き出して、戸びらのように開きかかつているという事実です。僕は、人をよぶことなどは全く忘れて、思わずそこにかけより、鏡に手をかけてぐつとあけると、中に、手紙のようなものがあるのです。妙だな、と思つて見ると、封筒の表には、秋川駿三殿とあり、裏には、伊達かよ子という名が記してあります。この名を見て僕はハツと思いました。これこそかねておじさんからきかされていた僕のなつかしい母の名ではありませんか。僕は夢中でその手紙をとり出しました。と同時に自分の立場の危険さにも気がついたのです。度々おこなわれている当家の怪事件、しかも自分はその嫌疑者の一人である、その自分が今おじさんの死体(?)の側にいるということはどう考えたつていいことじやありません。僕は、こう考えつくと、一刻も早くここにいてはいかん、と思い、その手紙を懐中に入れたまま一散に逃げ帰つたのでした。そして雇人にもだまつてろと口どめしました。逃げ帰つてからはじめて母の遺書というのに目を通したのです。可哀そうな母は、今死ぬという間ぎわに、私のことを、秋川のおじさんに頼んでいます。気の毒な母です。どんな罪を作つた母でも、実に――実に、気の毒です」
伊達は、語り終つて、目を伏せた。
2
「君は手紙を取り出すとすぐまた鏡をもとのようにして戻つたのだね」
藤枝がきく。
「そうです。そうしておかなければ僕がはいつたことがすぐ知れると思つたのです」
「秋川駿三がそういう過去をもつた人間である、ということを、お前はほんとに昨日になつてはじめて知つたのかね」と警部。
「無論です。それまではほんとに何も知らなかつたんです」
「そうかね。たしかに」
警部はやや疑わしそうな顔をしながら藤枝の方を見た。
「お前は気がついているかどうか知らぬが、駿三がお前の父の仇だということが判つたと云うことは、お前の為には決して利益にはならんのだぜ」
「どうしてですか」
伊達はほんとうに気がつかぬというようすでせき込んでたずねた。
「判り切つているじやないか。秋川一家はお前の仇だ。この仇の家の者がだんだんと殺されて行くとすれば、一体誰がまず第一に疑われるのだ。ねえ。もう一つ、この事件はお前が警察に捕まつている間は決して起つていないのだ」
最後の警部のひとことで、私はかつて藤枝が私に「伊達が警察にいる限り、事件はおこらない」と云つたことを思い出した。
「嘘です。嘘です。断じてそんなことはありません。僕が、秋川家の者を恨む理由は何もないじやありませんか」
「ないどころか、大ありさ。秋川駿三はお前の仇だ」
「だつてそりや、おじさんが死んでからやつと昨日知つた事実なんです。それまでは僕何にも知つていなかつたんです」
「それなら、お前は昨日はじめて知つた、という証拠があげられるかね」
「母の遺書です。あれは昨日まで、たしかにあの秘密の戸棚にはいつていました」
「冗談云つちやいけない。母の遺書なんか見なくたつて誰からだつてあんな話はきけた筈じやないか。お前は里村千代という叔母に会つたことはないのか」
「会つたどころか、名をきくのさえはじめてです」
「そうか」
高橋警部はまだ中々満足しそうもないようだつたが、ちようどこの時刑事が、
「検事殿が見えました」
と云つてはいつて来たので目くばせで、一旦伊達をまた留置場に戻した。
そこへ、現れたのは奥山検事だつた。
「高橋君、里村千代という女のようすはどうだい。何だか大分新しい事実が判つたそうだね」
「はあ、大分新事実が現れました。しかしいずれも被疑者には不利なものです。が、ともかく、藤枝君の調査には感服しましたよ」
「やあ君、御苦労様、秋川殺人事件もどうやら大詰に近づいたようだが、君のお骨折りに感謝しなければならんね」
「うん、大詰に近づいたことはたしかだ。たしかに大詰に近づいてはいる。しかしはたしてあなた方の考えている通りの大団円にいくかどうかはまだ判らん……時に奥山君、君は、今日駿三の解剖に立ち会つたかい」
