いというお許しは出たものの、とり方によつては、もうお前に用はないからさつさと邪魔にならぬように帰つてしまえ、というようにもきこえる。藤枝と林田はこれを何ときいたか知らぬが素直に立ち上つた。
 警部の室を出ると、私は不意に大勢の人に取り囲まれた。思いがけない所から、フラッシュがパツとたつ。
 新聞社だな、私はこう感じたがすぐ藤枝が例の要領のよい手際でこの連中を巧みに切りぬけることと信じて安心していた。
 はたして、林田は、巧みにこの一群を切りぬけてさつさと出て行つてしまう。藤枝はどうするか、と見ていると、彼は何と思つたか、新聞社の連中を見ると、あわてて高橋警部の室にとつてかえした。オヤ、どうしたのだろう、と思つているとすぐまた出て来たが、おどろいたことには、夢中になつて鉛筆をなめずつている記者たちの群のまつただ中にとび込んで、しきりに何かしやべつている。
 彼が新聞記者に自ら考えを積極的に述べるなんてことは未曾有の椿事なので、記者達はムキになつて云われるままに書き取つていた。

      5

 藤枝の、いつに似あわぬ態度にめんくらいながら、私はだまつて様子を見ていた。
 しかし彼は一向平気で、やがて記者連中に別れをつげるとさつさと私のそばにやつて来た。
「どうしたんだい。すつかり社の人達につかまつてしまつたじやないか。おまけに君、大分しやべつていたね」
「なあに、そう驚くことはないよ。あしたの朝、高橋警部が少々機嫌を悪くするかも知れないがね、怒らせついでにもう少し怒つてもらうかな」
「何だ君、そんなにしやべつちまつたのかい」
「うん、まあ明朝の新聞を見るんだね、そうすりや、よく判るよ……さて今日は警部に怒られて大分器量を下げたが、これ位でお別れしよう」
 こういうと藤枝は、プイと流して来た円タクを掴まえるとその儘、
「じや失敬」
と中から声をかけるかと思うともうやみの中に消えてしまつた。あつけにとられている私は、一人になつては仕方がないので、藤枝のふしぎな態度を訝りながらそのままうちに帰つたのであつた。
 これで、あの呪わしい五月一日は終つたのである。
 五月二日の早朝、私は床の中で三、四種の新聞をよんでいた。
 出ている、出ている! 「秋川家の怪事件」「第四番目」などという見出しで昨日の惨劇が大々的に書いてあるが、いずれもその中に「藤枝真太郎氏の談」というのを掲載している。
 それによると、犯人は伊達正男で昨夜の中にただちに捕まえられ、厳重なる訊問の結果、包みきれず全部昨日の殺人を自白した[#「殺人を自白した」に傍点]という事になつている。しかも駿三殺害の動機は遠く過去に遡つて、今より二十年前、伊達家と秋川家とが悪縁に絡まれたところに端を発しているのだ、というようなことがまことしやかに記されている。
 もつともその悪縁物語というのが何であるかということは詳しく書いてはなかつたが、これで見ると、昨夜藤枝は軽卒にも、記者達に対しておしやべりを敢てしたらしい。
 記事はいずれも確定的で伊達正男が自白したということを記してあること既述の通りである。
 私はしばらくあつけにとられて床の中で煙草をくゆらしながら天井を見つめていた。
 ところへ、あわただしい電話のベルだ。いそいで出て見ると、高橋警部の緊張しきつた声がきこえる。
「小川さんですか。あなた藤枝君が今どこにいるか知りませんか。いいえ、うちにはもういないんですよ。オフィスの方にもいないらしいですが。そうですか。そちらに見えないとすれば……では仕方がありません。もしか来たら私が会いたがつているとしらせて下さい」
 高橋警部は、藤枝の余計なおしやべりにかなり腹を立てているらしい。会つて何とかとつちめるつもりなのだろう。
 ところが、警部の電話がすんで五分ほどすると今度は藤枝からかかつて来た。
「オイ、君どこにいるんだ。今警部から電話がかかつて、君の行方をつきとめてくれつていうことだつたぜ。先生ひどくおこつてるよ」
「うん、そうだろう。そんなことだろうと思つたから早くからうちを逃げ出していたんだよ。しかしいつまでも、姿をくらましているわけには行くまいから、ひる頃には警部を訪問するつもりだ。君にも一緒に行つてもらいたいからずつとうちにいてくれ給え」
 彼はこういうと、さつさと電話を切つてしまつた。

