しい、こんな抹香《まっこう》臭いあいづちを打ったりした。そして、思い出したように、
「あんたはどこのお人かな? 失礼だが、素人《しろうと》衆とは見えんようだが」
 女はやにわに突っ立った。
「そうかしらねえ、ほほほほほ」
 別人のようにいきいきしだして、ちら[#「ちら」に傍点]と戸外へ眼をやってから、
「さ、あたしもこうしちゃいられないよ。あの鎧櫃はいくらなのさ」
 八両、と閑山が吹っ掛けると、女はぐっ[#「ぐっ」に傍点]と前へこごんで、すごいほど透んだ低声《こごえ》で、
「お爺つぁん、黙ってあたしのいうとおりにしておくれ。いいかい。鎧櫃をここへおろして、あたしを入れてふたをおし」
 こいつあいよいよ桁《けた》がはずれているわい――逆らわぬに限ると閑山、鎧櫃を戸外《そと》から見えない土間の隅《すみ》へすえた。そうしておいて、試みに代金を請求してみると、今上げるからちょっと場をはずしてくれという女の註文《ちゅうもん》。
 閑山は奥へはいって行った、と見せかけて、屏風《びょうぶ》のかげから女をうかがっている。
 知るや知らずや、壁のほうを向いた女、手早く袷のまえをひろげて、帯の下、お腹のあたりを探りはじめる――。
 ちょうどその前面《まえ》に、大鏡が立て掛けてあるからたまらない。閑山老人、見てはならないところをことごとく見てしまった。そそくさと眼鏡を直して、鏡の中の白いまどらかな線に、からだじゅうの神経を吸い取られている閑山、いい図ではないが、本人は魂ここにあらずだ。
 やがてのことに女は、肌膚《はだ》に着けた絎紐《くけひも》をほどくと、燃えるような真紅の扱帯《しごき》が袋に縫ってあって、蛇《へび》が蛙《かえる》を呑《の》んだように真ん中がふくれている。
 ざく、ざく、ざく、と山吹《やまぶき》色の音。
 豪気な額《たか》だ――金座方でもなければ手にすることもなさそうな鋳《ふ》きたての小判で、ざっと五百両!
「こ、この女が五百金! はてな」
 と小首をひねると、色から欲へ、閑山ずん[#「ずん」に傍点]と鞍《くら》がえをした。
 いるだけ抜いてもとのとおりにあとをしまい、衣紋《えもん》をつくろい終わって女が呼ぶ。
「佐渡の土さ。落とすとちりん[#「ちりん」に傍点]となくやつだよ」
 閑山はふらふら[#「ふらふら」に傍点]として現われた。
 白痴《ばか》か茶番か、女は自分で今買い取った鎧櫃の覆《ふた》をあけて、裾を押えてはいり込もうとしている。
 ほんとにこの中へこもる気!
 閑山は真剣にまごつき出した。と、思い当たったのがさっき顔を見せた仲間奴のこと。
 識《し》っている! あの男なら記憶《おぼえ》がある。
 なぜ早くここへ気がつかなかったろう?
 この女は捕吏《とりて》に追われているのだ!
「そうだっ」
 とこの考えがぴいん[#「ぴいん」に傍点]と頭へ来ると同時に、別のたくらみが白雨雲《ゆうだちぐも》のように閑山の胸にわく。
 このからだとこの金、これだけの代物《しろもの》と五百両、誰に渡してなろうか――。
「お爺つぁん、覆《ふた》しておくれよ」
 女の声で閑山はわれに返った。
「よし。が、どこへ届けてやろう?」
「どこでもいいよ。どこか遠くへ持ってっておくれ」
「遠くへ?」
「ああ、面白いところへさ」
「ふうむ」
「あれさ、冗談だよ。本所《ほんじょ》石原新町《いしはらしんまち》の牛の御前のお旅所へ届けておくれな。これから行けば夜になるから、木立ちのかげへでもほうり出しさ。あたしゃあそこの割り下水に化けて出たい殿御があるの」
「承知した。うちの飯たきにひかせてやるのだから、怪しまれんように声を立てなさんな」
 女は櫃の中で膝を抱いた。
「伊達緒《だてお》だけ掛けたように見せて錠は下ろさないでおくれねえ。出られないと事だから」
「窮屈だろうが、すこしのしんぼうだ」
「おとっつぁん、お前のなさけは忘れないよ」
「なんの」
 ばたん、と覆をおろすと、にっ[#「にっ」に傍点]と笑った閑山、音のしないように伊達緒をぎりぎりに締めつけてそっと鍵《かぎ》をかけた。
 軽く外からたたいてみる。
「居心地は、どうだ?」
 というこころ、内部《なか》はいっぱいだから動けないし、何かいうのも聞こえない。
 しめしめ!
 すぐに向島の自分の寮へ運ばせておいて、あとから行ってしっぽり[#「しっぽり」に傍点]楽しんでやろう。さっき鏡で見た女の膚が、まざまざと閑山の眼へ返って来た。
 それに、あの五百両。
 あれも筋を洗えば、この女のことだ。案外話がわかるかもしれぬ。何しろ、可愛いのに痛い目を見せたくはないからな。しかし、出ようによっては――、
「久七《きゅうしち》、久七」
 閑山は声高《こわだか》にたった一人の下男を呼んだ。出て来た久七、酒好きだが愚鈍実直な男
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