魔になるといけないと思つて、さだ子の室を出て警部らの活動に見入つていた。
間もなく検事がやつて来て藤枝と暫く話をして行つた。
夕方、六時に一同警察に集つてくれ、そこですべてを説明する、という藤枝の言をたのしみに、私はその時間に警察へ行つたのであつた。
藤枝の説明
1
「余りに複雑で、余りに深刻で一体何からお話したらいいか、僕にもちよつと判らないんだが……」
五月三日午後六時すぎ、牛込警察署の一室で、奥山検事、高橋警部、木沢、野原両医師及び私を前にして、藤枝真太郎は、得意そうにエーアシップの煙をゆるやかに吐き出しながら語りはじめた。
「事件の原因、何故に林田英三が秋川一家をあんなに呪つていたか、ということ、及び事件進行中のあの一家族の者の心理状態、更に如何にして僕が、犯人は林田であるとつきとめたか、左様なことは全部あとまわしにして、まず第一に林田英三が如何なる方法であの恐ろしい犯罪を行つたか、ということを述べて見ようと思う。
「彼に、あの殺人を行わせた直接のきつかけは云うまでもなく里村千代の秋川駿三宛の脅迫状である。しかしてその犯行のもう一つの直接の動機は、秋川一家族の、あのいかにも複雑した暗い状態なのだ。
「ひろ子の語るところによれば秋川駿三が無名の脅迫状を受け取つたのは昨年の八月だつた、というが、(ひろ子の話第二回参照)それはひろ子がそれを発見したのがその頃だということを示すにすぎない。だから僕は、もつとそれ以前から千代があの脅迫状を送つていたと考えていいと思う。千代は昨日からの調査によると一昨年夫に死に別れて貧困になげこまれて苦しんでおり、娘がタイピストに出たのも一昨年だというから、少くも昨年のはじめにはもうあの三角印の封筒が駿三宛に送られたと思つていいだろう。
「駿三には千代の遺書にある通り過去がある。彼はこの脅迫状を度々受けとつてどうしたか。警察に訴え出る気にはなれなかつた。それをするにはたとえ時効にかかつているとは云え、浅ましい過去の犯罪――しかも姦通といういまわしい犯罪を云わなければならないのだ。そこで彼はどうしたか。最初のうちこそ一人で悶々としていたかも知れないが、ついに思い余つてこれを世界中でたつた一人の人間につげた。おそらく彼は万事をその男に自白してしまつたのだろうと思う。そうしてその男の助けを求めたのだ。その一人というのがすなわち林田名探偵だつたのだ。僕の想像によれば、脅迫状は全部林田の手に渡つている。従つて駿三の身辺からは決して発見されないわけなのだ。(ひろ子の話第二回参照)
「しかして、駿三には里村千代という存在は必ずしもはつきりしてはいなかつたろうと思う。ともかくも、伊達捷平夫婦に関係のある者にちがいないと信じ、ほんとうに恐怖していたに相違ない。ところで、彼が万事を打ちあけてたのんだ探偵林田英三という男が、また運悪くも、秋川一家に深い恨みをもつている人間なのだ。この恨みについてはあとで述べる。
「林田は、自分以外に秋川一家を呪つている者があるということを知つてチャンス至れりと感じたのだろう。彼はまずその人間を、巧みにあやつるべく考え、ただちにこれが誰人なりやを捜査した。彼の腕をもつてすれば里村千代をつきとめることは何でもなかつた筈だ。おまけに、材料は駿三の自白によつて、全部手にあつたわけだから。
「彼は少くも昨年の十月には里村千代に電話の通信をしている。用心深い彼のことだ。決して会つたり、手紙を出したりはしなかつたろう。千代の自白の如く、何人とも知れぬ男が、ああしろこうしろと命令したにちがいない。無論『僕も秋川一家を恨んでいる人だ』位のことは云つている。こうやつて、あのヒステリーの女をけしかけたのだ」
2
「ちよつと待つて。成程、そうすると秋川駿三は世界中で一番危険な人物を、よりによつて頼りにしたわけになるのだね。それにしても、昨年の十月に林田が里村千代に通信した、ということがどうして君に判るのだい」
今までだまつて聞いていた検事が突然口を出した。
「それは例の、さだ子宛の脅迫状さ(ひろ子の話第三回参照)長女ひろ子に来ずに、次女のさだ子――このさだ子は後にもいうがおそらく駿三がよその女との間に作つたというちよつといわれのあるさだ子に、十月に脅迫状が来ている。これは決して偶然ではない。またもし里村千代ならこんなまねはしない。あの女の自発的な考えなら、三人の娘に一度によこす筈だ。何故里村千代が特に腹のちがう次女に脅迫状を送つたろう。云うまでもなくこれは林田の智慧なのだ。つまり林田が里村千代に特に次女にあててのみ脅迫状を送れ、と命じたのさ。ここに林田の殺人シンフォニーのまず第一絃が弾ぜられている。特に次女に来た[#「特に次女に来た」に傍点]ということで、僕らは、すでに妙な疑いをもち、危く迷路にみちびかれるところだつたじやないか。用意周到な林田はわれわれのすべてが経験した如く、あの一家族のすべての者に嫌疑を向けさせている。これは無論、秋川家の状態がノルマルでないということによるけれど、あの男のすばらしい頭脳によるに非ずんばああはいかなかつたろうよ」
「では一体第一の殺人事件を彼はどう行つたろう」
私は早く藤枝の説がききたくて堪らず思わずこう云つてしまつた。
「じやまず四月十七日の事件から話そう。この日の林田の活動振りはこうだ。あの日、秋川徳子は頭痛が烈しくて休んでいた。ひろ子は僕宛の手紙を書いてそれから、午後いつか小川君に話したような自動車のえらび方をやつて僕のオフィスに来た。(藤枝の観察第四回参照)ちようどあの午後秋川駿三が林田を訪問している。これはいつか小川君に云つた通りだ。駿三はそこで一体何を物語つたか、二人共今は死んでいるのでまるで判らないけれど、恐らく家庭の話をしたに相違ない。この時、徳子が頭痛で苦しんでいると駿三が告げたことだけは確かだ。
「そこで林田はチャンス来れりと思つたのだ。徳子の薬を西郷薬局に必ず注文する。それにチャンスがあつたら、手早く劇薬とすりかえようという魂胆さ」
「しかしあの時、駿三は、徳子の薬を、さだ子がすすめた事を知つていたかね。彼は全く知らなかつた、と供述したようだが」
検事が云つた。
「うん、そうかも知れない。ただ林田が、ことによるとそういうことになる、西郷に薬をとりに行くことになりやしないか、と感じたんだ。無論さだ子がすすめたことは知らなかつたろうね。云うまでもないことだが、彼は何もあの日殺人を行う必要はなかつたんだ。ただチャンスさえあればいつでもやろうと考えていたのさ。駿三の物語がことによるといいチャンスが来るぞ[#「ことによるといいチャンスが来るぞ」に傍点]と思わしたにちがいない」
「それで駿三が帰るとすぐ出かけたわけかね」
警部が口を入れた。
「いや、出かける前に面白いことをやつている。すなわちひろ子をおどかしたのだ。ひろ子は一体どこへ行つたか、これが知りたかつたのさ」
私はこの時、あの日ひろ子の所へ来た脅迫状とあの電話を思い出した。
「では彼は如何にしてひろ子が僕のオフィスに来たということをつきとめたか」
藤枝はおもむろに云つて、煙草の灰を落した。
3
「これには二つの解決がある。一つは、ひろ子が朝僕にあてて手紙を書いていた所へ、さだ子が来た。さだ子に見られてはいかんというのでひろ子は不注意にもその封筒の上に吸取紙をかぶせたと云うことだ。ねえ小川君、そうだつたろう」(第一の悲劇第四回参照)
「うん、うん」
「これは全く犯罪学者ひろ子にも似合わぬうかつ[#「うかつ」に傍点]千万な話だつた。吸取紙位、たしかに宛名を他人に暴露するものはないからな。そこでさだ子とひろ子が仲が悪くて、さだ子も姉の秘密を知りたがつていたとすれば、さだ子があとで姉の室に入り吸取紙を見て、父にそれを告げ、駿三が今度林田にそれを語つたとする。午後ひろ子が出かけたと云つたのでそこは林田のことだ。僕の名を知つているのだからひろ子が何か頼みに行つたと見たのだ。
