田やす子という主要なリンクをもつている。これがあるのに二つの犯罪に関係が全くないとは誰が云えるか。第一の犯罪で主要なやす子が偶然[#「やす子が偶然」に傍点]にも第二の事件で、被害者となつている。けだし、プロバビリティーの計算に於いては、極めて考え難い偶然[#「偶然」に傍点]ではないか」
「しかし警部は云うだろう。プロバブルではない。が、ポシブルだとね」
私は、内心藤枝の説を喜びながらもちよつと、抗議を出して見た。
「無論そうだ。この偶然は決して、ありそうもない、めつたにあることじやない。けれどあり得ることであつて無しとは云えない。しかし小川、このめつたにない偶然が起つたとしてもどうしても説明できないのは駿太郎の死だよ。早川辰吉が偶然にも佐田やす子を殺したと仮定する。しかし彼はどうやつて駿太郎を殺したか。――ひろ子が賢くも断言した通り、唖でない駿太郎が黙つておびき出されて殺される筈はない。彼は誰かよく知つている人に必ずさそい出されたのに相違ないのだ。以上が高橋警部の第一の誤謬だと僕は思う。しかしてこの第二の犯罪でひろ子は立派にアリバイが立つている。強いて彼女を疑えばその共犯者だが、今はもう彼女の共犯者というものは考えられない。僕はかつて君に伊達がひろ子と妥協し得ることを述べた。けれどもあれから度々の観察でそれは不可能だということがはつきりと判つた。二十一日の朝、僕らは警察に行つた後、秋川家を訪問した。その時、ひろ子に伊達の事を父によくきいてくれと僕が頼んだ事を君はおぼえているだろう。実はあの時まではまだ多少の疑いがあつたので、僕はひろ子を全く信用しているらしい風をしつつも一方で、何気なく『勿論私自身の方でも伊達という人の素性を調べ中だ』ということを云つて鋭く彼女の表情に注意していたんだ。もし彼女が少しでも伊達と妥協しているとすれば、ああいう問題の際に、ちよつとでも顔色をかえて尻尾を出すものだが、そのようすはすこしもなかつた。だから、彼女に男の共犯者があるとするのは当らない。しかして第二の事件と第一のそれと全く別にした推理の上に立つひろ子犯人説には、僕はまずこの点で賛成できないのさ」
「うん、うん、それから次は」
「第二はこれは、さつきひろ子の、さだ子伊達共犯説に対して云つたのと同じことで、徳子にのませた昇汞を、ひろ子は一体どうして手に入れたかという問題だ。成程ひろ子はなみなみのお嬢さんではない。さだ子その他とはダンチ[#「ダンチ」に傍点]に頭がいい。芸術家であると同時に犯罪研究家である。君は彼女の書斎に犯罪の本以外に芸術の本がたくさんあつた事を知つてるだろう」
8
私は、ムーターの絵画史やベッカアのベートホーヴェン伝その他を思い出した。
「この点はやや注意に値すると思うね。彼女は一方に於いてクリミノロオグであるが、同時に芸術家なのだ。ね、芸術家でしかも大犯罪人というものをわれわれは考えることが出来る。しかしここにもう一つ彼女は二十一の女性だというデーターがある。一言にして彼女を批評すると、彼女はめずらしく理性に富んだいい頭をもつてはいるけれども、彼女のクリミノロギーは結局机上の空論の外を出ない。若い女の陷りやすいロマンシングに浸つているにすぎないのさ。彼女のさんざん頭を絞つて考え出した理論がさつきの伊達さだ子共犯説さ」
「どうも少し話がむずかしくなつて来たが……」
「判らないかい。つまりね、高橋警部も案外ロマンティーケルだというんだよ。警部は少々彼女を買いかぶりすぎているのさ、警部のテオリーのような整然たる犯罪は心理上ひろ子に出来るはずはない。彼女は理想家であつて実際家ではない。彼女のクリミノロギーは失礼だけれどもたかだかグリーン・マーダー・ケースを出ないんだ。そのひろ子には、他人に知られずに昇汞を手に入れるというようなごく実際的なまねは断じて出来ないと思う。第三、昨日の事件のヴェロナールもまた然り。ひろ子がどうして初江にヴェロナールをのませたか。ヴェロナールの方が昇汞よりは彼女の手に入る可能性があつた筈だが、初江にのませる手段がわからない。しかして最後に、初江にかかつたあの不思議な電話。あれは明らかに外からかかつたものだが、もしひろ子がその電話の主の共犯者であるとすれば、ひろ子はいつその女に、ああも都合よく時間をはかつて電話をかけるように合図をすることが出来たか。この点がはつきり説明が出来ない限り、僕は警部のテオリーに賛同するわけにはいかんな」
なかば灰になつたシガレットをポンとすてると藤枝は、かたわらにおいてあつた旅行案内をとりあげた。
「ところで、僕は今云つた通りこれからすぐ旅行しなくちやならん。目的は例によつて今は云えない。しかし、今月末には必ず帰るからよろしくたのむよ」
「どうも折角なおつてくれたと思つたら、もう又旅行か。そりや仕方がない。じやともかく東京駅まで送つて行こう」
時計を見ると、彼の乗る下関行の発車まで三十分しかないので、すぐ自動車に乗つて私は彼と共に駅までかけつけた。
「ねえ、留守中が心配だね。また何かおこりやしないか」
「うん、わからない。僕はわれわれ法律家の無力をしみじみと感じるよ。ここに将来何か危険なことが起り得ることが判つている。しかし犯人に対して確証がない。こういう場合、われわれ法律家には将来に対してはただ手をつかねていることが正しい道として与えられているばかりだ」
改札口をはいりながら彼はこんなことを云つて、暗い顔をした。
彼が、二等車の中におさまつた時、私は彼の留守中の事が気になるので、
「ところでお嬢さんのおもりは又やるんだろうね」
「うん、やつてくれ給え。もつともひろ子には君はあえないかも知れんよ」
「え? 何故?」
「警部が彼女を疑つていることは今云つた通りだ。まさか拘留はしないかも知れないが、当分毎日よばれるだろうからね」
「何だ君! じや君はあんなに反対説をもつていながら、警部にそれを云わなかつたのかい」
「無論だよ。それどころか、大いに警部の説をほめてけしかけて来たよ」
9
一度でも美しい女性に恋をしたことのある――否、恋まで行かなくてもよい。好意をもつただけでも結構だ――そういう経験のある読者ならば、私が藤枝の言葉をきいて此の時どの位腹立たしく感じたかおそらく推察して下さるに違いない。
探偵小説に出て来る名探偵はシャーロック・ホームズでもフィロ・ヴァンスでもソーンダイクでもポワロでも、思わせ振りな言葉を時々出すばかりで最終の章まで自己のシーオリーを少しも云わないのが通例である。しかしそれは読者を最後まで引きつけておく一つの手段にすぎないのだ。
今、藤枝の場合はそうではない。彼の一言によつて我が愛する――読者よ、思わずはつきり自分の気持を云つてしまつた事を許されよ――あの美しいひろ子が恐ろしい殺人の嫌疑から免れる事ができる所なのではないか。藤枝は明日にも明後日にも可憐なひろ子が警察に引つぱられて残酷な取調べを受けるだろう事を予言している、いなあるいはそのまま警察にとめられるかも知れないのじやないか。
明らかに警察が誤つた疑いをもつているのを知りながら、それを指摘せず、反対にけしかけるとは!
成程藤枝は弁護士ではない。しかし彼はかつて検事を勤めていた事がある。しかも平生正義という事をうるさい程口にしている彼である。たしかにひろ子が犯人でないと信じていながら、(少くも私にはそういう風に彼は云つた)一言も弁解してやらぬとは何たる醜態だ。
私の前で、いや御大層に大きな事を長々と述べたが、それは結局警察では一言も取り上げられなかつたのではないか。
私は余りの腹立たしさに暫く文句もいえず、思わず外から車の中に手をのばして彼の腕をつかんだ。
「おい藤枝? けしかけたとは何事だ。君、君は何故彼女の為に弁解してやらないんだ!」
生憎この時発車を知らせる警鈴が鳴つて、私は駅員に注意されて残念ながら車からはなれなければならなかつた。
「あははは。まあそう怒るなよ。ね、よく考えて見給え。よく! じや御機嫌よう」
一瞬の後ムキになつている私を残して汽車は悠々と行つて了つた。
プラットホームを歩きながら、私は、すぐにこのまま警察にかけつけて、警部に直接面会し、藤枝の吹いた同じ論理で警部をとき伏せ、是が非でもひろ子の為に弁じてやろうと勢こんでかけ出し、駅の階段から歩を地面にうつした途端、何故か私は今云つた藤枝の言葉をおもい出した。
「よく考えて見給え。よく!」
はて、どういう意味かしら。
後から考えて見れば――いや、あとからでなくても、賢明なる読者には私が今まで展開した事実から推して、藤枝が何故ひろ子の為に弁解してやらなかつたか、という事は充分お察しがついたろうと思うがおろかにもその時の私には全然意味が判らなかつたのである。
しかし、自分が警察にかけこむ事だけは非常な克己心をもつて我慢した。今まで藤枝のやる事には必ず何か理由があつたから。
私はあえて克己心という。何故ならば、はたして藤枝の予言通り、ひろ子は留置こそされなかつたけれども、この日おそくまでとめられ、翌日すなわち四月二十七日から四日間連続して厳重に取り調べられていたらしいからである。
私は長いこの物語りの中で、たつた一個所此処でわがセンチメンタリズムに触れるのを許して頂きたいと思う。
読者よ、愛する美しき女性が無実の罪になやめるのをだまつて見ているその私のこの気もちは一体何にたとえたらよかろう。
第四の惨劇
1
思えばこの四日間はひろ子にとつてはおそらく、私にとつては勿論、堪え難い苦悩の時であつた。
しかし、この苦悩の四日はあとから思えばおそるべき惨劇のプレリュードでしかなかつたのである。
あのいまわしい警告の通り五月一日の夕方秋川邸でとうとう第四番目の惨劇が行われてしまつた。
が、順序として私は、藤枝が出発してからの出来事を一通り述べておこう。ただし日記ていに記すことは正確なかわりに、読者にとつて煩わしいと信ずるから、大体のことを大づかみに述べておく。
藤枝の予言通り、ひろ子はすでに二十六日の日大分おそくまでとめられていたらしいが、引きつづいて毎日早くから長時間に渉つて取り調べられるようになつた。
無論、秋川駿三は全力をつくして我が子の名誉を護ろうとしたが、この大家の令嬢が連続して警察に呼ばれたことが新聞社の人に知れぬ筈はなく、諸新聞は大々的にひろ子のことを写真入りで書き立てた。
私は毎朝新聞を見るに堪えなかつたのである。
早川辰吉は依然として警察にいる。
秋川駿三は、二十五日の惨劇当時、すでに健康がおもわしくなかつたのに、あの事件が更に起つたのでますます身体の工合悪くずつと臥床のままであつた。
新しい事件といえば伊達正男の病気である。
彼は二十六日までさんざん警察によばれて取り調べられていたのだが、高橋警部が急にひろ子に目をつけるようになつてから当分呼ばれぬようになつて、ほつと安心して気がゆるんだせいか、風邪気味で二十七日から床についてしまつた。
私が、彼の病気を知つたのは二十七日であつた。この日、一人でひろ子のいない淋しい秋川邸に私が行くと、木沢氏に会つた。木沢氏から伊達のことをきいたのである。
伊達が病気ときいてさだ子が大変心配して木沢氏に頼んだので、木沢氏が診てやつたらしく、大した事はないけれども、熱がある、という事だつた。
私はひろ子が警察によばれている間、さだ子が一体どんな様子でいるか知りたかつたので、会おうと思つたのだが、彼女は毎日の新聞紙及び周囲の評判で秋川家が今社会の問題の中心となつていることを知りすつかり気をくさらしていて、伊達を見舞いに行くことすらさけているというわけで、彼女に会う事は遠慮してその足ですぐに伊達を見舞いに行つて見た。
伊達は思つたより元気でいろいろ物語つたけれども見た所ひどくやつれている。
私は彼が警察によばれて以来、まだゆつくりと話したことはなかつたのだが、今
前へ
次へ
全57ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング