るぞ」
「よく――よく降りますね」
「うん。青い物が助かる」
「青い物が助かります。旦那、お先へごめんやす」
裾をまくって頭からかぶった御免安、達磨《だるま》に足が生えたような恰好《かっこう》で、野田屋の店をとび出した。
同時に、守人もたった。
おっ取り刀である。
「老爺、今の男は定連か」
「いえ、初めてのお顔でございます」
「よし!」
うなずくが早いか、ばらりとそこへ小銭をつかみ出して、物をもいわず守人は外へ出た。
さっきの人数を呼び返す気であろう。暗黒をのぞきながら、安兵衛が駈けて行く。
「おのれっ! 見んでもいい物を見おって――いらぬ筋へ忠義立てする気だな。ひょっとすると不浄の小者であろうも知れぬ」
ぷつり、帰雁の鯉口《こいぐち》をひろげて、ぴしゃぴしゃ――守人は飛泥《はね》を上げて追いすがる。
雨脚が太くなった。
犬もあるけば棒にあたる
守人はあきらめた。
泥濘《ぬかるみ》をとび越えて走って行く御免安兵衛の姿は、鳥羽絵《とばえ》の奴《やっこ》のような恰好に、両側の家をもれる灯のなかにおどったり消えたりして、見るみるうちに小さくなる。
やがて、浅茅原《あさじがはら》の闇黒にのまれてしまった。
あとには、夜の春雨が霏々《ひひ》としてむせび泣いて、九刻《ここのつ》であろう、雲の低い空に、鐘の音が吸われていった。
ふ[#「ふ」に傍点]と気がつくと、帰雁の柄《つか》へかけた右手の甲に、夜目にも白い雨滴が流れて、さっきの騒ぎに傘を切られた篁守人、頭からびしょ[#「びしょ」に傍点]ぬれになって橋場の通り銭形《ぜにかた》のまえに立っている。
ぱちんと鍔《つば》を落とすと、守人は、
「ちっ」と舌打ちをした。
「下郎め、この袖の血を見てとび出しおったが、追っ手の者に訴人致す気に相違ない。万一、不浄の小者ででもあってみれば、存分に顔を見られた以上、どうあっても生かしてはおけぬ奴――ううむ、これは惜しいものを取り逃がしたぞ。血しぶきついでに斬って捨てようと存じたに、いつのまにやら見えずになった。いま眼の前にちらつきおったかと思うと、もう半丁さきを駈けおる。いや、脚の早いやつだ。
まま、おかげでおれも、いやな殺生《せっしょう》を一つせずに済んだというもの。また彼奴《きやつ》とても命拾い、こりゃいっそ[#「いっそ」に傍点]両得かもしれぬ」
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