にまわるのを食い止めたのでどうやら助かるらしいとの見込みだ。
 ここで文次ははじめて死に花の現物を手にとって見たわけだが、なるほど、小さいくせにまことにいやなにおいがして息が詰まるようだ。
 邦之助が正気づくのを待っていろいろきいてみたが、数寄屋橋詰めで水戸の篁守人にあってすれ違ったからおおかたそのときに附けられたのだろうというが、篁守人という名だけは危険人物として聞いたことがあるが、文次は顔を知らない。方来居の居候《いそうろう》だといったところで、証拠のない今となってはやたらに踏み込んで行くわけにもゆかない。
 とにかく、文次も安も二、三日税所方に寝泊まりしてその後のようすを見ることにした。
 すると、あくる朝からへん[#「へん」に傍点]なやつが家の前をうろつき出した。へらへら平兵衛である。果たして守人の嗜人草によって邦之助が死んだかどうか、それを見届けに来たものだろうが、どうも生きているらしいから、平兵衛帰宅してその旨を告げた。
 さては仕損じたかと守人はがっかりした。同時に、今夜こそはどうしてもしとめてやろうと夜がふけるのを待って、守人は再び単身税所の役宅へやってきた。そうして、庭へはいりこみ、邦之助の寝ている部屋の雨戸のすきまからそっ[#「そっ」に傍点]と嗜人草を放しておき急ぎ帰途についたが、かねてこういうこともあろうかと邸内を警戒していた文次と安の眼にふれた。
「あ! あれは野田屋に逃げこんだ侍《さむれえ》だ!」
「それ! あとをつけろ!」文次と安、影をえらんで守人のあとをつける。と、守人は途中から道を変えた。
 見ると、守人の前を一人の侍が歩いてゆく。
 遊佐銀二郎だ! 守人は途中で銀二郎を見かけて、先方が気がつかないのを幸い、急にそのあとをつけ出したのである。が、自分が二人の岡っ引きに尾行されているとは知らない。
 三つの尾行の雁行《がんこう》がはじまった。
 守人は銀二郎のあとを、文次と安は守人のあとをつけて、四人の黒い影が淡い月光を踏んで行く。
 銀二郎は酔っていた。一高一低、調子の定まらぬ足を湯島のほうへ運んでいる。どうやら妻恋坂の饗庭の邸、あるいは影屋敷をさして行くものらしい。と、連雀町の裏通り津賀閑山の古道具屋の前へかかると、中に灯がともって大戸があいている。
 安に守人をまかせて、先へやっておいて、通りすがりに何げなく店先をのぞいたいろは屋文次、思わずあっと叫んだ。


    うばたま組


   こころ二つにからだは一つ

 津賀閑山の古道具店、おもての大戸の一枚が一尺ほど引きあけられて、赤っぽいもれ燈《び》がぼんやり往来を照らしているんだが、通りがかりに何げなくのぞいた文次は、そのままぴったりそこへとまってしまった。
 闇黒《やみ》をすかしてゆく手に道を見ると、守人であろう、黒い影がすべるように進んでゆく。守人は遊佐銀二郎をつけているのだから、こっちのほうも逃がしてはならぬ。といって、閑山の家の中も――ただならぬようす。
 こころ二つにからだは一つとは全くここのことだ。文次はぐい[#「ぐい」に傍点]と御免安兵衛の腕を握って、見失わないように守人の跡へ瞳《め》を凝らしながら、
「安!」と耳打ち、「お前はどこまでもあのあとをつけて行け、饗庭の邸へ行くらしいが、何が起こっても俺が行くまで手を出すな」
「あい、承知しやした。して、親分は?」
「俺あちょっとこの閑山とこへ寄って行く」
「閑山とこへ? 戸があいてますね」
「うむ、押し込みらしいんだ」
「え! 押し込み※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「まあ、いいってことよ。こっちは俺にまかしとけ、早く行かねえと見えなくなる」
「うん。そうだった。じゃあ親分――」
「気をつけてな」
 安の姿は、返辞とともにもう闇黒に呑まれていた。守人は銀二郎を、御免安は守人を、二組の尾行がもつれもつれて、こうして神田を出はずれて行った。
 あとに残った文次、そっと戸口にたたずんで家内《なか》の気配をうかがうと――、
 さながら仏事でも行なっているように、灯《あかり》がかんかん[#「かんかん」に傍点]ついて、人声がする。
 この夜ふけだ!
 しかも怪しいのはそれのみではない。呼吸《いき》を凝らしている文次の耳へ、陰深たる寂寞《せきばく》[#ルビの「せきばく」は底本では「せばく」]を破って、かすかに聞こえてくるのは、かの猫侍は内藤伊織のじゃらじゃら声ではないか。
「よし来た、一つ見届けてやれ」
 きっ[#「きっ」に傍点]と胸に決した文次は、手早く履物《はきもの》を脱いで、くるくると手ぬぐいで巻いて懐中すると同時に、跫音《あしおと》を盗んではいりこんだ。うす気味悪くしん[#「しん」に傍点]としている。
 店頭《みせさき》に行燈《あんどん》が一つ。
 昼間でさえ、あまり気持ちの
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