「うん、行つて来た。解剖の結果彼の死の直接の原因は、心臓麻痺だということが判つた。後頭部の外傷が致命傷ではないそうだ」
「そうか」
藤枝は何故か急に晴れ晴れとした顔色になりながら云つた。
「そうか。ではやつぱり僕のテオリーは、まちがつていなかつたんだ」
3
夕方の五時頃、蘆田病院から千代が今息を引取つたという報告があつた。行つていた刑事が、千代の遺書というものをもつて来た。これに書いてあつた内容は既述の通りである。
われわれは、その遺書を見てから、警察を出た。
「藤枝、里村千代が死を以て争つたにもかかわらず、警部は依然として伊達を疑つているらしいじやないか」
「うん、そうさ。里村千代はいつ登場するか全く判らなかつたからな。いつ出て来てもいいように用意がしてあつたのさ[#「いつ出て来てもいいように用意がしてあつたのさ」に傍点]」
「誰が」
「犯人がさ[#「犯人がさ」に傍点]」
私には藤枝のいうことが何のことかさつぱり判らなかつた。
「ところで一旦僕らはここで別れるとしよう。君はどこかで夕めしでも食べて、七時半頃に――いや八時でもいいが僕のオフィスまで来てくれないか。その時分に僕は待つているから」
「そうかい。用があるのかい、じやそうしよう」
私は何となく心残りがしたが、藤枝がこういうので、やむなく彼に別れ、銀座に出た。
銀座で夕食を食べてブラブラしながら時を費した。
その間私は事件をいろいろに考えていた。
藤枝のこの間の急な旅行の意味も大ていわかつた。それにしても彼の腕には驚くの外はない。しかし一体彼は誰を疑つているのだろう[#「一体彼は誰を疑つているのだろう」に傍点]。それからあの昨日の彼のあわて方。いやあわて方といえばあの時の林田のあわて方も著しかつた。駿三が死んだ時、どうしてこの二人がああもひどくおどろいたのだろう。
こんなことを考えているうちに時計はちようど七時半になつた。
私はいそいで彼のオフィスに行つた。
彼は何か書きものをし終つたところだつた。
「うん、ちようどよかつた。今用事がすんだところだよ。さて、いよいよ秋川家の殺人事件も終りに近づいて来た。僕にも大てい犯人の見当はついて来たのだ。それについてこれから是非会つておかねばならぬ人があるのだ」
「一体誰だい、そりや」
「僕の競争者さ。林田英三だよ。奴は一体どこまで真相を掴んだか、というのだ。これから行つて僕の考えを述べようと思うんだ。僕が勝つか、彼が勝つか、両方かつか、または両方とも失敗するかだ」
「彼も昨日は大分あわてていたらしいが」
「そうだ。昨日は僕も彼も大あわてだつた。そのあわて方がはたして同じ理由だつたかどうかを知りたいものだね[#「そのあわて方がはたして同じ理由だつたかどうかを知りたいものだね」に傍点]」
われわれはまもなく車上の人となつた。
あらかじめ藤枝から林田に電話で通告がしてあつたと見え、二人はすぐ小ぢんまりした洋風の応接間に通された。
「や、昨日は失敬、今日はまたとんでもない女が出て来たつていうじやないか」
林田は出て来るとすぐにそう云つた。
「うん、しかし自殺しちまつたよ。だから、充分なことが判らないんだ。しかしね林田君、今度こそ僕はあの事件の真相を捕えることができたと思うのだがね。君にはどうだい、多少はあてがついたかい」
「つかぬこともないさ」
「かつて君に云つた通り、今やわれわれは同盟するか、争うかだ。いずれにしても僕は自分の手にあるトランプを君に示す方がいいと思う。ね、君、ききたまえ。僕は秋川殺人事件の原因をまずはつきりとつかんだよ。
4
「犯人の殺人の動機が何であろうとも、今まで展開された事実でわれわれはもつと早く犯人を名指すことができた筈だつたのだ。それに気がつかなかつたのは、全く僕の力が足りなかつたのだが、今や僕は犯人のあの恐ろしい犯罪の動機を知り得たのだよ」
勝ち誇つたように藤枝は競争者林田英三の前に胸を突き出して云い切つたのである。
「うん、御同様だ。この僕にもその動機ははつきり判つている」
案外にも林田は少しもおどろかずに答えた。
