から行つてくる。……ところで君は夜は自宅にいてくれよ。いずれ何とか面白いことになるだろうからな」
4
藤枝の命令通り私はその夕方ただちにうちに帰つて彼からの電話を待つていた。七時すぎになつて果して彼から電話がかかつて来た。
甚だ恐縮だが、急いで来てくれというのだ。
私はとるものも取りあえずいそいで彼の宅につくと、これはしたり、意外にも彼は旅行でもするつもりと見え、スーツケースのそばでしきりと何か片づけている。
「や、お呼び立てして失敬。時に足元から鳥が立つようでちよつと急だが、僕はこれから関西の方に二、三日旅行して来るよ。今夜から立つ。しかしその前に君に高橋警部にあつたてんまつを物語ろう。実はさつき警部から電話がかかつて、どうもひろ子のいう所が、腑におちなくて困るから、すぐ来てくれということだつた。で、僕は、ひろ子が例の論理でするどく攻めよるので警部がタジタジの形なんだろうと思つて行つて見たのさ。するとどうだ君、警部は困つていると思いの外、さすがは彼だよ。彼はひろ子の説からしてある確信を得たんだ。その彼の確信によれば、犯人はさだ子と伊達に非ずしてひろ子だということになる」
「何、ひろ子が犯人?」
私はとび上らんばかりに驚いた。
「そうさ。警部の論理に従えば、どうしても今回の殺人犯人はひろ子以外の者ではない、ということになるのだ。警部はすでに前からひろ子に目をつけていたそうだ。それで今日ひろ子の説をきくに至つていよいよ確信を得たと云う。彼は僕をよんで自分の説を一応述べた。実に自信に満ちた調子でしやべつたがそのテオリーはまずこうなんだよ。
「警部の説に従えば、ひろ子に第一の母殺しの動機を与えたものは、さだ子、伊達二人と母との論争にあつた。母はどちらかというとひろ子にとつて味方である筈で、敵ではない。父親こそ、さだ子、伊達の味方なのだ。だからひろ子が母を殺すなどということはありそうもない。しかしこれは通常の犯人に対していうことで、ひろ子のように素晴らしい頭のもち主にはあてはまらない。ひろ子の最終の目的は[#「ひろ子の最終の目的は」に傍点]、財産を自己一人の手に入れることと[#「財産を自己一人の手に入れることと」に傍点]、異母妹さだ子らに対する烈しい嫉妬をはらすことである[#「異母妹さだ子らに対する烈しい嫉妬をはらすことである」に傍点]。彼女はまず駿太郎の死亡によつて自分が相続人になることを知つている。さだ子、伊達を失うことによつて財産の損失を防ぎ得るばかりでなく、日頃の嫉妬のうらみをはらすことができる。そこで彼女はまずその機会の来るのを待つていた。自分で作つた脅迫状を父に送つたり、それから僕のオフィスへわざとどこかの女から電話をかけさせたりした。しかしチャンスはついに来た。財産の問題についての母とさだ子、伊達の烈しい口論である。ひろ子はこのチャンスを見逃さなかつた。彼女は母を殺すことによつてさだ子と伊達に嫌疑をかけることを考えた。その結果はごらんの如く十七日の夜に母が苦悶の結果死んだということになる。訊問されて母が最後に、さだ子に[#「さだ子に」に傍点]と云つたというような嘘をつく。これは度々云つた通りひろ子以外のものは誰もきいていない。警部がまずひろ子を疑い出した動機は、彼女が僕の所に来ておどろいて帰つたあの夜(彼女があの日は僕の処に来たことは僕から警部にあの当時話しておいたことだが)探偵小説をよんでいた、という考え得べからざるふしぎな供述からだつたという」
藤枝にこう云われて、私はまたあの呪わしいグリーン・マーダー・ケースのことを思い出した。
「だつてそれにしても、二十日の夜の事件でひろ子はたしかに無罪だぜ」
「ところが警部のテオリーに従えば、二十日の事件の犯人はすなわち早川辰吉で、あの事件は全く十七日及び二十五日の事件に関係がないとかいうわけなんだ」
5
「だから二十日の事件にひろ子が関係がないと判つても何の役にも立たぬということになる。