「そこで、泉タクシーに電話をかけて念をおした。同時に彼はかねて探り出していた里村千代に電話で通信して、敷島ガレーヂにさぐりを入れさせ、たしかに僕のオフィスのそばに来た事をたしかめると、ひろ子の来ている頃に千代にあの妙な電話を僕の所にかけさせたのさ。里村千代は僕が何者だか判らないから、すぐ出た小川君を僕とまちがえてからかつたわけだよ。これが一つの考え方。もう一つの考え方は、さだ子は全然関係がなかつたという見方で、ひろ子が出かけたと知るやいきなり、彼が泉タクシーへ電話をかけ、次いで敷島ガレーヂへあたりをつけてきかせ、僕のオフィスの近所で車がとまつたときくとすぐに僕のことを思い出して、ハハァ、とひろ子の行先をたしかめたというのだ。ともかく妹が姉の部屋にはいつてそつと吸取紙を見るということはかなりはしたない[#「はしたない」に傍点]ことだから、さつきさだ子に詰問することは出来なかつたが、以上いずれにせよ、林田は間に里村千代を使つて、ひろ子の行先をたしかめたのさ。そこでいよいよお出かけという段取りなのだが、その前にもう一つあくどいまねをしている。カカルトコロニイルベカラズ云々というあの拙い文章の脅迫状ね。あれを御自身でタイプライターで打つて往来から僕のオフィスに使をよこしたんだよ。彼がことさら下手な文章を書いたのは里村千代らしく見せたのさ」
「ではあの脅迫状は千代が書いたのではなかつたのか」と私が思わず云つた。
「無論だよ。あればかりじやない。僕らが現認した脅迫状は全部林田がよこしたものだよ。千代が娘に打たしたのは十七日以前までのもので、これは皆駿三から林田の手に渡つている。
「で、いよいよ劇薬すりかえの一幕だ。林田はみずから昇汞を包み入れて出かけた。この薬は無論自分でもつていたものだろう。ちようど僕がうちに毒薬劇薬をもつているように、こういう職業の者には決して不思議でない所有品だ。林田はそれをもつてブラリと出かけた。何処へ出かけたか。云うまでもなく西郷薬局の附近だよ。彼はもしチャンスがあつたら何とかしようと思つていたのだ。これは度々くどく云うけれど大切な所だよ。彼の犯罪は何もあの日に限つたことじやないのだ。ここに彼の強味がある。彼はそうしておそらく秋川邸か薬局の附近に目立たぬように見張りをしていたのだ。
「するとここに彼の予算に入れてないことがおこつた。それは女中が薬局に入ると、彼は自分以外に妙な男がやはり女中を尾行しているということに気がついたのだね。云うまでもなくこれは早川辰吉という青年さ。辰吉と女中すなわち佐田やすは二人で公園のような所へ行つてひそひそと語り合つていたがまもなく去つた。彼はここでチャンスが来た、と感じた。林田はそこですぐ佐田やすを捕えたのだよ。
4
「さて、この二人が今死んでしまつているから正確なことは判らないけれども、後に起つたことから大体こういう会見だつたと推理するのが正しいと思う。林田はいきなり佐田やすをおどかしたに違いない。今の男は一体何者か、とやつたんだね。ところでやす[#「やす」に傍点]はこれに対して何と答えたろう。……ねえ、やすは一体辰吉をすいていたのかね、嫌つていたのかね」
「無論、嫌つていたさ。判り切つてるじやないか」と高橋警部が云う。
「いや、僕は必ずしもそうは思わない。むしろあの男に惚れてたんじやないか、と思うよ」
と私が云つた。
「そこだて、この点が面白いのさ。御両所の説は共に正しく同時に正しくないのだ。かつて小川君にこの所が面白いのだと云つたことがある。やすは辰吉を嫌いながら好いていた[#「嫌いながら好いていた」に傍点]んだよ」
「そんな事があるかしら」
警部と私は異口同音に云つた。
「そうとも。世界中に夫婦は何組あるかしらぬが世界中の妻にきいて見給え、三分の一は夫を全く好いているし三分の一は全く嫌つている。残りの三分の一は好いて同時に嫌つているよ。いや、このパーセンテージはもつと多いかも知れない
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