」
こうなっては最早のっぴきならない。
「君は確かにあると断言するのだね。よし。それでは君はその人の名をあげて僕に知らせる責任がある。それをしないでただそんなに頑強に僕を批難しても何もならん」
私には、この世の中にそんな人間があるとは信じられず、又若し(しかり、正に千万度も「若し」だ!)そんな殺人者があったとしたところで、まさかその人間の名を彼が私に云い得る筈はない、と思ったので、ぴっしゃりと、叩きつけるように云ってやったのである。
此の一言ははたして効果を現わした。
猛虎のようにつめよった彼はこの時、正にたじたじとなったらしい。口をもごもごやったきり、物凄い顔で私をじっと見つめたのである。暮れやすい春の太陽は弱い光を投げかけながら今、山に入ろうとして居る。
この気味の悪い沈黙の数分間、私も負けずに彼の気味のわるい顔を見つめてやった。眉《み》けんのあたりに深いしわをよせながら、彼は何か心の中で苦悶と戦って居るらしい。
私ははじめ、彼が一本参ったので口惜しがって居るものとのみ思って居た。しかし実はこの時の彼の顔色は、より深き苦しみを現わして居たものである事が後に判った。
唾
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