「さて彼女の目的通り母が死んだ。ついで偶然にも駿太郎が早川に殺された。秋川家の財産を分けらるべき人はひろ子、さだ子、初江の三人ということになる。そこでひろ子は、ついに初江を殺すことを決心する。すなわち昨日、彼女は、実に巧みにチャンスを捕えた。午後六時四十分頃、父は二階にねている。さだ子と林田と伊達は二階のさだ子の部屋にいる。現に彼女は庭からこれを見ている。それから君は庭に立つている。笹田執事は留守と来ている。家の中には、初江が風呂の中に、女中が台所に二人いるきりなのだ。しかも初江は、ひろ子にすすめられてさきに風呂に入つたという事実を忘れてはいけない。彼女はまず女中の所に行つて二人がたしかにそこにいるかどうかとたしかめる。それからそつと風呂場にしのびよつた」
「もし初江がもう出ていたらどうするつもりだつたろう」
「出ていれば無論手を下しようがないさ。彼女は無論またのチャンスを待つばかりだ。ところが、うまく初江が風呂につかつている所にぶつかつた。彼女は何気なくそのそばに寄つて、相手の隙をうかがつてジョセフ・スミスのまねをすればよかつたわけだ。ただ彼女の、フェータルな失策は――警部の説に従えば『風呂場の花嫁』という言葉を思わず洩らしたことである。ジョセフ・スミスの犯罪を余りはつきりまねたためついうかとそういういいあらわしをしてしまつたのだろう。通常のお嬢さんの思いつく言葉ではないからね[#「からね」は底本では「からね。」]」
「しかるに、第一、第三の犯行の間に意外にも早川辰吉の犯罪が加わつた。脅迫状をあらかじめ出しておいたので、当局は同一犯人と思う。そうすると第二の事件でひろ子自身のアリバイが完全に立つているため、事は彼女の思いもうけていなかつた位、安全にはこんでしまつたのだ。しかし一方彼女は焦慮した。それは、さだ子、伊達の二人にはつきりした嫌疑がかからないということだ。目的のなかばは成就しても、この憎い二人が捕まらなければ何にもならぬ。それでとうとう堪りかねて今日まず僕の所に来て二人のことを訴え、しかる後、自身警察に出頭してさだ子と伊達を訴えたとこういうわけなのだ。警部は最後にこういつている。ひろ子のような智慧のある少女にでつくわしたことはまだかつて一度もない。実におそるべき天才だとね」
藤枝はいい終ると、一向感情を動かしたようすもなくすまして天井に向つてプカリと煙を吐いた。
「ふうん」
私はさすが警部というものは頭がいいものだとしばらくは感心していたが、ひろ子が犯人だなんてどうして信じられるものか。
「どうだね、小川、[#「小川、」は底本では「小川」]警部の論理もひろ子のテオリー同様中々頭がいいじやないか」
「うん、しかし腑におちない点があるな」
「そうかね。じや云つて見給え」
「第一、母を殺す原因が薄弱じやないか。成程、二人に嫌疑をかけるのもよかろう。しかし恨みもない母を殺すとは」
「さあ、その点は僕も念のために警部にきいて見たんだ。すると警部の曰くさ。確証はないが、あるいは母がひろ子の性質か目的をみぬいたのじやないか、というんだ。つまりひろ子にとつて、目的をとげるのに一番邪魔でうるさかつたのが実は母だつたんだ。そうすれば母を殺すことは一石二鳥だからね」
「成程、説明というものはどうにでもつくものだね。……第二のあのタイプライターの脅迫状ね、あれをひろ子が勝手に作つたとするのは妙じやないか。おまけに父があんなに何かを恐れているのだぜ。して見れば、駿三に脅迫状を送つた人間はたしかに駿三の秘密を知つていたと見なければならぬし、駿三には立派な秘密があつたと思わなければならんじやないか」
6
私は夢中になつてひろ子を弁護しはじめた。
「警部の論理に従えば、ひろ子がさつき直観と云つた奴が、実はひろ子が探り出した父の秘密だというのだ。ひろ子は如何したかしらぬが何かの方法でもつて父の秘密を知つた。そこで自分であらかじめ脅迫状を出したというんだがね」
「そうすると何かい。ひろ子は犯人が外部に在りと思わせたかつたのかい」
「警部はまあそうと思うんだろうね」
「それじや矛盾じやないか。警部の論理によれば、ひろ子はさだ子と伊達を疑わせようとしているというのぢやないか。それなのに彼女が、犯人外部に在りというようなトリックをしたというのは!」
私は鬼の首でもとつたようにこの自分ながらすばらしいと思われるロジックにかじりついた。
藤枝は何と思つたか、にやにやしながら、
「警部の説に従えば……」
「オイ、又しても警部の説に従えばかい。一体君自身はどう思つてるんだい」
「まあそう興奮し給うな」
「いや興奮せずにはいられない。そんなインチキ論理でひろ子を疑うなんて」
「あははは。インチキ論理はよかつたな。警部の論理に従えば、そこがひろ子の腕のあるところだというわけさ」
「どこがだ」
「つまり一応外部にありと見せて、だんだん探つて行くとさだ子と伊達に嫌疑がかかるという寸法」
「だつておかしいじやないか」
「僕の論理に従えば、この点は実に君のロジックに賛成なんだよ。仮りにひろ子が犯人だとしても、脅迫状は他の人から送られたと見るのが正しい。今月の十八日の日に君に僕はたしかに云つた筈だ。脅迫状が来てから殺人が行われる。この場合、脅迫状をよこした奴を殺人犯人と見るのは一応常識だ。しかしそりや絶対にまちがいないとは云えない、とね。そうすれば、わがひろ子嬢は、誰とも知れない人の脅迫状を、巧みに利用した事になる。いいチャンスをつかんだ事になる。ねえ小川、君は鬼の首でもとつたように論じるが、ひろ子が脅迫状を送つたのでない事が立証出来たつて、それは、彼女に脅迫罪が成立しないというだけで、殺人事件とは別問題だよ。そんなに青筋をたててさわぐほどの事でもなかろうよ。……それに、脅迫状を送つた人間が外部に存在するという事は、昨日の怪しい電話でも立証することが出来る。昨日あの際、ひろ子が誰か外部の人に、通信するひまはなかつた筈だ。従つてひろ子が外部の人に電話をかけさせるひまはどう考えてもなかつたわけだからな。僕はその外部の奴はたしかに女だと思つた。女の声だつたというし十七日に僕のオフィスに電話をかけたのも、それから、同じ日の午後敷島ガレーヂに電話をかけたのも女だつたというから、まず素直にそう解釈した方がいいよ。ところで君は、警部の論理にその他に不満はないかね」
「不満と云えば全部不満だよ」
私は不機嫌そうに云つた。
「ねえ君、ひろ子の論理に見逃し難き欠点があつたように、警部のそれにも重大な欠陷があるのに気がつかないかい」
「え?」
私は救われたように藤枝を見た。
「僕は警部が並み並みの人でないことは認める。ひろ子に嫌疑をかけたのはさすがた。しかし、次の四つの点について僕は大いに疑問をもつているよ」
7
藤枝は新しいシガレットに火をつけながらおもむろに語りはじめた。
「第一の欠陷、しかして同時に僕の考えに従えば警部のテオリーの根本的の欠陷は、第一、第三の犯罪と第二のそれとを全く別に見ているという事だ。十七日の犯罪と二十日の犯罪とが全然関係なく偶然だと考えることがこの際甚だしく不自然だという事は、僕は充分な自信を以て云い得ると思う。第一の犯罪と第二の犯罪とは著しくやり方が違つている。これはかつて君にはつきり述べた筈だ。つまり犯罪に表われた個人の個性がはなはだしくちがつている。この点に目をつけたのは高橋警部の賢明な所だと云えるが、彼の着眼点はいいけれども推理の方法を誤つている。犯罪のやり方が余りちがうので彼は犯罪の主体、すなわち犯人が異つていると推断した。しかしこれはあの時も云つた通り、そうではない。主体は違わないのだ。主体は違わないのだが犯行当時の犯人の心理状態が著しく変化したことを表わすにすぎないのだ[#「主体は違わないのだが犯行当時の犯人の心理状態が著しく変化したことを表わすにすぎないのだ」に傍点]。度々云つた通り、僕らは第一と第二の犯罪の間に、佐
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