っ」に傍点]とすると大変なことになったぜ。あれあどうも丹三じゃねえようだ」
「なに? 丹三でねえ? どどうしてだ?」
みんなぴん[#「ぴん」に傍点]となってはね起きた。
「お、おう、何だ、何だ、え? あいつ丹三でねえ?」
「丹三じゃあなかったのか」
「やっ! しまった! 道理で丹三兄にしちゃあ荒過ぎるようだった」
「それに、身長《せい》もすこし高かった」
あとからいろんなことをいっている。
さあ、大事《おおごと》!
こうしちゃいられねえ、すぐにあとを!
とたけり立って駈け出そうとするのを、
「まあ、待て」坊主頭が止めた。「待ちねえってことよ。これから追ってどうする気だ」
「知れた話よ。野郎、たたっ殺してくれる!」
「うふふっ。口だけあでっけえが、あれあお前、どうしてどうして体術《てえじゅつ》の名人だ」
「するてえと、知らずにひっくり返《けえ》っていたのが、結局《けっく》こっちの拾い物かもしれねえな」
「そうよ、そうよ」
「残念だが、これで引き下がるほうが無事らしいぜ」
まるくなってしゃべっている。
「亀《かめ》なんざ小指でころり[#「ころり」に傍点]だ」
「そういうお前も、あんまりほめたざまじゃあなかったぜ」
「なんにしてもまあ、えれえ手違えになったもんよなあ」
「狂言だと思って投げられていたこちとら[#「こちとら」に傍点]こそいい面の皮だ」
「全くだ。こんな御難はねえ」
「おらあ投げられてもいいから、もう一度あの女を見てえ」
「ちえっ! それだけ鼻の下が長けれあ豪気なもんだ。丹三はどうした、丹三は」
「丹三の来ようが遅いから起こったこった」
「丹三はどこにいる? 丹三!」
「丹三あっ! たんざあああうっ!」
「丹三、丹三い!」
「えおう、たんざあい!」
丹三、丹三と丹三を売りに来たようなにぎやかさ。
丹三やい、帝釈やいと呼ばわっていると――、
「おい、ここだ、ここだ、助けてくれ」
という情けない声がして、路傍《みちばた》の大溝《おおどぶ》から帝釈丹三が今やはいあがるところ。
寄ってたかって引き揚げたが、その臭いこと、一同あっ[#「あっ」に傍点]と鼻をつまんだ。
いい若い者がどぶ[#「どぶ」に傍点]泥まみれ、名前のとおりに帝釈さまの金仏そっくり。
「どうした、丹兄い」
「どうもこうもねえ。背後《うしろ》からかぶり[#「かぶり」に傍点]ついたら振り飛ばされてこの始末よ」
「おうやおや、お前も投げられた組か」
「自慢じゃねえが、真先にやられた。俺が来たときあちょうど始まるところだったから、おのれってんで武者振り――」
「おいおい、わかったってことよ。そう身振りをしちゃあ泥が飛んでしようがねえ」
「そうか。どっちへ行った、女は?」
「野郎といっしょにあっちへ行った」
「あっちへ行ったといって、立って見てるやつもねえもんだ。追っかけねえのかよ。じれってえな、こいつら」
やつ当たりの丹三について、一丁先の曲がり角までぞろぞろ[#「ぞろぞろ」に傍点]行ってみたが、男も女もとうの昔に姿を消している。
「おらあ帰って、殿様に合わす顔がねえ」
丹三が泣き出しそう。
「なあにお前、案ずるこたあねえさ。そのまんま持って行くがいいや、どうも裏表なしの塗りつぶしと来てらあ」
ひどいことをいうやつもある。
頭巾で包んでいたから相手の顔はわからないが、明らかに武士《さむらい》ではない。
かといって、あんなに強い町人があろうとも思われぬ。
男を売るのが商売の侠客《きょうかく》か。
とにかく、網の中の魚を大海に逸したも同様で、今さらこぼ[#「こぼ」に傍点]しても六日のあやめだ。
美人をかつぐ代わりに、臭気ふんぷんたる真っ黒くろ助の帝釈丹三を遠巻きにした一行が、すごすごともとの坂へかかったころ。
東天紅。
と一声、早い一番|鶏《どり》の鳴く音。
お江戸の朝は、まず薄紫の空から明けはじめる。
三味線堀《しゃみせんぼり》の宗匠|手枕舎里好《たまくらやりこう》
ここは下谷《したや》、三味線堀《しゃみせんぼり》。
めっかち長屋の一|棟《むね》、狂歌師|手枕舎里好《たまくらやりこう》と名乗る男の家である。
よほどぐっすり眠ったとみえて、女が眼をさましたときは、一間きりない部屋に、もうだいぶ長い陽脚がさし込んで、勝手もとで主人《あるじ》の里好の味噌《みそ》をする音がしていた。
寝過ごしたのが気恥ずかしくて、いそいで、起きようとすると、夢で泣いたものか、枕紙がひんやり[#「ひんやり」に傍点]湿っている。きのうからのことが思い出されて、おびえたこころは泪《なみだ》っぽくなっていた。
手早く床をたたんで身じまいをした。敷き蒲団の下に入れておいた金包みを肌《はだ》へ巻くには、音のしないように気をつけなければならなかった
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