幼児は大きくなつて、父の仇を討つつもりである一家の人々を鏖殺《おうさつ》せんとした。彼は亡き父の為に他人を殺したつもりでいた。ところが実はそうでない。他人と思つたのが実は肉親なのだ。血族なのだ。血に狂つた彼は、肉親だと思つていた父が実は赤の他人だとは全く気がつかなかつたのだ。殺人鬼! そうだ。彼は殺人鬼だ。しかしこの殺人鬼はあわれにも、地獄からの呪いのおもちやにすぎない。彼は、父の仇をうつつもりで全く他人につかわれていたのだ」
この物凄い物語りを藤枝は何故か必死になつて語つた。
林田は物語の間、全く驚いたようすをしていたがしばらくして急に、爆発したような声で笑いはじめた。
「あはははは、君もずい分空想家だね。どこからそんな空想を考え出したのだい」
「空想じやない。僕はこの事実を知るためにわざわざこの間旅行して来たんだ」
「そんな馬鹿げた話があるものか」
「いや、断じて馬鹿げた話ではない」
「ノンセンスだ」
「断じてノンセンスではない」
二人は掴み合わぬばかりにムキになつている。私には一体何で二人がこの問題にこだわつているのか、さつぱりわけが判らぬ。
彼らの話は、どうしても伊達正男のことを云つているとしか思われない。やつぱり真犯人は彼だつたのか。それにしても、藤枝の説によれば、伊達の実の父は秋川駿三となり、林田に従えばやはり捷平になるのだ。なるほど、事件の暗さには関係するが、犯罪そのものにはまるで関係のないことではないか。
私には、名探偵ともあろう二人が、こんな些細なことをムキになつて論じ合つている理由が少しもわからなかつた。
「君は今そう云つているがあとでよく考えて見給え。ゆつくりと一人で考えて見給え。僕の云つたことが正しいということが判るよ」
「何を馬鹿なことを云つているんだい、君は、君こそそのまちがいをさとるよ」
二人はまだ同じことを云い合つている。
気まずい沈黙がしばらくつづいた。
「では、これ以上、君に云うことはない。君が僕の説をどうしても容れない以上、僕は僕の勝手な行動をとるよ」
藤枝は立ち上つたがやがてポケットから一つの封書をとり出した。
「ここの中に僕の云つたことを立証すべき書類がすつかりはいつている。ゆつくりとよんでくれ給え。ではこれで失敬する」
林田はだまつてこれを受け取つた。
二人は不機嫌のままで袂を別つた。
一体、二人はいらざる口論をしていて、いつになつたら真犯人を捕える気なのだろう。
われわれは林田の家を出るとすぐ別れた。
これで五月二日の事件は終つた。
6
五月三日の朝早く私は藤枝にねこみをおそわれた。と云つてもこの朝、私はめずらしくね坊をしたのでおきて見ると七時だつた。
「おい、これからもう一度林田を訪問するんだ。君一緒に来いよ」
藤枝[#「藤枝」は底本では「林田」]はただならず興奮している。
「何だ。また議論かい。昨日の議論のつづきかい。ノンセンスだ。いや断じてノンセンスではない! のおさらいかい」
「馬鹿なことを云わずに早く出て来たまえ。さつきから林田の家に電話をかけているんだがどうしても向うが出ないんだ。秋川の家にでも行つてるかと思つて今かけたが、そつちにもいないらしい。ともかく一緒に来い」
「だつて留守じや……」
「留守だか何だか判らないんだよ、電話に家人が出ないというだけなんだ。さあさあ、さつさと出かけるんだ」
何のことやらわけが判らないがむやみと藤枝がせき立てるので私も手早く支度をしてタクシーをよびすぐに林田の家へといそいだ。
田舎まる出しの女中が出たが、主人はちよつとまえに出かけたということ、電話は書斎の方につなぎつぱなしになつているが一向ベルがならなかつた、というようなことを語つた。
藤枝はこれをきくと、すぐ林田の家を出たが、あわてて流して来た円タクをよびとめて秋川邸へといそがせた。
「奴、受話器をはずしつぱなしにして出やがつたな」
彼は車中でたつた一言こう言つた切り、何も云わない。
秋川邸につくとすぐ笹田執事が出て来た。
「林田君が来たでしよう」
「はい、ちよつと前に見えました」
「どこにいます」
「お二階のさだ子様のお部屋に……」
「何、二階のさだ子さんの部屋?」
彼はこういうと、紐をほどきにかかつていた靴をぬごうともせず、そのまま中にとび上るといきなり私の腕をつかみながら驚く笹田執事をつきのけてまつしぐらに階段をかけ上つた。
さだ子の部屋の前まで行くと、藤枝はノックもしないでドアのハンドルに手をかけて開けようとしたが、鍵がかかつているのか、ビクともしない。
瞬間、藤枝の顔にサット不安の色が漲《みなぎ》つた。その途端中からさだ子とおぼしき叫び声がきこえて来た。
「あれえ、誰か、誰か来て」
つづいて部屋の中で取組合でもはじまつているような音がきこえる。
藤枝の顔はもう全く死人の色だつた。
「小川、小川、たたつこわすんだ、この戸を! この戸を」
こういいながら彼は満身の力をあつめて戸に身をぶつけている。
腕力にかけては憚りながら自信のある私だ。柔道剣道できたえた身体の、骨もくだけよ、とばかり体は戸にぶつかつた。
物音をきいてひろ子が向うの部屋からとび出して来る。笹田執事もつづいて下から上つて来た。
必死の奮闘で、戸はめりめりとこわれはじめた。そのすきまから藤枝はちよつと中をのぞいたが、いきなりそこから手をつつこんでドアの鍵をはずすと戸はサット開かれて、われわれはころがるように中にとびこんだ。
その刹那、向うの窓ぎわに立つていた林田の身体がふらふらとしたと見るまにくずれるように床の上に仆れてしまつた。
テーブルのそばの椅子から半分おちかかつてさだ子が死んでいる。
7
藤枝はいきなりさだ子のそばにかけよつたが大きな声で叫んだ。
「間にあつた。大丈夫だ。ショックだよ。ショックだ。大丈夫回復する。早く医者を、医者を! それから警察へすぐ電話をかけるんだ」
なるほど、ここの家で人が仆れていれば、大抵皆死体だつたので私はさだ子も死んだのかと早合点したが、彼女はただ気を失つているだけのようである。
「ここをしめられたんだが、大丈夫助かるよ」
藤枝はさだ子を抱きながら彼女の咽喉部を指した。
「君、林田はどうしたんだ」
「うん、毒をのんだらしいがもう駄目だろう。手をつけないでほつておき給え」
藤枝が、冷淡にそういいながらさだ子をしきりと介抱している。
急をきいてかけつけた木沢医師はただちにさだ子をその寝室のベッドにうつして応急の手当を施したが、藤枝の予言通り、まもなく意識を回復したらしい。ここへかけつけたのが高橋警部の一行である。警部は引きつづく事件に、八ツ当りのきみで、さだ子の書斎にはいりながら、
「藤枝さん、どうしたのです。今度はさだ子と林田君がやられたんですか」
「高橋さん」
藤枝がにやにやとしながら云い出した。
「しかし御安心なさい。これが秋川家に於ける最終の悲劇ですから」
「最終?」
「そうです。以後こんな事件は断じておこりません。何故ならば犯人が死んだからです。高橋さん、私は秋川一家を呪う殺人鬼[#「秋川一家を呪う殺人鬼」に傍点]、稀世の天才犯人林田英三の死顔を改めてあなたに御紹介するの光栄を有することを喜びます[#「稀世の天才犯人林田英三の死顔を改めてあなたに御紹介するの光栄を有することを喜びます」に傍点]」
藤枝の声は魔法のようにひびき渡つた。
いあわす人々、高橋警部をはじめ、ひろ子も笹田執事も刑事たちもしばらくポカンとして一言も発し得ない。
「私には何のことかさつぱり判らん」
やつと警部が一言云つた。
「今すぐ判るようになりますよ。ああ、さだ子さんはもう回復したでしよう。木沢さんがついておられる筈ですから一緒に行つて見ましよう。さだ子さんにきけばさし当り、今日の始末は判ります」
云わるるままに、一同はさだ子の寝室へとはいつた。
木沢氏の説でも、もうさだ子は全く回復して、訊問に堪えるということだつたのでわれわれはすぐに彼女の枕辺にあつまつた。
