るあいだに、長いこと猿ぐつわをかまされたように気がぼうとなったと見えて、どこか路ばたに車がとまっていたことや、それから、ずずっと二、三寸鎧櫃があとずさりして、頭が背後へ倒れて車が坂道へ差しかかったらしいことやなどは、今でも夢か現《うつつ》に覚えているが、その余のことはさながらこの櫃の中の四角い暗闇同然、女はいつしか失神していたのだった。
 で、今ここで気がついたときも、まだがたびし[#「がたびし」に傍点]車上におどっているように感じたが、その心持ちがしずまって、いままでのことが走馬燈のように、一瞬に女の頭を走り過ぎると、突如いいようのない新しい不安が羽がい締めのように、鎧櫃の中の女をとらえた。
 鎧櫃は確かに下におりている。
 が、外部の気配が、不思議にも櫃の中の女の心眼に映じて、どうもここを牛の御前のお旅所とは受け取れないのだ。
 戸外ではない。なんとなく屋根の下らしい――家の中?
 とすれば、いったい全体自分はどこへ、誰の家へ来たのだろう?
 思い切ってあけて出ようか。と考えて、下からそっと覆を押し上げていたが、中の女は知らないもののがんじがらめの締め緒に錠がかかっているから、持ち上がるどころか一分だって動かばこそ。はっ[#「はっ」に傍点]とした女、あらいやだ、冗談じゃないよこれは――と真剣にあわて出したとたん、またもや鎧櫃の真上に当たって、何やらひそひそ[#「ひそひそ」に傍点]ささやきかわす人声。
 墓場のような重苦しいあたりのようすに、それは一脈のすごみを投げて、啾々乎《しゅうしゅうこ》たる鬼気を帯びている。
「ど、ど、どうしたのだ、こ、この、よ、鎧櫃は? だ、誰が持って来おった」
 きいているのは岩鼻をかむ急湍《きゅうたん》のような恐ろしい吃《ども》りだ。女は聞き耳を立てた。
「は」他の一人が答えている。「ただいま神田の津賀閑山より届けて参りました品、具足でもはいっているとみえ、だいぶ重うございまする」
 具足とはよく当てたね、と女はふっとおかしくなった。
「か、か、閑山から?」
 さては閑山の相識《しりあい》らしい。
「は、閑山からと申して、下郎が引いて参りましたで、何はともあれ、ひとまず納め置きました」
 何はともあれもないものだ。めったな奴に納められちゃあかなわないねえ、この先どうなるんだろうと鎧櫃の内部《なか》で、女が息を凝らしていると、そとでは二
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