      6

 ちようどひるのサイレンが鳴つてまもなくのこと、私は再び藤枝から電話をうけた。
「これからすぐ警部にあいに行く。君はすぐ自動車で牛込署の前まで行つてくれ」
 というのだ。私はただちに彼の云う通り、車を捕えて指定の場所にといそいだ。
 私が下車すると二分程おくれて藤枝がやつて来た。
「さあ、警部に謝まりに行こう、大分怒つているらしいから」
 二人が主任の部屋にはいると高橋警部は苦り切つた面持で現れたが、さすがにいきなり藤枝を叱りとばすわけにもいかぬらしく、だまつて椅子に腰かけた。
「昨夜はどうも失礼しました。今日の新聞記事でお怒りのことと思いますが……」
 藤枝の方が先手を打つた。
「きのうあなたが帰りがけに私に相談されたので云つていいことだけは申したつもりだ。私もまさかあれ全部をあなたがしやべつたとは云いませんがね。しかしあなたからより外洩れぬようなことが出ているのでね」
「高橋さん。今日一日待つて下さい。いや一日でなくてもいい、もう数時間たてば私がなぜあんなおしやべりをしたか、ということがはつきり判りますよ」
 藤枝のこの謎のような言葉は、しかし高橋警部の機嫌をよくする役には立たなかつた。
「何のことか私には判らんが」
「いや、必ず判るのです。きつとですよ」
 けれども、われわれは一日も、いや数時間も待つ必要はなかつた。
 藤枝のこの言葉に対して警部が何か云おうとした途端、ドアがあいて一人の制服を着た[#「着た」は底本では「来た」]巡査があわただしくはいつて来た。
「警部殿、今へんな女が一人とび込んで来ました。警部殿に是非お目にかかりたいというんです」
 これをきくと藤枝は、すつくと立ち上つた。
「犯人は伊達正男でない! というんだろう。そして自分が犯人だ、というんだろう」
 巡査が驚いて藤枝を見ながら、
「そうです。その通りです」
 と答えた。
「それだ。それを俺は待つてたんだ。さ、高橋さん、すぐあいなさい。すぐです。その女が何と云うか早くきくのです」
 高橋警部は事の意外に少し面喰つたようだつたが、さすがにあわてずそのままだまつて立ち上ると、ドアのかなたに姿を消した。
「一体、どうしたんだ。君はその女が出て来るのを予期していたのか」
「無論だ、僕のテオリーがまちがつていないとすれば、その女が死んでいるか、病気でない限り、必ずここか検事局に登場しなければならないはずだつたのだ。今日の新聞記事を見た以上はね」
 私がつづいて話をきこうとした刹那、隣室で、何だか騒がしい音がしたと思うと高橋警部のあわて切つた声がきこえて来た。
 彼はしきりに野原医師をよんでいる。
「しまつた。今殺してしまつてはいけない」
 藤枝がいきなり私の腕をつかむと許しも乞わずに隣りの室にとびこんだ。
 私はその室に二人の人間を見た。一人は高橋警部で、もう一人は四十四、五の婦人である。女は、警部の腕にもたれかかつているが苦しそうに身体をもがいている。
 不意の闖入者を見て、警部は怒るかと思いの外、助かつたという色をした。
「藤枝君、早く病院につれていかなけりやいかん」
「毒をのんだんだな。よろしい」
 藤枝の活躍振りは目ざましかつた。野原医師と共に女に手当をする一方、女を肩にかけて自動車にはこぶと、警部やその他の者と共に一散に近くの蘆田病院にかけこんだ。

