ころが二十五日の午後になつて、また秋川家に電話をかけて、初江という令嬢を呼出している。われわれが君を責めることができるのはこの点なんだ。これについてはおそらく君も一言もあるまい。けれど自分が犯人だなんてそんな馬鹿な自白に僕は乗るわけには行かん。
「で、右の場合に、どうして君が電話をかけたか。ここをはつきりききたいんだが、いずれも、ある男から電話がかかつて来たんだろう? そうして君はその命令に従つていたんだね」
 千代子は再びうなずいた。彼女は藤枝を一体何人と思つているかしらぬが、ともかく、非常におどろいているらしい。
「ところで、では、何故君が秋川一家をそれほど呪つているか、という問題だ。事は今から二十年前に遡らなければならん」
 藤枝はここでちよつとだまつてしばらく何か考えているようであつた。
「君の姉夫婦、すなわち伊達捷平夫婦と、秋川駿三夫婦が今から二十年前に、山口県の今泉という町に住んでいた頃、両家の間にあるいまわしい関係が取りむすばれた。一言で云えば秋川駿三は、不らちにも先輩であり親友である伊達捷平の妻をぬすんだのだ。当時自分の妻の不義を知つていた捷平は重病のため、目の前に不義者らをながめながら、制裁をすることが出来ず、呪いをあびせながら憤死してしまつた。姦婦かよ子はどうしたか。彼女はおそらくは、夫の死後自分の罪のおそろしさに気がついたのだろう。まもなく夫のあとを追つたが、これは実は自殺であつた。かよ子が自殺をした。この時おそらくは彼女は自分の罪をほんとうに懺悔したにちがいない。と同時に、多分、彼女は自分の罪を何らかの方法で書き残した。誰に? これが問題なのだ。誰にのこしたか。今にして僕にやつと判るのは一つは君に、しかして今一つは多分相手の秋川駿三にだつたろうと思う」
「悪魔です! 悪魔です! 駿三は悪魔です!」
 突然、今まで苦しんでいた千代子が苦痛の声をしぼりながら叫んだので、皆思わずはつとした。
「そうだ。無論そう云つて捷平も死に、君の姉も死んだろう。もつとも君の姉はわが身をも恨んで死んだかも知れん。そこで彼女は、過去の罪のつぐないとして、我子正男の一生を秋川駿三の両肩に托したのだ。これは今から思うと実に適当な復讐だつたよ。この時、かよ子は二十八才、正男が五才、君はまだ二十三才の婦人だつた筈だ」

      9

「二十三才と云えば人生の花だ。ことに女の身で処女時代であつた君は、秋川駿三を悪魔と呪つたところで、彼を一生の敵として自分の一生をついやす気にならなかつたのは無理もない。君が心の底で呪いながらも、だまつて秋川駿三が伊達正男を育てて行くのを見ていた。そうして君は里村という男に嫁し、おそらく二、三年までは幸福に暮していたにちがいないのだ。何故僕が、そう思うか、と云えば、この二、三年前までは秋川駿三は脅迫状を君から受けていないからだ。云い換えれば、君は自分の生活に満足して、他人の不幸を望むひまがなかつたと思わなければならぬ。ところが、これは全く僕の想像だが、多分二、三年前に君をある不幸がおそつた。夫が死んだか、あるいは夫が失敗してひどく食うに困るようになつた。いやおそらくは、両方だろう。君は夫の死後、かなり苦しいのじやないかね」
 藤枝に今更云われないでも、彼女のようすを見れば、彼女が決して富裕な生活をしているのでないことがはつきり判るのである。彼女はだまつて肯定した。
「これはいささか空想に近いが、君が脅迫状にタイプライターを用いたところを見ると、君自身タイピストとして働いているか、または娘をタイピストにしていると思われるんだがね」
 彼女のおどろきの表情は、図星をあてられたことを現していた。
「君自身の指はタイピストの指ではない。とすると、娘さんが働いているということになる。ここに夫に死に別れた後家さんが娘をタイピストに出しているとする。彼女は貧しい。娘も貧しい。世の中は渡りにくい。世の中の人が憎くなつた。こうなつた時この婦人は過去の深いうらみを又かみしめはじめ、味わいはじめたのだ。その悪魔のような男はいつのまにか非常な金持になつている。すべての金持が憎いこの女にとつてこの秋川駿三は一層にくい。そこへもつて来てこの女がヒステリー性の人だとすれば、脅迫状を送る位は何でもないのだ。君はそこで昨年から丹念にタイプライターで脅迫状を送つた。君がどうしてあれを打つたか、それは判らない。何も知らぬ娘に打たせたか、何かの機会に自身で打つたか、判らぬがおそらくは娘に打たせたのだろう。娘は母のヒステリーを心配しながらその命令に従つたのだ。すると、君の全く予期しない出来事が起つた。おどかしはいつのまにか現実となつてあらわれた。四月十七日に秋川駿三の妻がまず死に、次に駿太郎と女中とが殺された。君は全く驚いたが心の中では手を打つてよろこんだ、しかし脅迫状はそれから送られなくなつた、この点から僕は君が娘に打たせていたものだと考える。君の娘は、母の命令で打つたタイプライターが意外にも現実となつたので、極度におそれて何と云つても打つことを肯んじなくなつたのだ。第一の事件以後、秋川家に脅迫状が送られているが[#「第一の事件以後、秋川家に脅迫状が送られているが」に傍点]」、無論あれは[#「無論あれは」に傍点]、君の手から送られたものではない[#「君の手から送られたものではない」に傍点]」
 この言葉は、ふしぎそうな顔をしている私に対する説明のようにきかれた。
「ところが、昨日の事件がおこると同時に、伊達正男が捕えられておまけに自白したということになつた。伊達正男は君にとつて可愛い甥だ。これを殺しては大変だ。秋川家に不幸が来るのはさいわいだろうけれど、伊達が疑われようとは君は思わなかつたのだ。それで思いあまつて君は警察にとび込み、伊達の無罪を主張する。一方、自分ののろいの目的はもう達したし、今からかえりみれば今までの罪が余りにおそろしいので、死ぬ気になつたのだ。どうだ君、僕の云つたことは大体に於いてまちがいはないつもりだが」

      10[#「10」は縦中横]

 里村千代子は、藤枝がしやべつている間、身体をもがいて苦しがつていたが、さつき、秋川駿三を悪魔! とののしつたきり一語も発し得ず、だんだんようすが悪くなつて行つた。
 蘆田博士は、眉をよせながら見ていたが小声で、
「どうも思わしくない。いけないかも知れん」
 と警部にささやいていたが、はたしてその夕方息を引取つてしまつた。彼女の帯の間に遺書らしいものがあつたが、それには藤枝が述べたと全く同じ事情が書いてあつた。
 ただこれによつて新しく判つたのは彼女が最近、赤坂の今井病院という婦人科の看護婦としてつとめていたこと、さと子という十七才になる娘が丸ビルのオフィスにタイピストとしてつとめているが、その娘は何も知らずに母の命令で脅迫状をしたためたこと、決して彼女には罪のないこと、それから伊達正男には一回もあつたこともなく、手紙を出したこともないということを記されてあつた。
「なるほど、看護婦をしているのか。それで判つた。犯人が千代子とどこで電話で連絡していたのかということが今までよく判らなかつたのだよ。貧乏人が電話をもつているわけがないからな」
 なお、秋川家の殺人事件に関しては、さすがにはつきりしたことは記していない。自分が犯人だ、と口では云つたものの、全然でたらめを書くことは出来なかつたと見え、遺書には自分が犯人だとは書いてなかつた。ただ何者とも知れぬ男から時々電話がかかり、その男も秋川家を呪つているときいて一緒にやる気だつた、しかしその男に一目も会つたことはないと記してあつた。
 これは、彼女が死んでから、すなわち五月二日の夕方に判つたことであるが、警部はそれまでずつと病院にいたわけではないのだ。
 警部は藤枝が千代子に自分の確信を述べて彼女が一応それを肯定すると、ただちに警察に引かえして、伊達正男を取り調べた。
 警部は、伊達正男に改めて、里村千代子の出現を語り、合わせて藤枝の調査して来た事実を物語つたのである。
「僕も昨日それをはじめて知つたのです。恐ろしい過去です。僕の過去にそんな恐ろしい事実があろうとは全く思いがけませんでした。あの親切なおじ[#「おじ」に傍点]さんがそういうお方とは……もう叔母さんて方は駄目なのですか。一目会いたいような気がします……」
 伊達の顔はいいようのない複雑な表情でいろどられていた。
「僕には大体のことがもうはつきりして来たような気がするんだ。ねえ伊達君、手数をかけないで男らしく事実を云つてくれないか」
 藤枝がきびきびした調子で云つた。
「勿論こうなれば云つてしまいます」
「君のお母さんの遺書という奴ね。一体君はどこにかくしたんだい。家宅捜索で判らなかつたそうじやないか」
「あれですか。ありや僕わざと読みさしの雑誌の間にはさんであつた本屋の広告の間に入れておいたんですよ」
「あはははは。エドガー・ポーの知慧だな。パーロインドレターか。うまいかくし場所だ。ところでそれにはどういうことが書いてあつたかね」
「余程古いもので字もはつきりしていませんが、母の名が記してあつて相手は秋川のおじ[#「おじ」に傍点]さんです。自殺する前に一生の願いとして自分の子をあなたに托す。あなたもすべての罪のつぐないとして立派な男に育ててくれというのです」
 さすがに伊達の声音には沈痛な調子があつた。
「ところで昨日君があのピヤノの部屋に入つた時、秋川駿三はもう死んでいたのかね。それともまだ生きていたかね」

   最終の悲劇

      1

「それが僕にはどうもはつきり判らないのです」
 伊達正男は、ほんとうに困つたという顔をしながら語りはじめた。
「ゆうべ警部さんに申し上げたことは大抵まちがいはないのです。ただ今おつしやつた母の遺書についての点だけを申し上げなかつたのですが、こうなればもうすべてをかくさず申し上げてしまうつもりです。昨日、僕が秋川家に参つた理由は全くゆうべ申し上げた通り、さだ子さんに会いに行つたのです。いつものように裏の階段を通つて二階に上ればこんな間違いはなかつたのですが、ゆうべも申し上げた通りもしひろ子さんに会つたりしてはいやだと思つたのでわざと庭からまわつたのです。庭の花壇のところからさだ子さんの窓が見えるのでそこから声をかけてさだ子を呼ぶことにきめたのであります。
「それで花壇の所に行つて家の方を見ますと、窓にさだ子さんの姿は見えません。ふと下のピヤノの部屋を見ますと誰か人かげがします。ことによるとさだ子さんではないか、と思つて私はそつと窓の方に歩いてまいりました。まえにも一度さだ子さんがピヤノの部屋にいるのに出会つたこともあるのです。窓の外までまいりましたが中がよく見えませぬ。おぼえていらつしやるでしようが、昨日僕があの家に行つた頃はもうかなり暗くて、庭ですら少々くらい位でした。ですから外から部屋の中を見るということはかなり困難だつたのです。そこで僕はえんりよなく窓の所にまいり、両手を窓のふちにかけてのび上りました。つまり、自分の顔だけ、窓から上に出して中を覗いてたわけなのです。すると、どうでしよう。その刹那、今まで中に立つていた人が、アツと叫んだかと思うと、ドタリと仰向けに仆れてしまつたのです。僕ははじめてその瞬間にそれが秋川のおじさんである、と知つたのでした。無論、このまま逃げ出すべきところではありません。僕はおじさんが急病にでもかかつたのだと思つて、すばやく窓から中にとび込みました。靴は短靴でしたのですぐぬぐことが出来たのです。仰向けに仆れているおじさんのかたわらにかけよつて介抱しようとしてその顔をのぞきこんだ時、僕は再び驚きました。僕は生れて今まであんな物凄いおそろしい顔を見たことがありません。介抱しようと思つてかけよつた僕は余りの恐ろしさに思わずそこに立ちすくんでしまつたのです。ところが、この時、僕は妙なことに気がつきました。それは、僕が立ちすくんだちようど目の前にあるはめこみになつている鏡が一、二寸前につ
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