た二人で、自動車に乗つて走る気持というものは、決して悪いものではなかつた。
私は、さつき興信録で、ひろ子の家が、牛込区の、ある高台の邸町にあることを知つていたので、乗ると直ぐに行先をつげたのであつたが、車が余り早く走つて、この楽しいドライヴを少しでも短くはしないかひそかに恐れていた。
車は帝国ホテルの横を通り、日比谷公園の角を曲つて桜田門にで、それからずつと右手に御所の御濠をながめながら、二十五マイル位のスピードで走つている。
私は、ひろ子の側に腰かけながら、出来るだけ藤枝真太郎のひととなりについて話すことにした。そうして彼女がおそれている事件に就いては、なるべくふれぬ事につとめた。
「私も、先生にお頼みしてほんとうに安心はしておりますけれど。……でも、どうして私が今日先生を御訪ねしていることが人に判つたのでございましよう。誰にも話してなんかないのでございますが……」
「おたくの方もどなたも御承知ないのですか」
「はい」
「手紙は無論一人で書いて自分でお出しになつたのでしようね」
「無論でございますわ。……そうそうあの手紙の表を書いておりましたとき、妹のさだ子が用事で私の部屋にはいつてまいりましたけれど、さだ子にすらその上書を見せなかつた位でございますもの。私すぐ吸取紙で上を伏せてしまつたのです」
「それは不思議ですね。郵便局では、裏にあなたのお名前が書いてないからわかるわけはなし……しかし藤枝もいつてたように、誰かのいたずらですよ。そんな事をする奴に限つて、実行にうつるものじやありませんよ。第一、昨年の秋からお父様をおどかして今日までかかつているんでしよう。もしほんとに危害を加える気なら、今までにいくらも時がある筈じやありませんか」
私は、われながら、立派な理窟だと思いながら、こうひろ子にいつて安心させようとした。
車はいつの間にか富士見町を通り、外濠をこえて牛込区にはいりかかつている。
宏壮な邸宅のつづいた町を、車はどんどん走つて行つた。
「あれが宅でございますの。もうこの辺でよろしゆうございます。却つてうちの者の目につきますから」
「でもお宅の門の側まで行きましよう。万一の事があると私が藤枝に怒られますからね」
こう云うと、ひろ子は、につこりとほほえんだが別に拒みもしなかつた。
車が、秋川駿三と書いた立派な石の門の前にきたとき、私は停車させた。門から玄関まで、ちよつと半町ほどあるけれども、その門にはいるのは目についていけないと思つたのである。
5
私は、門の前に車をとめて、そこでひろ子をおろし、彼女が無事に玄関につくまでじつと見ていたが、別に何事もなく、玄関でひろ子はベルをおすと同時に、こつちを向いて、につこりしながら腰をかがめたので、私も先ず安心と、すぐにまた銀座に車を走らせた。
事務所に着いて見ると、藤枝は室中《へやじゆう》を煙にしてじつと椅子に腰かけて待つていた。
「やあ、わりに早かつたね。ご苦労様。おかげでひろ子嬢も安心だつたろう」
「なかなか立派な家だよ、なるほど今どきあんなすばらしい家をもつてちや、おどかされるのも無理はないよ」
私は、彼の前に腰をおろしながら云つた。
「そりやそうと、さつき君が受けていた電話は何だいありや? 何か僕をからかつてでも来たのかい」
「うん、そうなんだ。男だか女だかよく判らないが、ちよつときくと女の声らしい。秋川家の事なんかに手を出すなと云うんだよ」
「そんな事だと思つたよ。馬鹿にしてやがる。しかし事件が面白くなつて来たね。この手紙の来かたが少し早すぎたよ、僕はもう少しあと、つまり最近の話をききたかつたんだがね、こうと知りや、最近の話からきくんだつたが、この手紙がすつかりひろ子嬢をおどかしてしまつたんでね」
「手紙と云や、君は誰がそれをもつて来たか、もう調べたろうね」
「うん、君が出てから直ぐ電話で調べて見たよ。メッセンジャー・ボーイは大阪ビルの下のメッセンジャー・ステーションから来たんだが、そのボーイをよび出してきいてみると、そこへ、どこかの給仕らしい子供がこの手紙をもつて来たんだと云つている。その子供はまだ判らんが、たしかにこれを書いた奴は、間に二、三人の使者を入れてよこしているから、なかなか判らないよ、いずれ、最後の使者にきくと、たとえば尾張町の角で、これこれこういう男または女に金をもらつて誰にとどけた、というような事になるんだからね、それが知りたいが相手もさる者だから、ちよつとわかるまい」
「それより、ひろ子嬢がここに来てることがどうして判つたろう。不思議じやないか」
「君は、彼女が今日どういう風にしてここに来たかをきいたかい」
「いや、それをきくのを忘れたが、あんな用心深い人の事だ。あとをつけられるようなへまはやるまい」
「そりやそう思えないこともない。僕の処に出した手紙は無論、自分で出したんだろうね」
「それははつきりきいて来た。無論自分で出したと云つている。それを書くのも全く秘密にしたと云うのだ。なんでも、上書を書いている所へ妹のさだ子がはいつて来たが、それにすら見せぬつもりで吸取紙で上からかくしたと云つているよ」
「妹が来た? へえ、それにも見せなかつたんだね。そうか。して見るとどうして知れたかな」
彼はこう云つて煙を吐き出しながらじつと考えこんだ。
「小川、君はおぼえているかい。さつき僕がさだ子という人もお母さんに云わなかつたか、ときいた時、彼女の表情がちよつとかわつた事を。ともかくこの秋川という家には何かふしぎな秘密があるね……さて、今日はもうお客もないらしいから、これで引き上げようじやないか」
私はまだたくさん彼にききたい事があつたのだが、彼がそういうのでやむなく立ち上つた。
銀座のある角で、私は彼と袂を別つたのであつた。
6
その夜、私はどうしても落ち着けなかつた。
床につくと、いつもは十分もたたぬうちに眠つてしまう私も、この夜はなかなかねつかれなかつた。
無論私はその原因を、秋川ひろ子という美しい女性の印象に帰していた。事実、彼女の姿が、どうしても私の目から去らないのだ。同時に、私はいろいろな想像をしてみた。
もしこのまま何事も起らなかつたらどうだろう。それはひろ子にとつては幸福かも知れない。秋川一家にとつても勿論幸いであろう。けれど、私は、たつた一度彼女に会つたきり、このまま永久に相会《「相会」に「あわ」》ぬことになる。それは私としてはまことに淋しいのだ。
彼女がまた私にあうようになる為には、何事かが秋川家に起らなければならぬ。
こう考えてきたとき、私は自分の利己心をかえりみて、我が身に実は恥じたのである。
そうだ、何事か起つて、それが大した事件ではなく、ちよつとした事であつてくれればいい、ひろ子もその父も無事な程度に何か起つてくれればいい。そうすれば、ひろ子にとつても私にとつても都合がいいんだ。
こんなくだらぬ事を考え、同時にまた、事の推移をいろいろに想像した。
秋川駿三が何者かにおびやかされている事は間違いない。しかし、その相手は何者だろう。何故、彼はすぐに警察に訴えないのだろう。去年から今まで脅かされつづけて、いつたい彼は何をしていたのだろう。
今まで知つている範囲では、秋川駿三は、一代で巨富を作つた人間である。こうした経歴をもつている人の中には、随分ひとに恨まれるやうな事をする者があるから、彼が誰かに恨まれているであろう事は察するに難くはない。
ではそれは、金銭上の恨みか、恋愛関係についての怨みであろうか。――私の考えはいろいろな方面に動いていつた。
それにしても、さつき私が此の目ではつきりと見た三角形の印のついた手紙は何者によつてかかれたか。いや、それどころではない、私がこの耳ではつきり聞いたあの女らしい声の悪魔の嘲笑は何を意味するのか。悪魔は正しく藤枝真太郎に向つて挑戦しているではないか。彼はつづいて何をしようとするのだろう。更に、藤枝がひろ子と話をしている間にさだ子の話にふれた時のひろ子のあの表情は? これはなんと解釈したらいいのか。
私の頭の中には、とりとめのないいろいろの渦巻が交る交る現れたが、結局一つとしてはつきりしたことが判らなかつた。
珍しく夜の十二時、一時の時計の音をきいたけれども、二時の打つのをおぼえなかつたから、いつのまにか眠りに陷つたとみえる。
私が目をさましたのは翌日の朝、九時すぎだつた。いや正しく云えば、目をさましたのではない。目をさまさせられたのだ。
「おい小川、起きないかい。おい……」
ぼんやりと目をあけて見ると、意外にも私のねどこの側に藤枝がすわつているではないか。
「お目ざめかね。ちよつといそぎの用がおこつたので、女中さんに云つて、かまわずねどこに押し入つて来たんだよ」
「ああ君か。……どうしたんだい」
「オイ、とうとう秋川家に大事件がおこつたよ」
わたしは、いきなり夜具をはねのけてとこの上に坐つた。
「何? どうしたんだ」
「秋川ひろ子のおつかさん、秋川徳子が昨夜毒殺されたんだよ」
7
「毒殺? あのひろ子のおつかさんが?」
「うん、はつきり毒殺とは云い切れないかも知れないが、とにかく、秋川徳子が毒薬をのんでその結果、けさ死んだことはたしかなんだ。しかし自殺とみるべき所がないので、当局は殺人事件とみている」
「で、ほかの者は?」
「主人もその外の人もどうもないそうだ」
「君にどうしてそれが判つたんだい」
私は、もう起き上つて着物をきかえながらきいた。
「けさ、早く、ひろ子嬢から電話があつてね、母が昨夜から大変に苦しみはじめ、かかりつけの医師がつきつきりで介抱したが、とうとうけさ落命した、というのだ。その医師が、死因に非常な疑いをもつて、すぐに警察に報告したらしいんだね。警察署からすぐに司法主任と医師が来たそうだが、これらの人々の意見も、まつたく自殺とはみないらしいので、検事局へも報告したそうだ。ひろ子嬢は、私にもすぐに来てくれというのでこれから行くつもりなんだが、君にも御同行を願おうと思つて、いそいで君の寝込みをおそつた次第さ。ともかく、行つて見なけりや判らんよ」
私は、ひろ子が無事だつたということで、ともかく一安心はしたものの、無論藤枝の好意を拒むべき理由はないので、雑誌社の方へは適当に二、三日休む旨をつたえて、すぐに出かける準備をした。
「何、そうあわてる事はないよ、朝めしでもやつてから出かけるさ、待つてるよ」
「いや、めしなんか食べてはおれん。しかし牛乳を一杯のんで行くからちよつと待つてくれ給え」
私は、早々に顔を洗つて、洋服にきかえていると、女中が牛乳をあつくしてもつてきた。
「とうとうやつたね。君がいるのにひどい事をやりやがつた。……で、誰が犯人かは判らないんだろうか」
「そりや、まだ君、すぐには判らないさ」
「あらかじめ手紙をよこし、電話で報告しておいて、それから人殺しをやりやがる、ひどい奴だ」
私は牛乳をのみながらこう云つた。
「うん、そりやそうだ。たしかにあの手紙を書いた奴の仕業だとすればね」
「とすればねつたつて、ほかに怪しい奴があるのかい」
「判らんね。しかし君のようにそうすぐに事をきめちや困るよ。勿論、あの手紙のさし出し人や電話をかけた奴をたしかめる事も最も必要さ。犯罪の予告があつた後、犯罪が行われたとすれば、いちおうその犯罪の予告者を犯人と断ずるのは最も常識的だ。しかし、そりや絶対にまちがいがないとは云えないぜ」
「というとどういう意味なんだい」
しかし藤枝はこの問には答えずに、こういい出した。
「僕はあの秋川という家の中に何か余程重大な秘密がある、とにらんでいるのだ。昨日のひろ子の話の中でも脅迫状の話はなかなか面白かつたけれども、さだ子の所に手紙がきたあたりが一番、興味をひいたね。僕は父以外に対して脅迫状がきた時、何故、特に次女のさだ子に来たか、という事を考えていたんだよ、ただ意味なく偶然に次女をえらんだとしてもちよつと妙な所があるし、ことさらさだ
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