押し込みのさいには、いつも必ずお蔦が先にはいり込んで、なかから締まりをはずして男を入れて仕事にかかったということだ。
 ひょっとすると、あの掏摸の里好という男ではないかしら。
 こう思って、文次は顔を上げた。
「安」
「へえ」
「お蔦が両国に出ていたころ、男があったといったっけなあ」
「へえ。何とかいう水戸っぽで」
「水戸っぽ?」
「遊佐銀二郎とかって――男の子がひとりありやした。が、それも夫婦別れをしたそうで」
「てめえ惚れた女のことだけあっていやにくわしいぜ。しかし、武士《りゃんこ》がついていたんじゃあ、手前なんかに鼻汁《はな》もひっかけやしめえ。お気の毒さまみたようだなあ」
「御挨拶。が、まあ、そんなとこで、へへへ」
「笑いごっちゃあねえぞ。その遊佐ってのが実は手枕舎里好でせいぜいいっしょにかせいでいたという寸法かもしれねえ。とするとこれあ思ったより大捕物だて。安、鼻の下を詰めてついて来い」
「いえ、もう髱《たぼ》にあこりごりで」
「えらく色男めかしたことをいうぜ。勝手に振られてる分にあ世話あねえや。ははははは」
「どうも親分はお口が悪い――それにしても侍的《りゃんてき》がいるんならあぶのうがすな。だいぶやっとう[#「やっとう」に傍点]ができますかい」
「先様がやっとう[#「やっとう」に傍点]ならこちとらあ納豆だ。一つねば[#「ねば」に傍点]ってやれ。久しぶりにあばれるんだ。出かけようぜ安」
 というわけで、それから文次は、すぐに御免安兵衛を連れて下谷三味線堀のめっかち長屋、手枕舎里好の家へ出かけて行った。
 来てみると、昼なのに雨戸がしまって、陽がかんかん照りつけている。
 おや! 変だぞ。
「里好さん、お留守ですかえ、もし、里好さん! いねえのかえ」
 どん、どんどんどん――戸をたたいた。返事がない。
「かまうこたあねえ。あけてみな」
「あい」
 安が手をかけると、意外にも、戸はさらりとあいた。日光といっしょにはいり込んで、文次は土間に立った。
 そして、そこの正面の障子に、墨くろぐろと書かれた手枕舎里好宗匠つくるところの狂歌一首を読んだのである。
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このたびは急な旅とて足袋はだし
    たびたび来てもくるたびにむだ
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   南国の妖花|嗜人草《しじんそう》

 あれだけの人数がどうしてああ音もなく消え
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