をさらしながら、自分では少しも寒くなかったような気がするのです。
 妻が帰って来ては事面倒ですから、暫時《ざんじ》にして私は家に入りました。再び暖い着物をきせて、自分はゴロリと横になりながら、何くわぬ顔をして妻の帰りを待っていたのです。
 私は、この悪魔的方法の効果がすぐ現われるかと思って居ました。けれど翌日になっても別にどうもないのです。次の日は雪はやみましたが寒さは一層加わりました。この夜、同じような機会に又同じ方法で、ひろ子を寒風に曝《さら》したのです。雪の上におく事も考えないではありませんでしたが、もし凍傷《とうしょう》でも出来ると証拠が残ると思ってこれはやめました。
 二回の試みは遂に成功しました。ひろ子はその晩から非常な高熱を出しました。私には、無論そのわけは判っていましたが妻にははじめよく判らなかったらしいので、結局、医者がかけつけたのはその日の夕方になってしまったのでした。
 医者は無論、私が呼びに行ったのです。この際医者を呼ばないわけには行きません。かけつけた医者は即座に流行性感冒と診断しました。県下に、はやって居るこの病気に私の子が罹る事は少しも不思議ではありません。医者は更に、ひろ子が可なり危険な状態にある事、肺炎をおこしつつある事を注意し、いろいろ湿布《しっぷ》の仕方などを私に説いて帰って行ったのでした。
 私は、わざと不完全な湿布をやりながら、後から医者の家まで薬を取りに行きました。なるべく時間をとるようにしたいのですが、それは、どうも不自然ですから、適当にいそいで、往復しました。しかし、私のこの顧慮は、必要のなかった事でした。何故ならば、帰宅した時はひろ子の病勢は著しく進んでいましたから。
 その真夜半《まよなか》、ひろ子が余り苦しむのを見かねて、妻が私に医者の許まで行ってくれと頼みますので、いそいでかけつけ門を叩いて見ましたが、幸いにも――全く幸いにもです、こういう言葉の使い方は悪魔の辞書にのみ見出されるはずです――医者は、同じような急患者の所に往診して居て不在、結局、来てくれたのはそのあくる日の昼頃でしたが、その時は既にひろ子は全く絶望の状態にありました。
 妻の涙の中に、ひろ子はついに息を引き取りました。死亡診断書には急性肺炎と書いてあったと思います。誰も怪しむ者はありません。ささやかな葬儀を以てこの事件は終ったのです。
 先生、私
前へ 次へ
全20ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング