識を取りもどしたのだった。
が、身はいまだ鎧櫃にこもって荷物のように折れ曲がっている。濃い小さな闇黒《やみ》が、眼に近くしっくり[#「しっくり」に傍点]と押し包んでいて、朝眼がさめたときのように、女が前後の事情を思い出すまでにはちょっとのまがあった。
どこだろうここは。
本所牛の御前のお旅所のはず!
――とこの一つが心によみがえると、引き出した端をくぐらせて、もつれた糸玉を解くように、あとは、小口からすらすら[#「すらすら」に傍点]と女の記憶に浮かび上がって来た。
あれは神田連雀町津賀閑山の古道具店だったかしら?
そうそう、あそこでこの鎧櫃にはいったのだったっけ。
そして、あれから?
こうっと、あれから?
本所割り下水石原新町のそば、牛の御前の旅所へ届けるように頼んで、ぱたんと覆《ふた》をしてもらったのだが、あの閑山とかいうお爺さん、だいぶあっけに取られていたようだよ。でもまあ親切なおやじでよかったこと。こうしてあたしのいうとおりに路《みち》を運んでくれたんだから――。
それにしても、浅草から駕籠を追っかけて来たあの仲間、ほんとにしつこいったらありゃあしない。だけど、いくらお祭日《まつり》でもまさかあたしが古鎧櫃のお神輿《みこし》になって車で出て来ようとは思うまいから今度こそはまんま[#「まんま」に傍点]とまいてやったというものさ。ほほほ、兄さんさぞかし今ごろは奴凧《やっこだこ》みたいに宙に迷っていることだろうよ。御苦労さま、いい気味、ほほほ。
鎧櫃の中で、ひとりぼんやり薄笑いをもらしていた女は、このとき愕然《ぎょっ》として呼吸《いき》を呑んだ。
何だか場所が違うような気がして来たからである。それに、
「何だ。鎧櫃ではないか」といった今の声。
おやっ、妙だよ、これは。
本所ではないらしいよ。
はあてね! 考えてみよう――。
ごろごろ[#「ごろごろ」に傍点]と引き出されて、すぐどの方角へ向いたかはもとよりわからなかったが、それでも、しばらく行って橋を渡ったことは、箱へ伝わる車輪《くるま》のひびきででもはっきりと知れた。連雀町から本所へ出るのに、ああ近くに橋があるわけはない。
これはち[#「ち」に傍点]と変だよ――と実はあのときも思ったのだったが、思っただけで、中からはどうすることもできないし、そのうちに、狭い鎧櫃の中で窮屈に揺られてい
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