いたが、里好はそれどころじゃない。顔色を変えて騒いでいる。
「いや、勘弁々々、すまねえが、そいつにこの三尺と手ぬぐい、丸めて押入れへ押し込んでください。わたしは病人だ」
 いいながら、はや蒲団を引き出して敷きかける。女はびっくりして立ち上がった。
「あの、どこか、お加減でも――」
「なに、あとでわかる。ただね、わしは病人なのだ。いいかえ、病人だ、病人だ」と頭からすっぽり[#「すっぽり」に傍点]蒲団をかむって、
「後月《あとげつ》から腰が立たねえで寝ているというこころ。誰が来ても会わねえぜ。あんたは女房の役、な、看病やつれを見せてやんな。さ、今にも来る。頼みましたよ」
 一息にしゃべって黙りこむ、やがて、低くかすかにうめく声――どうもお手に入ったものだ。
 はっ[#「はっ」に傍点]とした女。
 もしかするとこの人はお役人にでもつけられたのじゃあないかしら?
 気がつくと他人事《ひとごと》ではない。高麗《こま》ねずみのようにきりきり[#「きりきり」に傍点]舞いをして、薬罐《やかん》、水差し、湯呑みなど病床の小道具一式を枕もとへ運んだのちそこらの物を押し入れへ投げ込んで、まずこれでよし――さあいつでも来るがいいよと女が長火鉢の前へ横ずわりにくずれたとき、がらり格子があいて、
「ごめんなさい」
 いろは屋文次だ。
「はい、どなた?」
 と女はゆったりした声、長煙管《ながぎせる》のけむりをぽっかりと吹いている。
「あの、里好先生のお宅はこちらでしょうか」
「はあ、さようでございます。どちら様から?」
 鷹揚《おうよう》に首をまわした女、土間の文次とぱったり顔が合った。とたんに「や! この女は!」という色が文次の表情《かお》にゆらいだが、たちまち追従《ついしょう》笑いとともに、文次は米つき飛蝗《ばった》のように二、三度首を縮めておじぎをした。
「いますかえ、これ?」
 となれなれしくおや指を出して見せる。
「はあいるにはいますが――」女は迷った。
 この人はだいぶ親しい仲とみえる。
 上げても差しつかえないんだよ、きっと。
 が、「誰が来ても」といった里好のことばを思い出すと、女はぎくり[#「ぎくり」に傍点]として文次へ向き直った。「いるにはいますが」と、にっこり[#「にっこり」に傍点]して、「ご存じのとおり一月ほどからだを悪くして寝たきりなんでござんすよ」
「だが、いまそこか
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