「あぶない所でした。しかしちようど間にあつて幸でした。御気分は」
「はあ、もう大抵」
「驚きはお察しします。何しろ林田が、いきなりとびかかるとはお思いにならなかつたでしようからね」
「はい、ほんとうにもうびつくり致しましたわ。ではあの方が……」
「そうです。お母さんをはじめ弟さん、妹さんを殺したのは皆あの男です。ただお父さんの死は全く別ですが」
さだ子は、今更おそろしさに身をふるわせたのであつた。
「ともかく、今日の始末をきかせていただきましようか」
はじめて、警部が口を出した。
「はい、今しがたでございます、林田さんが見えまして、警察のことで話があるとおつしやいますのです。私も伊達さんのことが気になりますし、林田先生(といいかけて)あの人を全く信じておりましたものですから自分の部屋にお通し申しました」
8
「今から考えますと、林田さん(彼女はもはや先生とは云わない)の顔色がいつもとは大変違つていたように思われます。テーブルを隔てて腰かけ、女中がお紅茶を二つもつて来て、ドアから出て行つてしまいますと、林田さんは、形を改めて、今日は大変秘密なことを話したいと云い出しました。そうして、ふと、ドアの外のようすをうかがつていられるようでしたが、私に『誰か外にいるのじやないかしら。もしや姉さんが立ち聞きしてはいないかしら』と心配そうにいわれました」
「彼は腰かけたままでしたか」と藤枝がきく。
「はあ、それで私が念の為に、立つてドアをあけましたが、別に誰もおりませんでした」
「ははあ、先生、そのひまにあなたの茶碗に毒薬を入れたんですよ。ねえ高橋さん、あとであそこにある紅茶を調べてごらんなさい。何か判らないが、劇薬がはいつているにちがいありません。……さだ子さん、あなた少しも呑まなかつたでしようね」
「はい、私別にのどがかわいておりませんでしたので」
「林田があなたにすすめやしませんでしたか」
高橋警部が熱心にきいた。
「いくらあいつがあわてたつて、それ程へまなことはやりますまい。それに第一、そんなひまがなかつたろう」
「ほんとにさうでございます。まだいくらもお話しない間に外がさわがしくなつたものですから」
「それにしてもあいつ、いつの間に鍵をかけたのかしらん」
「さあそれでございます。私が林田さんとお話をしようとしていると、その時、今からおもえば先生方なのでしたが、俄かに階段を上つて来る人の足音が聞えたのでございます。それをきくと、林田さんは、サッと顔色をかえて、ドアの所に走りより、中から鍵をかけてしまいました。鍵はいつもドアの内側に附いているのでございます、私は、まさかあんなことになるとは思わず何か余程重大な話がある為に、そういうことをしたのかと思つておりました。するとドアに鍵をかけてもどるやいなや恐ろしい形相になつて(ほんとうにあの恐ろしい顔は今でも目さきにちらついておりますが)いきなり私にとびかかつて両手で私ののどをしめたのでございます。私は余りのおそろしさに、悲鳴をあげたことまではおぼえておりますけれども、あとは全くおぼえがありませぬ」
語り終つて、彼女はほんとうに恐ろしかつた、という様子をした。
きく者一同、ただ固唾をのんでじつと耳をすましていた。
「そうですか。それで大抵わかりました。つまり僕らの来方が間に合つてよかつたのです。彼はわれわれの足音をきいて最早万事休したことをさとり、かねて用意の毒をのんだのでしよう。首をしめられて未だ幸いでしたよ。あの紅茶をのんだら、今頃はもう死体となつているところだつたでしよう。さてと、僕はもう少しさだ子さんとお話したい。木沢さんにはそばにいていただきましよう。高橋さん、あなた方はどうか御遠慮なく、林田の死体の方の始末をなさつて下さい」
今度は藤枝の方で高橋警部らにさつさとこの室を出てくれという勢なので、警部も素直に引下つて現場の取調べに着手した。私も邪
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