美は、その不当さに腹が立った。同時に夢の美男の顔が、身も世もなく慕わしいものとして、ふっとあたまの隅に萌《きざ》したりもするのだった。かの女は、自分の異常な恐怖観念以外、何も怖れる理由のないことをおそれているのだと、じぶんに言い聞かせた。あの顔の現れたのは、昨夜がはじめてだったが、あれは、こどもの時分から、あらわれようとして現れないで来た顔だった。見ないでも、よく知っている顔なような気がした。よしこれから何度出て来ようとも、それがこのじぶんの実生活のうえに何の関係があるのだと考えてみた。かの女に、みだらないたずら心のないことは、かの女自身が一番よく知っているのだった。それさえはっきりしていれば、何も怖がることはないのだった。あとは夢の見識らぬ男が来て、かの女の感覚を弄ぶなどと、それは、かの女の知ったことではないはずだった。良人の愛に守られ、富に護られ、子供の愛に生きているお久美だった。少女のころの夢が返ってきたからといって、それが何の重大さを意味し得ようとそうじぶんを叱る一方、かの女は、気を詰めてゆうべの男を想い出して、かれによってそそられた情感の甘さを、くり返しくりかえし味わうように
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