次郎は、いつかは一かどの弁護士になって懸河《けんが》の弁を法廷で振うつもりでいた。元より彼には学校に通う余裕はない。従って独学をしなければならなかった彼は可なり以前から××大学の講義録をとって法律の勉強をしていたのである。
 斯ういう真面目な青年の事だから主人の信用の甚だ厚いのは無論である。それ故、一定の公休日でない今日、彼が一日のひまを貰って浅草公園を歩いているのは大して不思議な事件ではないのだ。
 けれど、遊興もしなければ大酒も呑まぬ藤次郎が、真剣の恋を感じ始めたのは亦決して不思議なことではない。彼も人間である。而も未だうら若い青年である。
 その恋の相手は矢張り同じレストランに八ヶ月程前から勤めている美代子という若い女だった。美代子はN亭に来る迄、可なり多くの店をまわって来た。しかし、藤次郎のような真面目な、有望なコックには未だどこでも会ったことはなかった。
 藤次郎は美代子がN亭に来てから間もなくひそかに恋し始めた。そうしてだんだん彼女を思いつめて行った。けれども彼が彼女にはっきりと心の中を打ち明ける迄には相当の時がかかった。無論誰しも斯ういう気持をそうたやすく言いだせるもので
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