を配りながら、二人は階段を踏んで二階へ上がった。
 真の暗《やみ》。
 縁のほうへ手探り寄って、戸をあける。
 外光に照らし出された十畳の間、三方唐紙に閉ざされている。
 何気なく足を入れた。
 と、その真ん中に置いてある一つの物。
 鎧!
 黒革《くろかわ》張りに真鍮《しんちゅう》の鋲《びょう》を乱れ打ちに打った、津賀閑山が騒ぎまわっている、あの鎧櫃だ!
 これだっ!
 あった、あった!
 と見るや、文次よりも安兵衛があわてた。ころがるように走りよって、
「親分、骨を折らせやがったが、これでげしょう? あけやしょうか」
 手は早くも蓋《ふた》にかかっている。
 そのそばに、文次はのっそり[#「のっそり」に傍点]と立った。ごくりと唾を飲んで、眼であいずをすると、錠はこわれているから、安の手で難なく蓋が持ち上がった。
 思ったとおり、も抜けの穀だ。
 が、底に、何やら光った物が落ちている。
「何だい、これあ」
 安から受け取って、文次が掌《て》に置いて見ているうちに――、
 はてな――という面もち、
「お、これは――」
 といおうとすると、くす、くすくす、くす、どこかで人の忍び笑いがする。
 はっ[#「はっ」に傍点]として身を引くとたん、
「おい」
 突き刺すような一言、ひしがれたかれ声が耳の近くで。
 文次と安、思わず眼を見合う、二人のほか誰ひとりいないこの部屋である。
「おい」
 またしても声だ。が、どこからするのか見当が立たない。
 隣室《となり》からか、天井裏からか。
 いや、声だけが眼の前の空にただよっているのだ。
「いけねえ!」
 つぶやいた文次、安を促してあとずさりしようにも、これが不動金縛りというのか、足がくぎづけになって身動きが取れない。
「動くな、逃げようとて逃がしはせぬぞ」
 どこからか見ているものとみえて、声は静かにつづける。
「そのほうども何用あって参った。いやさ、誰に頼まれて当屋敷へ踏み込みおった?」
 ひしひしとあたりに人体の気を感ずる。四方八方から眼が光っているようだ。迫る鬼気《きき》に呼吸《いき》がかたまって、二人はもう額に汗をかいている。
 そこへ、一枚あけ放した戸から、風とともに吹き込むおびただしい桜の花びら――花ふぶきだ。
 さらさら[#「さらさら」に傍点]と生あるごとく、畳をなでている。
 散る花の命。
 文次は手を握りしめた。
 二寸、三寸、五寸、むこうの襖が、すべるようにきしむように、見えぬ手によってあきつつある――。

   青山夢に入ってしきりなり

「また、春じゃのう」
 相良玄鶯院《さがらげんおういん》は、熊手を休めて腰をたたいた。ついでに鼠甲斐絹《ねずみかいき》の袖無着《ちゃんちゃんこ》の背を伸ばして、空を仰ぐ。刷毛《はけ》
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