      7

 嚥下した毒を吐かせたり、注射をしたり、あらゆる手当が行われた。女はベッドの中にねかされてようやく落ちついたが、それは、われわれが警察をとび出してから二時間位後のことであつた。
「どうです。助かりましようか」
 と警部が院長の蘆田博士にきく。
「のんだのは××××です。手当が早かつたからあるいは助かるかも知れませんが、しかし、大分ひどくのんでいるらしいので、あるいは……」
 と云つて博士はしばらく考えていたが、
「もしお訊ねになる必要があるのでしたら、早い方がいいかも知れませんね、けれどおそらく充分には答えられないでしよう」
 そういううちにも、博士は看護婦達を指揮してしきりに手当につとめている。
「とにかくわれわれは別室ですこし待ちます」
 警部をはじめ藤枝、私は隣の室に退いた。
「驚いたね、どうも。『私が犯人です。伊達ではありません。あの子は何も知らないのです』と叫ぶと同時に毒をのんでくるしみはじめたのでね」
 警部はこの意外な女の出現にすつかりおどろかされたらしいが、同時に、藤枝に対する信用を全く回復したらしい。
「一体、名は何と云つていました? 何とか千代子と名乗つていたでしよう?」
 藤枝が自信ありげに警部に訊ねた。
「うん、里村千代というんだ」
「そうだ。あれは伊達正男の叔母にあたる人ですよ」
「へえ? 君よく知つているね」
「そこまでは判つているのだ。ただ彼女の行方が判らなかつたのだ。伊達正男が犯人だということが新聞に出れば、彼女はどうしても登場して来なくちやならないんだ。彼女は今回の秋川家の惨劇の口火をつけた女なんだから……」
 警部も私も目をまるくして藤枝の顔をながめた。
 蘆田博士がこの時室に現れた。
「患者は同じような状態で苦しんでいます。しかし本人がしきりとあなた方にあいたがつていますから話をきいてやつてはどうですか。私の立場としてはもう少し安静にさせたいのだけれど、あああせつていては却つて本人のためにもよくないし、それに……それにあのままになつてしまうかも知れませんから」
「じや行つてきこうじやありませんか」
 藤枝が警部を促がした。
 里村千代はベッドの中にはいつていたが、ひどく苦しそうだつた。何かしきりにいいたがつているが充分にききとれない。
 警部も、もて余し気味で、相談するように藤枝の方を見た。
「じや、君のいいたいことを僕が云つてやろう。君は耳を働かしてよく僕のいうことをきいていてくれ給え。そうしてまちがつていることがあつたら、そういつてくれ給え」
 藤枝は、千代の枕辺に椅子を持ち出してそれに腰かけた。
「里村千代子、といつたね、君は」
 女は首をたてにふつた。
「里村千代子、結婚する前の名前は村井千代子、君の姉は村井かよ、これが後に伊達かよ子となつた、すなわち伊達捷平の妻である。だから君は、伊達かよ子の妹で、正男の叔母に当るわけだね。君は今日の新聞を見て二つの決心をした。一つは無実の甥を救わねばならぬ、という決心。一つはそれを言つて自殺しようという決心。後の決心は、君が呪いの余り行つたことが意外な恐ろしい結果を生んだので今更我身が恐ろしくなつたからだ」
 さては、この女が犯人だつたのか。

      8

「君は警部に云つた。『伊達正男は犯人ではない。あの子は何も知らないのだ』と。よろしい。これは私は無条件で承知しよう。しかし、『私が犯人です』という一言を僕は信用することは出来ない。ねえ君、君自身ですら、あの秋川家の殺人事件を知らないのじやないのかね」
 藤枝はこう云つてじつと千代子の顔を見つめた。千代子は驚いた顔をしたが、すぐにそれはあきらめの表情とかわつた。
「君は秋川家を呪うの余り、とんでもない事件を惹起してしまつた。けれど君はその犯人ではない。そう、僕は君が、犯人にあの殺人の動機を与えた点と、ヒステリーの極知らぬまに犯人の機械となつていた点とを責めることは出来る。君は秋川家に、タイプライターで脅迫状を送つた。そうしてこれを郵送した。君は先月の十七日に藤枝真太郎という男のオフィスに電話をかけた。同じ日に敷島ガレーヂという自動車屋に電話をかけてひろ子の足取りをきいている。ところが、第一、第二の事件が起つたので君は痛快を感じながらも驚いてしばらくなり行きを傍観していた、と
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