が登場する前にやらなかつたのは全く失策だつたね」と検事。
「そりや結果から見ての話さ。むしろ僕が登場してから彼はほん気になり出したのかも知れないよ。彼は今まで僕の好敵手だつた。彼は相手にとつて不足のないと思われる僕が登場したからこそ一層腕を振いはじめたという風に考えてもいいと思うよ」
「成程ねえ、僕じや不足だつたのかね」
 警部がちよいといやみらしく云つたがすぐ話をかえて、
「相似三角形か。成程。して見るとあの脅迫状の赤い三角形はそのシンボルだつたのかね」
「そうだ。無論千代はただあんな印をつけたのさ。しかし林田先生の三角はもつと深刻な意味をもつていると思つていい。よく探偵小説に三角形の脅迫の印というのが出て来るが、一体なら何も三角形でなくても、四角でも五角でもいいわけなんだ。しかるに、この秋川家の場合には特に三角形が意味をなしたわけだ。林田先生は犯罪人として天才であると同時に中々詩人だね。かなり茶気満《ちやきまん》な所がある」
「では、秋川駿三は、君の所謂新しき三角形のみを知つていて古い四十年前のその相似形を知らなかつたんだね」とこれは私。
「そうだよ。可哀相に。だからかりに彼が林田に殺されたとしても、何故林田に殺されなければならないか、ということはわからなかつたはずだ」
「かりに殺されたとする[#「かりに殺されたとする」に傍点]?」
 警部が驚いて云つた。
「かりじやない、現に殺されたじやないか」
 今度は私がきいた。
「うん、君らは第四の事件もやはり林田のやつたことだと思つているのかい」
「林田でないとすれば犯人は一体誰だ。伊達かい」
 検事がおどろいてきく。
「あれには犯人がないんだよ[#「あれには犯人がないんだよ」に傍点]。あれは殺人事件ではないよ[#「あれは殺人事件ではないよ」に傍点]。では諸君、五月一日の事件の説明にとりかかろうか」

      4

「ねえ小川君、あの日、すなわち五月一日にわれわれが駿三の死体を見た時、僕はすぐ君に林田の家に電話をかけて貰つたはずだね」(第四の惨劇第十回参照)
「うん、そうだつた」
「そしたら確かに林田は自分で電話に出たろう」
「うん、うん」
「ところで林田の家と秋川家との距離は、自動車をかなり早くとばしても相当な時間がかかる。かりに駿三があの部屋にはいつた途端に殺されたとしてもわれわれがあそこに行くまで五、六分しかたつていない。この間に林田が、犯行を行つてすぐ家に帰つているという事は絶対に不可能だ」
「成程」
「君はあの時僕が何故、林田をいきなりよんだか、その理由が判るかい」
 私には、ただ藤枝がいつにもなく大あわてにあわてた光景しか思い出せなかつた。
「僕は第三の事件の時、犯人は林田だと確信したんだ。これに就いては今いうが、ともかく確信した。ところが駿三がやられた。君にきかせて見るとちやんと彼はうちにいる。驚かざるを得ないじやないか。さては今までの確信は誤りだつたか、と思つて僕はほんとにあの時あわてたんだよ」
「そうだつたのか。しかしあの時林田もあわてていたぜ」
「それさ。死体解剖の結果と、あの時の林田のあわて方で再び僕は自分の推理が正しかつたという確信をとりかえしたんだ。林田だつて驚くのは当然さ。彼のプログラムに従えば駿三を最後にやつつけるつもりだつたのだ。ところがその駿三が彼が家にいた間に、誰かに殺されてしまつた。しかも、それが偶然にも彼の予言した五月一日に行われたのだ。(秋川一家と惨劇第四回参照)林田たるもの驚かざるを得ない。あわてざるを得ないじやないか。(第四の惨劇第十二回、意外な事実第一回参照)では一体駿三は誰に殺されたか、曰く、伊達捷平の幽霊にだよ[#「伊達捷平の幽霊にだよ」に傍点]。君らはあの時駿三の心理状態をはつきり知つていなければいかんよ。秋川駿三は今君にも云つたように、自分の作つた三角形だけしか知らない。そこで自分は伊達一家に永久に恨まれていると考えている。里村千代の存在ははつきり知らない。林田は彼女をつきとめているけれど無論沈黙している。そこで彼はすまないすまないと思いながら伊達捷平の幽霊にばかり悩まされていたんだ。加うるに四月十七日以来ひきつづきおこる惨劇で神経は極度に鋭くなり、心臓も弱つていたんだ。ねえ木沢さん、そうでしよう」
「全くその通りです」
「彼が実に気の小さい正直者だということは判つているが、特にこれを証拠立てるのはあの鏡の中の遺書さ、僕はまさか彼自身あれを保存しておくとは思わなかつたよ。(第四の惨劇第八回参照)きつと伊達に見せるつもりで保存しておいたのだろうが、それにしても外に預けておけばいい。彼は、自分の家において、いつも自分の良心のいいわけをしていたんだろう。まつたく正直者さ。そこでそういう気持でいた彼が、二階から下りて来て、鏡の前に立つた。あけようとする途端、鏡に伊達捷平がうつつたんだ」
「え? 伊達捷平が?」
 われわれは一度に驚きの声を発した。
「もつと正しく云えば、伊達捷平の幽霊が鏡の中にあらわれたんだよ」
 私には一体彼が何を云つてるのかわからなかつた。
「君らはあの日の天候をおぼえているだろう。それから、非常に暗かつたという伊達正男の供述を知つているだろうね」(第四の慘劇第三回、第八回及び最終の悲劇参照)

