らね。人間ですもの、内にどんなことを考えて居るか判るものではありませんよ。
 ところでもし此の場合、動機が表われたとしたらどうでしょう。殺人として検事は起訴出来るでしょうか。つまりそこですよ。丁度あなたの事件のように、第三者が全くない。被疑者のいうことをくつがえす証拠がない。従っていくら検事でもどうすることも出来ますまい。とすると、この方法は殺人として最も巧妙な方法だと云うことになります。
 扠《さて》、ここにある夏、二人の男が海に行った。そしてその一人が崖から落ちて死んだのです。すると丁度一年程たってから、その時のつれの男が、ある過失か自殺で、自動車に衝突しました。ところがその時その自動車を運転していた男はさきに死んだ人の兄だったという事実がここにあると仮定します。そう、これは一ツの仮説の例ですよ。
 この二つの事件を偶然であり得ないとは云えますまい。しかしこの事実の間に、ある連絡をとって考えられぬことはありません。
 伯爵。私と同じ役人をしていた男で、今探偵小説作家になってる人があります。このあいだ一寸会った時に、私はこういう二つの事件を彼に語って見ました。するとその男は、小説家らしい途方もない空想を語りはじめたのです。之からあなたに申し上げるのは、私よりむしろその男の考えを多くいうのですから一つ小説のつもりできいてごらんなさい。
 その男の云うのは、まず海で青年が死んだ事件を殺人事件だと考えるのです。少くもその時死んだ人間の親とか兄とか、要するに最も近い人には殺人事件だと信ぜられたと仮定するのです。動機は無論外には表われては居らぬけれども殺された青年の側に居る者、例えば兄などには必ず推測がつくでしょう。その小説家は此の二つの事実に対して兄が『弟は殺された』と確信したと、推測することが最も自然だというのです。もし仮りに兄が、そう信じたら彼は一体どうするでしょう。今云った通り、法律的には之をどうすることも出来ない。訴えたとて何にもならぬ。結局残る所は直接の復讐手段でしょう、そして彼の兄なる人が馬鹿でない限り、自分も法律的には何等の危険のない方法をとるでしょう。伯爵、実際この場合、彼は最も賢明な方法をとったのです。はじめの事件が殺人事件だとされていない限り、之に対する復讐も亦、動機が一般には判らないわけです。即ち二度目の殺人は動機が全然外部に表われていない点に於いて、第一の殺人事件と同じわけです。
 扠、ここで仮りにこの兄なる人の位置を定めて見ましょう。仮りに之が子爵某という人だとします。即ち社会的に相当地位ある人間だとしましょう。少くとも殺人事件の如きには最も嫌疑のかかりそうもない地位に居るのです。即ち云いかえれば、最も巧みに人殺しの出来る地位に居るとしましょう。此の子爵は、弟が殺されたと信じて以来、どうにかして相手をやっつけようと考えて居る。絶えず遠くからその行動を注意していると、相手は神経衰弱にかかって役目をひいてしまうと判る。ところで子爵は、毎朝自動車を自ら駈って日比谷公園を通るのです。偶然にも或る朝、子爵は相手がここを通るのを見ました。時々、一方は徒歩、一方は車で公園のあたりで摺れ違う。そのうち子爵は相手の時間が一定しているのに気付きます。健康上いいからという理由で時間をくり上げて相手と必ず会うようにしはじめました。
 ところで伯爵、あなたの事件で、私はその小説家に云われてから気が付いたのですがね。日比谷公園ともあろう所で、あの時分どうして誰も他に人が居なかったかということを調べて見たのです。すると妙なことを発見したんですよ。どういう理由か一寸判らないが、あの事件のあった個所は、日曜日の朝は別ですが、他の朝はある一定の時間――無論極く短い間ですが人通りが全く一時に途絶えるという事実、而もそれが丁度伯爵あなたがあの日あそこを通られた時間だ、という事実が判って来ました。伯爵、半年も同じ道をドライヴ[#「ドライヴ」は底本では「デライヴ」と誤植]して居たこの物語の子爵某氏にそれが発見されぬ筈はありません。
 扠、ここまで来て私はこの小説の中の子爵の考えを始めから辿って見ましょう。まず弟が殺されたと思う。ひそかに注意して見ると弟の仇たる某紳士が神経衰弱に罹って役所を休んでしまう。無論子爵は之を良心の苛責と信じるからその確信はますます堅くなる。そこで愈《いよいよ》復讐の決心をする。偶然或る日、日比谷公園のドライヴ中某紳士を発見する。いつか又|出会《でっく》わす。之を知った子爵は某紳士の通る時間をはかって自動車を駈って摺れちがう。之から毎朝時間をいままでより早目に出る事にする。そうして半年の間二人は毎日のようにすれ違って居たわけです。之は子爵にとって二つの意味で重大であった筈です。一つは無論『仇の様子』を探る為です。他の意味は、も
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