「お爺つぁんは?」
「知らいでか!」
「じゃあ、それでいいじゃないの」とほがらかに笑って女はいきなり閑山の背後を指さした。
「あれ売っておくれよ、あたしにさ」

   お釈迦《しやか》さまでも気がつくまい

 新仏《にいぼとけ》といっしょに檀家《だんか》から菩提寺《ぼだいじ》へ納めてくるいろいろの品物には、故人が生前|愛玩《あいがん》していたとか、理由《わけ》があって自家《うち》には置けないとか、とにかく、あまりありがたくない因縁ものがすくなくない。
 ところで、これを受け取った寺方では、何もかもそう残らず保存しておいたのでは、早い話がたちまち置き場にも困ることになるから、古いところから順に売り払って、これがお寺の所得になり寒夜の般若湯《はんにゃとう》に化けたり獣肉鍋《ももんじゃなべ》に早変わりしたりする。そこはよくしたもので、各寺々にはそれぞれ湯灌場買いという屑屋《くずや》と古道具屋を兼ねたような者が出入りをして、こういう払い物を安価《やす》く引き取る。
 商売往来にもない稼業だが、この湯灌場買いというものはたいそう利益のあった傍道《わきみち》で、寺のほうでは無代《ただ》でも持って行ってもらいたいくらいなんだから、いくらか置けばよろこんで下げてくれる。二両二分出した物が捨て売りにしても三十両、こういうばか儲けはざら[#「ざら」に傍点]にあったというから、こりゃお寺方の払い物を扱っちゃあ忘れられないわけだ。
 したがって、何でもその道にはいればむずかしい約束があるとおり、湯灌場買いにも縄張り付きの株があって、誰でもかけ出して取っつけるという筋あいのものではない。また、湯灌場物のなかから掘りだしをつかむには、それ相応の鑑識《め》が要《い》って、じっさい、湯灌場でうまい飯が食って行ければ、古手屋仲間ではまず押しも押されもしない巧者とされていた。
 江戸の東北、向島《むこうじま》浅草から谷中《やなか》根岸《ねぎし》へかけて寺が多い。その上どころの湯灌場買いを一手に引き受けて、ほっくりもうけているのが神田|連雀町《れんじゃくちょう》のお古屋津賀閑山。由緒《よし》ある者の果てであろうことは、刀剣類に眼が肥えているのでも知れるし、茶筌髪《ちゃせんがみ》のせいか、槍はさびても名はさびぬ、そういったような風格が閑山のどこかに漂っている。めっきり小金をため込んで、なかなか福々しい老爺っぷりだ。
 独身《ひとりみ》の女ぎらい、なんかと納まってみたところで、今こうして女の白い顔をながめて眼尻に皺を寄せているところ、おやじまんざらでもないらしい。
 湯灌場物が主だが、場所柄お顧客《とくい》にはお屋敷が多いから、主人《あるじ》の好みも見せて、店にはかなり古雅なものがならべてある。刀、小道具、脇息《きょうそく》、仏壇、おのおのに風流顔だ。
 正面、奥とのさかいに銀いぶし六枚折りの大屏風《おおびょうぶ》、前に花梨《かりん》の台、上に鎧櫃《よろいびつ》が飾ってある。黒革《くろかわ》張りに錠前《じょうまえ》角当ての金具が光って、定紋のあったとおぼしき皮の表衣《おもて》はけずってあるが、まず千石どころのお家重代のものであろう。女はこれへ眼をつけた。
「ねえ、あの鎧櫃を売っておくれよ」
 こう甘えるように身をくねらせて、畳の上へ乗り出して来る。閑山は笑った。
「うん。売ってやろう。が、何にしなさる?」
 当惑の色が女の顔に動いた。それはまたたくまに笑い消して、鈴をころがすように屈托《くったく》なげな高調子。
「ほほほほほほ、いいじゃあないの。売り物を買おうというのにそんな詮議《せんぎ》だてはいらぬお世話さ」
「ははは、おおきに――」
「けれども、お爺《とっ》つぁんだから話して上げよう」と女はちょっと真顔になって、「あたしゃもう何もかもいやになった。いっそあの中へはいってどこかへ行ってしまいたいのさ」
 閑山老は眼をぱちくり。
 ――これは、ことによるとき[#「き」に傍点]印《じる》しかな?
 だが、そうも見えないぞ――。
 とっさに思案がつかずにいると、女は妙にしんみりして来て、
「ねえお爺つぁん、世の中なんて変なものさね。こっちで死ぬほど思っている人は鼻汁《はな》もひっかけてくれないし、いやでいやでたまらない奴は振っても巻いてもついて来やあがるし、うっかりそれを義理人情のしがらみに取っ付かれるはめになりゃあしまいかと思うと、そいつの執心よりはあたしゃ、このこころがこわいのさ、どうしてくらすも一生なら、ねえお爺つぁん、山王のお猿さんじゃないけれど、なんにも見ず聞かずいわずに過ごせないものかねえ、なんかとならべたくもなろうじゃないか」
 何かしら迫って来る力に閑山はいつしかひき入れられていた。
「色界無色界というてな、到《いた》るに難《かた》しかの」
 湯灌場買いら
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