      5

「うん、よくおぼえているよ」
 と警部。
「それから、ちようどあの日の前後伊達正男が病床にいて、ひげもあたらず、ひどく老けて見えた事実を思い出すだろう、ねえ、これらの事実を思い出して綜合して見給え」
 しかし私にはまだ判らぬ。
「つまりこうさ、駿三が鏡の前でその戸をあけようとした途端に、伊達正男が窓から上半身をぬつと出したんだ。ちようどそれが、まつすぐ前の鏡にうつつた。あの日は暗くてはつきりものがうつらぬ。そこへもつて来て伊達がいつもよりずつとやつれてふけて見えたのだ。ねえ、伊達正男は誰かによく似ていたんだよ。判つたろう」
 そうか、では駿三はあの時、鏡にうつつた伊達正男の姿をチラと見て、父の捷平の顔とまちがえたのだ。そして恐怖の余り心臓麻痺を起してそのまま倒れてしまつたのだつたか。
「ああいう例は決してないことはない。あの恐ろしい死顔も、これで充分説明が出来るはずだ」
「成程、では伊達正男はほんとうのことを云つたのだね」
と警部が云う。
「そうだ。伊達正男の供述は徹頭徹尾信じていいだろうと思う。いや、彼のばかりではない。早川辰吉の供述もほんとうだ。だから他の点に就いてはともかくも、殺人罪ということからはこの二人を疑わないでほしいね。これは僕からはつきりお願いしておく。……そうだ、僕はここで自分の手柄話に長広舌をふるつてばかりいてはいけない。高橋さん、早速伊達と早川とをもう一度調べて下さい。殺人の嫌疑はすぐ晴れますよ。早川に対する邸宅侵入罪、それから伊達の遺書に対する窃盗罪、これらはまあ適当にお手心があると信じます。では、奥山君、高橋さん、失礼します。小川君、一緒に出かけようじやないか。僕らは高橋警部の賢明なる判断によつて伊達と早川が釈放されるのを待つてればいいのだ」
「ちよつとちよつと。藤枝さんちよつと待つてくれたまえ。君の秋川事件についての全説明はまずあとできくとして、一体今日の事件の説明はどうなるのです」
 警部がいそいで藤枝をよびとめた。
「さつきさだ子からおききの通り。あの通りですよ」
「と云うのは」
「ああ成程。充分判つておられぬのですな、実は昨日林田を訪問したのです。そしてある方法を用いて林田に自己の策戦が全く誤つていることを信じさせた。同時に僕が奴をすでに心の中で捕えていることをはつきりしてやつたんですよ。それで彼は自殺する決心をしたんだ。その道づれにさだ子をえらぼうとしたのです。小川君失礼しようじやないか」
 彼はこういうと、私を手で招きながらさつさと室を出た。検事も警部もいささか呆気に取られた形で、われわれの方を見ていたが、藤枝は一向かまわず、そのまま外に出てしまつた。
 タクシーを捕えると、彼は、上機嫌で銀座へといそがせた。
 四月十七日の事件以来、私ははじめてはればれとした気もちで宵の銀座を歩いた。
「めし時に、演説しちやつて大分腹がへつたよ。どこかでめしを食おう」
 藤枝は、いつも彼の行くある洋食屋へ私を案内した。ボーイばかりで女ッ気のない店で客もあまりいない。
 藤枝と私はほんとうにくつろいだ気もちでコンソメのスプーンを取つた。

   終局

      1

「ねえ藤枝。いよいよ事件は大団円だが、僕にはまだ大分判らない点がある。第一君は一体如何して林田が犯人であるとつきとめたか、これを説明していない。それから林田が犯人と判つているのに何故君はだまつていたか、自殺をする事を知りながら何故ほつておいたか。何故警察に訴えなかつたか、これらがききたいね」
「あははは。大分聞きたいんだね。しかし君の質問は多くて一時には答え切れない。まず第一の質問に答えよう。では僕がどうして犯人をつきとめたか、これは今警察でしやべつたばかりだが、僕は初江が殺されるまでははつきりあてがつかなかつたんだ。第一回の慘劇の後では全く五里霧中で誰が犯人だかさつぱり判らなかつた。実は林田の手にウカと乗つて家族の中に怪しい者があるとにらんだのだよ。ただたつた一つ確信したことは、あの劇薬が秋川家に来るまでにすりかえられていたということだ。この考え方はさつき云つた理由からだが、さし当り佐田やす[#「やす」に傍点]がおかしい。しかしやす[#「やす」に傍点]は君も知つている通り、あくまでも否認した。やす[#「やす」に傍点]が自身ですりかえたか、そうでなければ彼女は必ず誰かに途中で会つている、とにらんだのだけれども、やす[#「やす」に傍点]が自身でやつたとはどうも思われない。一方秋川家の人々の様子はかなりおかしい。さだ子はトマス・ハーデイを読んでいて着物のままかけつけたというし、ひろ子はヴァン・ダインを読んでいたと云う。とにかく普通でない所へもつて来て伊達、さだ子が母と喧嘩をしたという事実がある。おまけに訊問に際してさだ子はヒステリカルな悲鳴をあげたし(悲劇を繞る人々第八回参照)伊達の事についてうそを云つている。こんな点から実は僕も、第一にさだ子と伊達、第二にひろ子を疑つて見たのだ。ところでここに偶然が非常な働きを見せている」
 藤枝は手早くコンソメを片付けて次に出て来た伊勢海老をほほばりながらつづけた。
「君は僕が脅迫状を比較して二個のタイプライターが使用されていると云つたのをおぼえているかい。(誰を疑う? 第一回参照)あの時、僕がふと心に思い浮べたことがあるのだ。それは、同一の犯人が二個のタイプライターを使用しているのではなく、人間が二人いるのじやないか、ということだ。これはあとで考えると誤りで、打つたのは林田一人で全く二個のタイプライターを偶然使用したのだつたが、偶然にも僕の思いちがいは、かえつて発覚を早くしたのだ。僕は、一つの方を、はじめからの脅迫犯人のもの、他の一つを秋川徳子の殺害犯人のものと考えた。その時分は里村千代の事件なんか全く知らなかつたのだから、はじめのオフィスへ来た奴と五月一日云々のそれとは発信人が全くちがうと考えたんだが、今から思うとうまいスタートだつたよ。コナン・ドイルはかつてオスカー・スレーター事件を論じた説の中で『誤まれるスタートを切つた捜査が真犯人を捕え得るプロバビリティは殆どない』という事を主張しているが今度の事件はそのはなはだ少い例外の一つだつた。
「ところが僕らが迷宮に入つている所へ、四月二十日の事件が起つた。あの事件の直後、僕は次の確信を得たのだ。
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一、犯人は四月十七日の殺人犯人と同じだ。
二、犯人は男である。
三、犯人は佐田やすを生かしておいては危険だと感じたのだ。
四、犯人は駿太郎を誘い出し得る位よく顔を知つている男だ。
五、殺人直後に発見されても人から怪まれぬ条件をもつている人だ。
六、レコードのトリックから考え
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