か》い小さな花が、幻のようにぽっかり咲いている。人間に根をおろして花を咲かす草。
まことに怪しい話。
それが役人ばかりでなく、講武所雇いの御用浪人から町方の眼明かしまで赤い花のために続々|殺《や》られるに及んでは、何者かはしれないが、この植物を流用する者の目的は知れた。
幕府方への欝憤《うっぷん》と復讐《ふくしゅう》!
小額付《こびたいづけ》に一文字の大髷《おおまげ》、打割《ぶっさき》羽織に小倉《こくら》の袴《はかま》、白柄朱鞘《しろつかしゅざや》の大小を閂《かんぬき》のように差しそらせて、鉄扇片手に朴歯《ほうば》の下駄《げた》を踏み鳴らしてまわるいかつい[#「いかつい」に傍点]豪傑が、まるで順番のようにばったばった[#「ばったばった」に傍点]と他愛なく死《まい》る。
死に花を咲かせた、などと洒落ている場合ではない。
本八丁堀屋根屋|新道《しんみち》、隠密《おんみつ》まわり税所邦之助《さいしょくにのすけ》の役宅へ呼ばれて、この花の一件をしかとおおせつかったいろは屋文次、かしこまりましたと立派にお受けして引きさがりはしたものの、てんで目ぐしというものが立たない。
それから三日。このとおりふさぎこんで、今日も朝から酒。
が、何かしら考えるところはあるのだろう。
つ[#「つ」に傍点]と顔を上げると、そこに行儀よく控《ひか》えている男を見て、にっこり笑った。
御免安《ごめんやす》で通っている乾分《こぶん》の安兵衛《やすべえ》である。
こいつどこかで見た顔――そうだ、あの昨日の仲間奴。今日は穀屋の若旦那というこしらえで、すっかり灰汁《あく》が抜けてはいるが紛れもない、女にまかれた彼《やつ》である。
下町もちょいと横丁へはいると、こう静かになる。
「まあ、ひどいほこりだよ」
姉のおこよがせっせ[#「せっせ」に傍点]と店先へ水を打っている。
そもそも何であんなでたらめのかまをかけて女をつけたのかわからないが、逃げられたのがくやしいか、昨日は一日あちこち歩いたとばかりで、安兵衛、女のことはおくびにも出さずにいる。
そのうちに格別話もないとみえて、名前のとおりに、
「ごめんやす」
とお尻《しり》を上げて、安兵衛は帰って行った。
文次は相変わらずちびりちびりと杯を重ねている。
小半時たった。
おもてで何か話しているおこよの声がして、
「ええ、おりますよ」というのが聞こえる。
はてな、誰だろう――。
と思っていると、おこよが顔を出して、
「津賀とかっていう人が来たよ、お爺さんの」
「津賀? 知らねえな。ま、通してくんねえ」
手早くそこらを片づけながら、文次ははいって来る男を見た。
連雀町の湯灌場買い、例の津賀閑山で、閑山は閑山だが、これはまたおそろしくしょげ返った閑山である。蒼《あお》い顔に眉根《まゆね》を寄せて、今にもべそ[#「べそ」に傍点]をかきそうなようす。いったいどうしたということだろう。
「お初に――」挨拶《あいさつ》がすむとすぐ、閑山は、早瀬の堰《せき》がとれたように一気にしゃべり出した。
かれの話はこうである。
昨日、飯たきの久七という者に車をひかせて、商売用の大切な品を入れた鎧櫃《よろいびつ》と、お得意へ届ける九谷焼きの花瓶とを持たして出した。
花瓶は妻恋坂の旗下《はたもと》饗庭様のお邸へ、鎧櫃は向島関屋の里の自分の寮へ。
ところが、ゆうべ向島へ行って見ると、座敷の真中に花瓶が一つころがっているから、閑山驚いた、急いで駕籠を飛ばして店へ引っ返すと、ちょうど久七も帰っていたが案の条、喰《くら》い酔っていて、さっぱり要領を得ない。押したりゆすぶったりして、やっとのことで訊《き》きただしてみると、いやはや、とんだ間違いをしたものだ!
久七め、鎧櫃を妻恋坂のお屋敷へ渡しちまって、花瓶を向島へ持って行ったという。
もちろん、最初妻恋坂へ寄るつもりで、明神下へさしかかったところが、一軒の縄暖簾が眼についた。好きな道。す通りはできない。どうせ帰りは夜になる、使い先だが、まあ一杯ぐらいはよかろうとはいりこんだのが、ついに二杯三杯と腰がすわって、久七すっかりいい気持ちになってしまった。
で、品物をあべこべ[#「あべこべ」に傍点]に届けたのだ。
さあ、驚きあわてた閑山、しかってみたところでおっつかない。朝になるのを待ちかね、自身妻恋坂へ出かけてゆうべの粗忽《そこつ》を謝し、あらためて花瓶を渡して、さて、鎧櫃を下し置かれましょうと申し入れると、
鎧櫃! そんな物は知らぬ。さらに受け取った覚えがない。
――というきつい挨拶。頭からかみつくようにどなられて、閑山すごすご[#「すごすご」に傍点]と引き取って来た。
しかし、酒こそ呑《の》むが、久七は長年勤めた忠義者、まさかに嘘《うそ》をついてい
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