布をふるような、いなびかりだった。もう、凹地《くぼち》の家には水が出たらしく、あわただしく叫びかわす人声と、提灯の灯とが、物ものしく、闇黒《やみ》に交錯していた。
「崖くずれがあるかもしれぬ。あのお寺の墓地に。」
 お久美は、早出の用意に脚絆など揃えながら、手を休めてそう思った。
 手のつけようのない晩飯の膳が、そのままで下げる意味で、縁の障子のかげに置かれてあった。
「おお、ひどい吹き降り!」
 膳を引きに、母家から、おひさが駈け込んで来た。
「まあ、この恰好を御覧下さいまし。傘は、風にとられるのでさされませぬ。」
 そう言って、かぶって来た風呂敷きを取って笑ったが、
「おや、御気分でもおわるいのでございますか。ちっとも召上らずに。」
「何ですか、おなかが一ぱいなんですよ。」
 おひさを失望させまいとして、お久美が、つづいて何かつけたそうとしたとき、
「はなれのお客さまあ!」
 大声が、飛びこんで来た。おひさの家の漁師のひとりだった。江戸から、上庄の旦那の庄吉がお久美を迎えに来て、いま着いたところだという、およそ意外な知らせだった。
「わしが、出水《でみず》の助けに行くべえと、土間で
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