くざい》ということについてうけたまわりたいのでございますが……ここに私がたしかに殺人犯人と信ずる人がいると致します。それで私がその人を訴えた結果、万一後にその人が人殺しでないと明らかになつた場合、私は誣告の責任を負わなければならないでございましようか」
「そうは云えませんな。あなたが故意にその人を陷れたのでなければ。そしてあなたが、どうしてもその人が犯人であると考えるべき理由を十分もつていらつしやればそれは誣告とは云えないでしよう。たとえその人が後に無罪と判つても」
ひろ子は暫く黙つた。彼女はこの沈黙の間に何か余程の決心をしたらしい。
「先生、では私は、私の家におこつた数々の殺人事件の犯人として、妹秋川さだ子と、その婚約者伊達正男を訴えたいと存じます」
「さだ子さんと伊達?」
藤枝が愕然として云つた。
「はい、そうして過去のことばかりでなく、この二人が将来においても殺人事件をおこすことの出来る人だということを断言致します。先生、私の生命も脅かされているのでございます」
今までしつかりしていたひろ子の面上にはこの時、はじめてほんとうに恐怖の色がさつと浮んだ。
「さだ子さんと伊達ですか」
藤枝は非常な緊張した様子でひろ子を見つめた。私は彼が次に何と云うかと思つて息をつめて彼の顔に注意した。
「そうですか。私は必ずしもあなたの訴えをおとどめするつもりはありません。しかし、あなたがそれだけの確信を以て断言なさる以上、二人を殺人犯人と断ずるだけの理由を充分おもちのことと思います。一応それをきかして下さいませんか」
「それはもう充分にもつているつもりでございます。先生、私は、二人が犯人でないという理由をうけたまわりたい位のものでございます」
藤枝はエーアシップを口にくわえると手早くそれに火を点じた。
「十七日の事件が起るまで、父の所に脅迫状がまいりました。そうしてその中一つさだ子の所にも来たと妹は申しております。先生、これは少しおかしくはございません? 十七日の午後、母に薬をすすめたのはたしかにさだ子でした。そしてあの夜、さだ子と伊達さんが母と烈しく争つていたのでございます。その結果、夜中に母が苦しみはじめました。この時、さだ子は着物をきたままでかけつけました。これは私がはつきりとおぼえております。あんなにおそく妹はどうして着物のままでおりましたでしようか。母は死ぬ時にさだ子に[#「さだ子に」に傍点]とひとこと申しました。これはこの前も申上げた通り、母はとり返しがつかなくなつてから自分のかたきを知つたのでございましよう。あの日西郷へ薬をとりにまいりましたのはやすや[#「やすや」に傍点]ですが、やすや[#「やすや」に傍点]が帰つてから薬はさだ子が受け取り、それから夜まで薬はさだ子の部屋にあつたのです。そしてさだ子の部屋には、さだ子は勿論、伊達さんもおりましたことは、いつか私が申し上げた通りでございます」
ひろ子はここまで語つて、自分の言葉が相手にどんな効果を与えたかと、しばらく観察しているようであつた。
「次に二十日の夜の事件でございます。先生は如何お考えか存じませんが、十七日の事件の犯人と二十日の事件の犯人とが、全く別だというのは、私には考えられませぬ。私は断じて同一人であると存じます」
6
「ほほう、それはどういうわけですか」
藤枝が、非常に興味をもつた調子で訊ねた。
「やすや[#「やすや」に傍点]が殺されたからでございます。早川辰吉がやすや[#「やすや」に傍点]を殺したとすれば余りに偶然すぎます。やすや[#「やすや」に傍点]を殺すことは十七日の犯人の為に大へんな利益があつた筈ではございませんか。何故つてやすや[#「やすや」に傍点]は薬をとりに行つた女でございます。犯人が何かの計略を用いてやすや[#「やすや」に傍点]を買収したか、またはやすや[#「やすや」に傍点]が犯人を知つていながら、何かの理由で黙つていたのでございます。ところが、やすや[#「やすや」に傍点]は先生や林田先生のはげしい訊問にあつて、危く口を割りそうになつた。犯人はこの状態に気がついていたにちがいはございません。この状態に気のつき得るものはあの当時、私の家の中にいた人間と申さなければなりません」
「そうです。その通りです」
藤枝が感心したようにつぶやいた。
「二十日の事件では直接の犯人はどう考えても男と思わねばなりませぬ。あんな乱暴なまねは決して女には出来るはずがありませぬ。伊達さんが、まずやすや[#「やすや」に傍点]を庭で殺したのです。そう思うより外ありません」
「すると駿太郎君は?」
「やはり伊達さんにさそわれたのでございます。妹と伊達さんは十七日の犯罪の発覚を防ぐためにやすや[#「やすや」に傍点]を殺すと同時に、更に自分の目的に一歩近づいたわけなのでございます」
「自分達の目的?」
「さようです。あの二人には、大へんな目的があると存じますの。それについては後で申し上げたいと存じます。そこで昨日の事件ですが、これは不思議にも二十日の事件と正反対で、犯人はどうしても女であるとより考えられませぬ。ジョセフ・スミスは夫でございました。初江には夫はございませんでしたから……」
「全くです。それは私も同感ですよ」
藤枝がほんとに感服したような声を出した。彼は半分ほど灰になつたシガレットを皿にすてると更に一本口にくわえて火をつけた。大変にひろ子の話に興味をもちはじめたと見え、両手をしきりとこすり合わせている。
「私が、さだ子と伊達さんが犯人にちがいないと考えましたのは、いよいよ昨日の事件があつたからでございます。第一の事件の場合は犯人が男か女か判りませんが、第二の事件では明らかに男が活動しております。ところが第三の事件では今申し上げた通り、たしかに女が働いております。第一、第二、第三の事件が仮りに同一犯人によつて行われたとして、一つには男が働き、一つには女が働いている。こう結論をたててまいりますと、さだ子と伊達さんを疑うより外仕方がないのではございませんか」
「ひろ子さん、しかし昨日はさだ子さんはずつと二階にいた筈ですよ」
「はい。はじめは伊達さんと、後では林田先生と」
「伊達君と話していたという場合が疑わしいと云われるのですな」
「無論でございます。しかし、ねえ先生、林田先生と妹が話していたということについて、何か妙なことにお気がつきません」
私は愕然とした。昨日同じようなことを藤枝が私に云つたではないか、私は彼が何と考えるか、全身を耳にして待ちもうけた。
「妙なこと? さあ……」
「こういうことでございますの。第二の事件がおこりました時、あの二十日の夜、やはり妹は林田先生と二人で二階におりました。そうして昨日やはりまた二人で二階に居りました。いいかえればあの二人がさだ子の部屋にいる時、いつも恐ろしい事件が起つているではございませんか」
7
「そうです。そうです。その通りです」
藤枝が突然大きな声で云つた。
「ねえ先生、これはどう考えたらよいでございましよう」
「ひろ子さん、あなたはどう思いますか」
藤枝は、非常にムキになつて訊ねている。
「一言で申せば、林田先生が何かの理由でさだ子をかばつていらつしやるのではございませんかしら。何かの理由で、さだ子の為にアリバイを立ててやつていらつしやるのではないかと存じますの」
「林田がさだ子さんを庇つている? 不可能です。断じて!」
「いえ、勿論、林田先生はさだ子達の犯罪には気がついておられぬのです。犯罪をかばつてやつてらつしやるわけではないのでしようが……」
ひろ子は、やや弁解するような調子で云つた。
「ねえひろ子さん、あなたはいい所に気がついてはいらつしやるが……それで一体、さだ子さんと伊達君は、どういうわけでこんな恐ろしいことをはじめたのでしようね」
「それでございます。勿論殺人の動機などというものは、無暗に判るものではございません。けれど私にはこんな気が致しますの。あの二人を動かしている根強い力はこの秋川一家に対する恨みでございます。それから直接の動機は無論金銭上の問題だと存じます」
「うらみ? あとの方はよく判つていますが、うらみとは?」
「先生、これがお判りになりません? 伊達さんは、一体何者でございましよう。全く当家にとつては他人ではございませんか。その人に私の家の財産の三分の一を与えるなどということは父が気でもちがつているのでなければ云えた話ではございません。父にきけばいずれ伊達さんのお父さんと同郷だつたとか、世話になつたとか申すに違いございませんが、それならば、父は何故はつきりそれを云わぬのでございましよう――仇です。きつと敵です。伊達さんの父は、私の父のきつと仇だつたにちがいありません」
この一言をひろ子は、はつきりと云い切つたが、この言葉をきいた時、藤枝の右手からエーアシップが床にポットリとおちたのを私は見のがさなかつた。彼はあわててシガレットを取り上げたが、こんなに彼が驚いたところを、私は今まで見たことはない。このひろ子の言葉が如何に藤枝をおどろかしたか。何故、こんなに藤枝がおどろいたのだろう。
「仇でございますとも。あの人の父はきつと私の父を恨みながら死んだのにちがいありませぬ。それでなければ何故父がああいう風にずつと恐怖しつづけているのでしよう。伊達さんがおそらくは父の過去の秘密をかぎつけて脅迫状を父に送つていたに相違ありませぬ。父は誰か終生の敵をもつているのでございます」
「では、その終生のかたきの子を育てているのは?」
藤枝の声はかすかに慄えている。彼は何か非常な興奮を抑えているらしい。
「父の罪亡ぼしでございます。私は父の過去も伊達さんの過去も存じません。ただ女の直観としてそう思うのでございます。父は過去に、伊達一家に対してなした何かの罪のつぐないをしているのでございます。私は自分の本能を信ずると同時に、この事実が論理的にもよくこの状態を説明することが出来ると信ずるものでございます。もしそうでなければ、何度もくり返す通り、何故父があんな馬鹿げた婚約の条件を出したのでございましよう」
藤枝が、全く興奮した表情で思わず何か云おうとした途端、口にくわえたシガレットが床に落ちたが、今度は彼はそれに気がつかなかつた位、ひろ子の話に夢中になつていたのである。
8
この藤枝の様子に気がついたかどうか判らぬが、ひろ子は更に話をつづけた。
「ねえ先生、それに伊達さんの相手がさだ子ではございませんか。さだ子は母が死ぬ前の日に申した通り、たしかに母のほんとうの子ではございません――おお、そういえば、先生は、あれはしかしたしかに父の子だといつかおつしやいましたね」
「そうです。今でもそれは信じています。ひろ子さん、あの方の横顔をよくごらんなさい。争われぬものですよ。お父さんに実によく似ているじやありませんか。どんなにかくしても真実の肉親は必ず横から見ると判るものですよ」
「そうでございますか……と致しますとなおさら二人を疑わねばなりませぬ」
「とはまたどういうわけで?」
ひろ子はちよつと何か考えていたがやがてまたつづけた。
「これは子として父を非難することになりますので、大変申し上げにくいのでございますけれど……事がこう切迫した以上、それに父がどうしても口にはつきり出さない以上、おまけに私がすでに犯人と思われる人の名をはつきり申し上げた以上、かくしておくわけに参りませんからお話致しますが、さだ子が母の子でなくてしかも父の子であると致せば、さだ子の母は何者でございましよう。勿論私には判りかねます。けれど、父が再婚したという話はきいておりませぬから、きつとさだ子の母というのは私の母以外の者で、何と申しますか、まあかくれた女だつたと思うより外仕方がございますまい。母が死ぬ前にちよつと口を開いた当時の口ぶりによつても、そう考えるのが一番真相に近いと存じます。母のことですから、さだ子の生母の事を知つても、烈しく父と争わなかつたにちがいあ
前へ
次へ
全57ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング