云いはしまいという自信。もう一つは、ああ云つてもまさか僕が、じや、えんりよしてくれ、と云うはずがないと考えたんだ。これは今までの例によつて彼には充分判つていた筈だ」
「それはいいとして一体林田はそこでどうしようとしたんだね」
今度は検事が口を出す。
「そうさ。まず僕の考えは、やす[#「やす」に傍点]を庭に出しておいて一刻も早く片付けてしまおうというわけだつたのだろう。おそらく、駿太郎殺害は偶然のチャンスをつかんだのにすぎない。すなわち、僕らがあの室から出て来るといきなりひろ子と駿太郎にぶつかつた。ひろ子は僕がつれて応接間に行く。駿太郎はピヤノの部屋でレコードをかけている。さだ子は二階の自分の部屋にいる。とこう判つているのだ。いいかい、これからがまた大切な点だよ。林田は草笛をきいているから――彼は何も気が付かぬふりをしていたが無論知つていた筈なんだ。――やす[#「やす」に傍点]が庭の森の中に行つたことをすぐさとつた。一刻も早く彼女を片付けなければらならない、自分があとから森の中に行かねばならぬ。それには自分のアリバイを立てておくことが絶対に必要となつたのだ。そこで、彼は実に適当な人間を自分のアリバイの証人にみこんだんだよ。この点さすがは彼だと僕は感服していたのさ」
「君は無論さだ子のことを云つているのだろうが、では一体彼如何なる力をもつてさだ子に、アリバイを立てさせたんだろう」
検事がつつこむ。
「そこだよ。さつきの僕のおしやべりを君はいやな顔をしてきいていたがね。やつぱり君にも判つていないじやないか。僕は云つたろう。第一楽章に恋する女性の心理を利用する[#「第一楽章に恋する女性の心理を利用する」に傍点]というテーマがひびいていると同様に、第二楽章に同じテーマが現れているとね。つまり、この時、林田の用いた方法は、対佐田やすと同じテーマのヴァリエーションに過ぎないよ。彼は、さだ子の伊達に対する恋愛を利用したのさ。
8
「判らないかい。ではまず事実の進行をさきへ物語ろう。林田はおそらく一度二階に上つたに相違ない。そうして多分彼の云つた通り、そこで彼はさだ子と伊達が話している所にぶつかつた。さだ子に用があるから、と云つて伊達にすぐに帰るように云い、林田はさだ子と共に部屋にはいつた。ここまでは林田の云う通りに違いない。(惨死体の項参照)ただそれからが大分違うのだ。一旦部屋にはいつた林田は、何とか用事にかこつけて、さだ子にはそこにいるように命じて素早く誰にも見られずに下りて来た。さだ子には多分伊達に用があるように云つたと思う。それから例のガラス戸の入口から庭にスリッパのまま[#「スリッパのまま」に傍点]外に出た。途端に、駿太郎に見付かつたんだ、無論林田を見て駿太郎が驚く筈はない。しかしこのままほつておけば林田は万事きゆうすだ。そこで窓の下から声をかけて面白いことがあるからいらつしやい位の事でさそい出したんだよ。その時レコードをそのままにしておくこと、ドアをちやんとしめて来ることを注意した。駿太郎はこの注意を忠実に守つたわけなのだ。駿太郎が出て来ると彼は東側にやすがいることを知つているので駿太郎をつれて西の側に行つた。森の中にはいるや否やいきなり石をとつて不意打を食わしたんだよ。駿太郎はウンともスンとも云わず昏倒する。これを見て彼はいなづまのようにやす[#「やす」に傍点]の所にかけつけた。この時やす[#「やす」に傍点]は早川辰吉に別れたばかりで多分林田が駿太郎をつれてこつちに来るのを見ていたかも知れない。しかし無論自分の危険に気がつかなかつた。駿太郎の殺されたのだつて暗い森の中だから気がつかない。林田が来たのでむしろ安心してヌッと顔を出した所を、いきなり首をしめたのだ。やす[#「やす」に傍点]はもがきながら死んだわけだ。彼がレコードをかけつぱなしにし、ドアをしめさせておいたのはできるだけ長く駿太郎が部屋の中にいると思わせ、従つて犯罪の発覚をおくらせるつもりだつたのだろうと思う。ところが意外に駿太郎消失の発覚が早かつた。やす[#「やす」に傍点]を殺した後で、彼は森の中ですぐ駿太郎の所にもどり死体に細工をしている間に、家の中でわれわれがさわぎ出したのさ。彼は非常な危険に身を曝露したわけだ。われわれが一体どつちに行くか見ていて、一同が玄関にまわつたと見るや否や彼は全速力で反対の側すなわち台所の方にまわりあそこから上つた。その時、土のついたスリッパを脱いで別なのにはきかえ、いそいで二階のさだ子の部屋に戻つた。でここで彼は重大なせりふを云つた。これはさつきさだ子にもきいてたしかめたのだが。僕の察した通りだ。『さつき伊達に思い出した用があつてあとから下に下りたが見付からない。それで戻ろうとして家の中から庭を見ると、伊達らしい怪しい男が庭の方に歩いて行く。あとをつけようとしたが暗くてわからぬので断念したが、どうも伊達のようすがおかしい。しかし、私はあなた方に好意をもつているのだからこれは秘密にしておいてあげる。またあなたも知らぬ振りをしていらつしやい』こういうことを云つたんだ。その途端、僕が庭から声をかけたので、彼は何くわぬ顔をして二階から顔を出したのさ。そうして今度はまつすぐに下りてまたスリッパ[#「スリッパ」に傍点]のまま庭に出て来た。この騒ぎをきいて、さだ子はぎよつとする。もしや……伊達が……と疑う。この疑いはすでに第一回の事件の時に、さだ子の心には多少あつた。彼女が、十七日の夜、自分の書斎に伊達が一人でいたことをかくしていたのは無論、多少ともこの疑惑があつたからさ。今度の第二回目の事件でいよいよさだ子は伊達を疑い出した。ここで、順序がちよつととぶが、林田のアリバイをもうすこし説明しておく。
9
「彼は、僕が死体を発見して庭からどなつた途端、二階のさだ子の部屋の窓から首を出している。これで外見では立派にアリバイが立つたわけだ。実は彼は一度危機に迫つている。それは小川君とひろ子が駿太郎の行方を探して、階段の中途まで上つて駿太郎の名を呼んだ時だ、(第二の惨劇第七回参照)もしあの時二人がほんとに二階に上つてさだ子の部屋まで行つたらそこに林田のいないことが判つたはずだからな。が、あの際二人が二階まで上らなかつたことは極く自然なことで手おちとは云えまい。さて林田は、惨劇がおこつた後、如何にしてさだ子に沈黙を守らせるべきか、ということを考えた。しかして彼は実にこれを巧みに遂行してしまつたんだ。君はおぼえているだろう。第二の惨劇の直後われわれは日本座敷に集つている秋川家の家族に会つた。
「その時僕はあの当時の家族の行動をきいた。『さだ子さんは、この騒ぎの時上の部屋にたしかにずつといたんだね』と僕がかなり無遠慮に質問をした。すると、その刹那さだ子が赤くなつて下を向いたことを君はおぼえているかい。しかしてその時、林田が『ああ、さだ子さんは、僕と話をしていた。さだ子さんの部屋でいろいろ質問をしていたんだよ[#「いろいろ質問をしていたんだよ」に傍点]』とあつさり答えたものだ。(惨死体第五回参照)ねえ、この一ことは非常に重大な役割を演じたのだぜ。林田はこの一言でさだ子のアリバイを証明してやつたと同時に実は自分のアリバイを証明し証人としてさだ子を暗にあげているわけなのだ[#「林田はこの一言でさだ子のアリバイを証明してやつたと同時に実は自分のアリバイを証明し証人としてさだ子を暗にあげているわけなのだ」に傍点]。これに対してさだ子が『いいえ』というようなことは絶対にあり得ない。敏感な彼女は、この一ことで早くも、ははあ、ほんとに林田は自分達を庇つていてくれる。伊達のことを云い出して伊達が疑われれば無論自分も疑われるに違いない。それで林田は自分のアリバイを証明してくれているんだ。とこう考え、全く林田の術中に陷つてしまつたのだ。その効力は早速、すぐあらわれて、彼女は全然沈黙を守り、林田を疑うどころか全く信頼し、心ひそかに伊達を疑い出したのだ。そうして皆のようすが伊達を疑い出したらしいので、堪りかねて『皆さんは伊達さんを疑つていらつしやるのでしようか』ときいた。しかもこの質問は、彼女のすぐそばにいた僕に対して発せられず、一番はなれていた林田に向つてなされた。(藤枝の観察第二回参照)あの信頼や恐るべしだね。ちよつと嫉きたくなる位だつたよ」
藤枝はちよつと冗談を云つて笑つた。
「ふん、君の説明で大体よく判つた。しかし林田ともあろう者がしたことにしては大分手ぬかりがあるね。君はさつき、レコードをかけつぱなしにさせたのは駿太郎の消失の発見を少しでも長びかせるつもりだつたと云つたのに、事実は予期に反して、逆な結果を生んだが、あんなのは林田にも似合わぬ手おちじやないか」
高橋警部がきき出した。
「うん、それについてはかつて大凡の意味を小川君には云つてある。林田は第一の犯罪を完全に行つた。しかし第二の犯罪は派手にはやつたが、大分不完全に行つている。いや手ぬかりだらけだ。これは林田の心理上の問題だよ。(殺人交響楽の項参照)彼はやす[#「やす」に傍点]の心理状態を誤解した。その結果、急に第二の殺人を行うことになつた。その必然の結果として第二の殺人は不用意だつたのだよ。君に云われるまでもなく、林田はもつと、とんでもない危機にぶつかつている。全く偶然に逃れたのだが彼は早川辰吉が庭の中にはいりこんで来るとは想像しなかつたのだ。僕の考えに従えば、彼は辰吉がやす[#「やす」に傍点]の紙ツブテに従つてポストのかげにかくれていることを予期していたのだよ。
10[#「10」は縦中横]
「林田のプランはこうだつた筈だ。まず草笛のサインでやすが庭の暗い所に行く。それをあとから行つて、ただちに扼殺する。この間早川辰吉は馬鹿な顔をしてポストのかげにかくれて待つている。そのうち、家の中で事件が発覚すれば、ただちに周囲が警戒され、従つてこの際、辰吉が怪まれて捕まる。いや辰吉が捕まらないでもともかく、自分には危険が来ない。とこういうのが彼の計算だつたのだ。ところがこの計算が外れて辰吉が邸内に侵入した。それが為林田は、早川辰吉に、自分が庭に出る所を見られている。ただ辰吉が狼狽していたために彼をはつきり認めなかつただけで、実は林田に取つては、興廃この一挙にありという所だつたんだ。しかるに全く偶然にも彼はこの危険を脱出した。と同時に、危険が一変して安全となつちまつたんだ。見給え、高橋警部は、侵入した早川辰吉を今まで怪しんでいるじやないか。実際あのきわどい所をうまく逃れたのは全く林田の悪運の強い所だつたんだ。さてそこで、元に返つて林田の行動を話そう。彼はさだ子の部屋で、僕の呼ぶ声を聞くとあわてて飛び出して来て、二つの死体を調べはじめた。それから警部刑事が来てからずつとガラス戸の入口からはいつて行つた。この時、警察の人々は庭、僕と小川君は裏門の方を廻つていた。林田は誰にも見られぬようにピヤノの部屋にはいる。はいつて見ると幸にも庭に面した窓のブラインドがかかつていて外から中が見られぬようになつている。これは、ひろ子が何の意味もなくやつたことだつたが(藤枝の観察第三回参照)彼にとつては中々有意義だつた。彼はそこでパデレヴスキーのレコードを取つてハンカチか何かで、はじめの方を極く僅かきれいに拭い、そこまでしか針が進んでいなかつたように見せた。だからあとになつてからあのレコードから僕と林田の指紋が出て来たはずなんだよ。(殺人交響楽の項参照)そうしておいて、日本座敷に来り、今云つたさだ子のためにアリバイを立証して、自身を守つた後、ひろ子に土のついたスリッパの話をして(藤枝の観察第四回参照)さつさと秋川邸を出て行つたのだ。どうだい。これで、第二の惨劇の説明ができたつもりなんだが」
プカリと煙を吹いて藤枝は一座を見廻した。
「うん、よく判つた。それにしても腑におちない所が三つある。第一に何故林田は駿太郎の死体にあんな細工を加えたか。第二、レコードのトリックは何を意味するのか。第三、
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