てるじゃないか、無論殴ればいいと君らはいうだろう。よろしい、然し殴り殺してもいいかね。よろしいか、ここで一寸考えて貰いたいのは相手が気狂いだという所だ。我が国の法律は勿論、大ていの国では気狂いには刑事責任を負わしては居らん。気狂いが人を殺したとて無罪になるにきまっとる。その気狂いの行為に対して正当防衛が成立するかどうかという問題なのだ。それ、刑法にはただ『急迫不正ノ侵害』と書いてあるのみで一こう詳しいことは書いてない。之については大家の説がいろいろある。然し大体に於いて積極説に一致している。君らも或いは結論に於いては同じ考えかも知らん、が、その理由を知っているか、更に例をかえて、もし狂犬が現われたらどうする。無論君らは、之をぶち殺すだろう。この際之は正当防衛といえるか。抑《そもそ》も動物に対して……」
 ここまで聞いて来た時、藤次郎は右側の男に一寸突かれたように感じた。妙な気がして右の袂に手をつっこんで見るとさっき買った敷島の袋が見えない。あわてて首から紐をつけて帯の間にはさんである蟇口に手をやるとたしかにあるので安心したが、もう右側の男はどこかに行ってしまった。煙草一袋だが掏《す》ら
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