藤枝は、これを見て何と思つたかいささかあわて気味にたずねた。
「では君もまたあの殺人の動機を知つているのか」
「うん、やはりそれを知つたのは最近のことだが……そうだ、ちようど君がどこかに旅行している時……あの頃になつてやつと判つた」
「ではきく、僕も云うから君も云つて見たまえ。秋川一家に対する犯人の呪いは……」
「遠き過去に因縁話をもつ宿命的な呪いだよ[#「遠き過去に因縁話をもつ宿命的な呪いだよ」に傍点]。そのはじめは姦通劇さ」
林田はズバリと云つて藤枝の顔を見た。
藤枝はしばらくあつけにとられたように林田の顔を見詰めた。
「そうか。君も知つていたのか。その通り、姦通劇にもとを発した恐るべき呪いだ。犯人はその呪いから秋川一家に烈しい復讐を試みたのだ」
「犯人はしかも極めて頭がよく働いた。藤枝君、われわれが出会つた人間の中で今度の犯人位悪魔のような働きのある奴に出くわしたことはない」
「その点は僕も同感だ。全く! しかしだ。かの悪魔の如き天才にもかかわらず、犯人はスタートからして全く錯誤に陷つているのだ[#「犯人はスタートからして全く錯誤に陷つているのだ」に傍点]。林田君、君にはその点に気がついているのかい」
藤枝と林田は今や心の中で鎬《しのぎ》を削つているのだろう。二人は殆どにらみ合わんばかりである。今度は林田が驚愕の色を表わした。
藤枝はどうだ、判つたか、というような調子でたたみかけた。
「いいか。君も知つている通り、この惨劇の遠い源はあるいまわしい姦通劇なのだ。ここにある一家の主人があつて不倫にも人妻に恋をした、その人妻は不らちにもこの汚れた恋を許した。姦夫姦婦はこうやつて不義の快楽にふけつていたのだ。けれどもこの恋は恐ろしい結果を生んでしまつた。妻をとられた夫はとうとうこの関係を探知したのだ。彼は呪つた。恨んだ。しかし結局彼はどうすることも出来なかつた。この不幸な夫婦にはまもなく死という運命が来た。その時、彼らの間にはたつた一人の幼児が残つていた。彼らはおそらくこの子に向つて永遠の復讐と呪いを吹きこんだに違いない」
「そうだ。かかるが故にその子はまず第一に、相手の妻を殺し、次いで息子を殺し、更にその娘を屠り、最後にめざす相手を殺した、ということになるのだ」
「うん、それはそれでいい。しかし彼ははたして、何人に対して復讐したことになるのだろう」
「いうまでもなく、自分の亡き父の為に」
「父の為に誰をやつつけたんだ」
「無論その仇をさ、秋川一家さ」
「林田君、僕はそこにおそろしい錯誤がある[#「そこにおそろしい錯誤がある」に傍点]、というのだ。いや、おそろしい……全く世にも恐ろしい錯誤があると断言するのだ」
「とは一体何のことだい」
林田の言葉は緊張の為にいささか慄えをおびている。答える藤枝の言葉も同様だ。
「妻をとられた夫が、わが子に復讐をふきこむとき、とるべき最も深刻な方法は一体何だろう」
5
林田にはこの問はちよつと判らなかつたらしい。
「ねえ林田君、ここに一人の病身な男がある。彼は自分の妻の不義をだまつて見ていなければならなかつた。彼は相手を呪つた。呪つて呪つて呪いぬいた末に、ここに絶好な深刻な復讐を思いついたのだ。その復讐とは何か。子を父に、弟を姉妹兄弟に、肉身に対して肉身の復讐をすることなんだ。君、彼がわが子わが子と云つて最後まで愛撫し、最後まで仇討をたのんだその幼児は、一体誰の子だと思う? それこそすなわち不義の相手の子だつたのだ。正しくそれは自分の子ではない。自分の妻の子ではある、が、しかし断じて自分の子ではない。不義の相手の子である。彼はそれをよく知つていたのだ。それをよく知つていてその子に、全く自分が父であると信じさせ、そうして他人のつもりで相手の名を幼児の頭にふかくほりこんだのだ。可哀相に、その
前へ
次へ
全57ページ中46ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング