ている。
が、守人の胸中は外部の闇黒よりも濃い。
どこまで行くつもりか、傘を持ちかえて、平右衛門河岸《へいえもんがし》の通りへかかった。
このときだ。
一つのがんどう[#「がんどう」に傍点]提灯と、それを取り巻いて七、八人の影とが、あとになり前になり、音を忍んで守人のみちにからみ出した。
守人は気がつかない。興の趣くままに、彼はふ[#「ふ」に傍点]と高らかに吟じた。
「今日危途春雨冷やかなり――」
すると、すぐうしろに太い声がして、
「檻車揺夢度函関《かんしゃゆめうごかしてかんかんをわたる》」
と、すばやく次の句をつけた者がある。
驚いて振り返ると、他の影はさっと左右の軒下に分かれて、頭巾《ずきん》の中からほほえみかけて立っている大男の侍一人。
黒ずくめにがんどう[#「がんどう」に傍点]提燈、あまり安心のゆける装束ではない、それが軽く頭を下げて、
「はからずも愛吟の詩を耳にして、つい口に出ました。無礼の段平に御容赦を」
いいながら寄り添う。
「どうつかまつりまして、うろ覚えの一節、拙者こそお恥ずかしく存じます」
辞儀を返して、守人は歩き出した。
ところが侍、なれなれしくならんで来る。
「このごろ物騒な夜道を、貴殿これからいずくへおいででござる」
自分こそ物騒だ。大きにお世話、と守人が黙っていると、
「ははははは、この刻限にこの道、これはいかさま野暮なことをおきき申した。雨の夜の北廓《ほっかく》もまれには妙でござろう。下世話《げせわ》にも気散じとか申してな、武骨ながら拙者もお供つかまつろう」
守人にしては迷惑しごくな話、べつにどこといって目的のあるわけでもないが、大門をくぐろうとは思っていない。で、すぱりといってやった。
「拙者は吉原へ参る者ではござらぬ。どうかかまわずお先へ」
「いやなに、情夫《まぶ》は引け過ぎと申すで、そう急ぐこともござらぬ、はっはっは」と相手は少しも動じない。「それとも、惚れて通うに田舎武士《いなかざむらい》は邪魔だといわるるか」
へんにもつれてくる。
喧嘩《けんか》を売る気。うるさい奴につかまったな、と守人は眉をひそめた。黒い影が三々五々、すこし遅れて左右からつけて行く。
黒頭巾がひとりでしゃべりつづける。
「先刻の詩、惜しい先生が揚げられたものでござるな。拙者ごときも痛憤に耐えぬ一人じゃ」
彼がここで惜しい先
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