殺人迷路
(連作探偵小説第八回)
浜尾四郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)二木《ふたき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あいつ[#「あいつ」に傍点]
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   十日の勝負

「いいえ、僕の云ってる事は決して嘘や空想じゃありません。たしかにあいつです。今お話したバーで見た怪しいあの男です」
 星田代二は生れてはじめて検事局の調室に引張り出されて、差向いでいる二木《ふたき》検事に対して必死の弁明をやりはじめた。
 二木検事は、警視庁から送局された書類を机の前におきながら、殆ど無表情で星田に相対して居る。
「ふん、君は本庁で取調べられた時も、あくまでも否認しつづけて居るね。そうして、あいつ[#「あいつ」に傍点]だとか怪しい男だとか云っているが、僕をして云わしむるならあいつ[#「あいつ」に傍点]即ち怪しい男と君が云うのは即ち君自身のことなのだよ。
 ところで検事局という所は、毎日否認ばかりする被疑者に必ず一人や二人はぶつかる場所で、而《しか》して――うん、ここをよくきき給え――いくら否認しつづけても、僕が君を殺人犯人也と確信したならば直ちに起訴することが出来る。という事を君は知っておく必要があると思うね」
 二木検事はこういいながらケースからエアシップを出して火をつけた。
「君は探偵小説家だという。不幸にして僕は君の著書をまだ見て居ない。しかし甚《はなは》だ失礼ながら今度の犯罪の如きは君位の頭脳の程度の人が行い得る犯罪だと思う」
「さっきから云ってるじゃありませんか。決して僕のやった事じゃないと」
「まあ黙ってきいていたまえ。君は自分でどの位いい頭の所有者だと自惚《うぬぼ》れているか判らないが、僕をして云わしむれば君は少くも、論理的な頭の持主ではない。――君自身の言によると君は、完全な犯罪があるとかないとか議論したということだが……」
「それはあります」
「それ自体に既に矛盾があると君は気がつかずに大まじめで論じている。もし仮りに完全な犯罪がありとすれば、それは犯人自身が知っている限りで天下の何人《なんぴと》にも知られぬものである筈だ。従ってそれが犯罪也と人に思われようがない。犯人自身が自ら名告《なの》らぬ限り永遠に誰にも知れぬ筈ではないか。はたして然りとすれば『完全な犯罪』があるかどうかは既に論ずる余地がない。議論の彼岸にあるべきである」
 ここまで二木検事はいい気になって喋舌《しゃべ》ると一寸《ちょっと》休んで傍《そば》の書記に何かひそひそと耳打をした。書記は机の上にある一件書類を携えると、いそいでドアの外に出て行った。
「ねえ君、そこで君の所謂《いわゆる》『完全なる犯罪』もまた、もし本人が名告りをあげるとそのとたんに不完全になるわけだ。そこで遺憾ながら今度の犯罪も不完全なものとなったのだよ。即ち君は自身で犯罪を行い自ら名告りをあげているじゃないか」
「じょ、じょうだんでしょう。僕は一度だって自分がしたなんて云った事はありませんよ」
「指紋はどうしたかね。足跡はどうしたかね。而して眼鏡、それに残してあったエアシップ二本。このエアシップは偶然にもこの小生が愛用し、従って君の平常の愛用品と一致するの光栄を有している。――ここに或る男があって或る女を痴情の果から殺そうとして決行する。而して右にあげたような証拠をのこしておけば一応必ずその男に嫌疑がかかる」
「御尤《ごもっと》もです」
「ところで君はそのさきを考えた。真犯人がまさかわざわざそんな証拠を残しておくわけがない。だから検察当局も必ずや君を一応は疑ってもきっと他の人物を探し出すだろうとね」
「――――」
「ところがもう一つの考えがあり得ることに君は気がついているかね。即ち以上云った理由により、君位の頭の持主ならば、真犯人自身がわざわざ故意に自身に不利な証拠を残しておいて最後にうまくずらかるという手だ。即ち逆手戦法だけれども一寸君らの考えそうな話だね。――約言《やくげん》しようか。僕は今度の事件の証拠によって一応君を疑っている。然し君の考え方に従って又他を捜査する考えをもった。けれど、第三段に於て再び、君を疑わざるを得ない。正岡君は第一段の理由によって君を犯人と思惟しているらしい。勿論第二段の考え方で君が犯人でないという説を立てている刑事もある。しかしこの二木は第三段の考えに行く。君は自らあんな証拠を残して来た、ということだ。――僕は君のいう凡《すべ》てがうそだとは云わない。成程へんな目つきの男もいたろう。怪しい洋装の女もいるだろう。けれど不幸にしてこれらの存在は君の無罪の証拠にはなり得ないのだ」
 星田代二はもはや何をいうも無用というように石の如く沈黙している。
「星田代二君、いや星田代二と称する男たる君、もはや
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