よくない古道具屋の店だ。湯灌場者は死人の手汚《てあか》で黒ずんでいるし、ほかの古物も、長らく人間の喜怒哀楽を見て来ているようで、そこらの品の一つ一つが一廉《ひとかど》の因縁を蔵しているらしく思われる。そとの風がさっ[#「さっ」に傍点]と流れこんで行燈の灯をあおり立てたとき、壁の自分の影が大きくゆらいだのを見て、文次は何がなしにどきり[#「どきり」に傍点]――胸を突かれる思いがした。
店のむこうが茶の間、話し声はそこからもれるのだ。なんとなく、あたりをかきまわす物音もするようである。
文次は店を見まわした。灯の届かない隅々に闇黒がわだかまっているばかり、ここには異変は認められない。
――呼んでみようか?
と文次が声を出そうとしたとたん、
「ばかを申せ。あるやつが取られるのはあたりまえだ。それに、拙者らといえども私慾のための盗みではないぞ、国事だ。公用の資金だ。わかったか。わかったらこぼすな、こぼすな。おとなしくしておれば生命《いのち》まで所望だとはいわぬ」
しゃがれた低声《こごえ》、ゆうゆうと風呂敷《ふろしき》包みでもしばりながらの御托《ごたく》らしい。
やはり! そうだ!
強盗だ!
不意打ちに飛び込んでやろう。機先を制するのがこのさい一番の上策。
「畜生、ふざけたまねをしやがって!」
つぶやきながら、文次が上がり框《かまち》に足をかけた刹那《せつな》、
「えいっ!」
肝腑《かんぷ》に徹する霜のような気合い、殺刀風を起こして土間の一隅から?
白刃――体当たりでとび出した者がある。
むろん賊の一人が見張りしていたのだろう。
腕が延び過ぎて、刀は文次の背後へ走り、二つのからだがもろにぶつかった。
「てえっ!」
と文次、きき腕取ってひた[#「ひた」に傍点]押しに押しかかる。敵には長刀《どす》がある。離れればばっさり[#「ばっさり」に傍点]だ。
「何だ? 手前は」
返事はない、無言。無言で、取られた腕を引きもどしたから、文次はつられて前へよろめく。ところを賊のやつ、一間ほどうしろとびにすっ[#「すっ」に傍点]とんで、三尺の閃光《せんこう》、瞬間正眼に直したと見るや、
「往生しろ!」
と一声、ぎらりかざした氷剣を拝み撃ちに来た。何のことはない。薪《まき》割りの秘伝だ。できる――といえば、できる。が、冴えないといえば野暮なさばきだ。
文次は真っ二つ! と思いきや、どっこい! 賊の刀は上がり口の板をかんで、余勢がざあっ[#「ざあっ」に傍点]! と畳を切り開いたばかり。
文次のからだはもう奥との通路の暖簾口にあった。と、そこに、覆面の黒装束が立っている。ふところ手だ。
ぴたっ[#「ぴたっ」に傍点]! 顔と顔、文次と侍、しばしにらみ合いの体だ。文次のうしろには、一刀を取り構えた見張りの賊が、退路を断って凝然動かない。蒼白い文次の顔、そいつがにっこり[#「にっこり」に傍点]した。
「津賀閑山に用があって参りました者。そこをお通しください」
「閑山はおらぬ、用とは何だ」
「閑山はおらぬ? そんなわけはありませぬ。要談の約がありますゆえ、待っておりますはずで――」
「黙れ! おらんからおらんと申す。それともはいって、自身が見届けねば得心せぬというのか」
「閑山に会って話があります」
「閑山に会っても話はできんぞ」
「どうしてですね?」
「そのわけか。うん、見せてやる。こうだ!」
つ[#「つ」に傍点]と侍が身をどかすと、狭い一間の行燈のそばに、閑山と飯たき久七、二人ともぎりぎり[#「ぎりぎり」に傍点]にしばり上げられて、おまけに猿轡《さるぐつわ》をかまされてころがっている。河岸《かし》へ鮪《まぐろ》が着いたようで、あんまりほめた景色《けしき》じゃない。
文次は笑い出した。
「おやんなさったね、お侍さん」
「わかったか」と覆面の侍げらげらと咽喉《のど》を鳴らした。文次には記憶《おぼえ》のある、小癪《こしゃく》にさわる音声だ。
「どうだわかったか」
「わかりました」
いいながら、文次、ちら[#「ちら」に傍点]と店の賊へ眼をやって、
「わかりましたよ、内藤さん、ずいぶんあばれますねえ」
「な、何だと? 内藤? 内藤とは何だ?」
「内藤とは内藤、内藤伊織だ。はっはっは、妻恋坂殿様の御用人、あんまり性《たち》のよくねえ赤鰯《あかいわし》さ。はっはっはは」
「ぷうっ! おのれ! 汝《なんじ》はここの手代だな」
「汝は、と来たね。だがね内藤の旦那、あっしあ手先だよ」
「なに、手先?」
「さよう、十手をいただいてるんだ。へっへっへ、いやな商売、どうせ畳の上じゃあ死にませんね」
この文次のことばが、終わるかおわらないかに、たあっ――! と飛びすさった猫侍内藤伊織、にやり[#「にやり」に傍点]と笑って、店にいる抜刀へ声をかけた。
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