来るかも知れない」
「かも[#「かも」に傍点]じやないよ。願つてもないいい役目じやないか。そして少しでも変つた所があつたらすぐしらせて貰いたいんだ。それから警察の方にも君の事をよくたのんでおいたから、便宜をはかつてくれるだろう。早川辰吉の方の事も時々きいて貰いたい」
「よろしい。引き受けよう」
「ここで林田におくれるのは残念だけど、今はそんな事を云つてる場合でないから、林田にも電話で令嬢の事を一言云つておいた。彼はちよつと前僕を見まいに来てくれたが、僕と同意見らしいから充分二人に注意する筈だよ」
彼はかなり苦しそうにこう云つたがしばらくしてまたつづけた。
「一番大切な事は、事態が切迫しているらしく思われるということだ。かりに早川が犯人だつたとすれば僕の心配は杞憂に終るわけだが、そうなりや幸さ。ともかくもし事がおこれば決して五月一日まではまたないよ。ここを充分気をつけてくれ給え」
こう云う間も気にかかる、という様子なので、藤枝の所を辞するとすぐ私は秋川邸へといそいだ。
時計を見ると、十一時ちよつと過ぎである。これからゆつくり保護だか監視だかしておれば無論|正午《ひる》をすぎるわけだ。藤枝は秋川家で昼めしも食べろとは命令していない。今頃訪問するのはかなり気の利かぬ話だけれど、ともかく一応は行つて見なければならないので、私はまつすぐに秋川家の玄関に来た。
笹田執事の案内で私は早速応接間に通された。丁度そこに林田がさだ子と何か話している所であつたがさだ子の顔は昨日よりいたましく見えた。
「ああ小川さん、今藤枝君の所へ寄つて来ました。御病気のようで、お気の毒です」
「いや、彼に仆れられて私の責任甚だ重大という事になつて困つていますよ」
さだ子は私が部屋にはいると、まもなくドアから去つたが、ひろ子をよびにでも行つたのであろう。
「これは藤枝君と私と同じ考えなんですがね、用心の上にも用心するに越した事はありませんから、当分この家に毎日来て見ようと思うのですよ。あなたもそうなさるおつもりでしようが」
「ええ、今藤枝に云いつかつたんです。ただ令嬢のお相手をしていればいいんだそうです。悪い役目じやないが、しかし何だか重い責任を負わされたようでね」
「主人は、まだ床についたままで、今日も木沢氏が来ていますが、まあそのうちよくなるでしようから、そしたらゆつくり会つて見ましよう」
こんな話をしている所へ、ひろ子がさだ子と一緒にはいつて来た。
「小川先生、藤枝先生がご病気なんですつてね」
3
「ええ、風邪をひいちまつて困つてるんですよ」
まさかお宅の煙草のおかげで咽喉を悪くしたとも云えない。
「でもあなたがおいで下さつてほんとに安心致しましたわ。それに林田先生もずつといて下さるつておつしやるので……」
「はあ、私なんかは役には立ちませんが、当分お淋しいだろうからお相手でもするように、と藤枝が云いますので」
これも、まさか監視に来たとは云えないのである。
「父も実は大変喜んでおりますのよ」
「おや、御機嫌がなおりましたか」
こう云つたのは林田であつた。
「はい、一時は大変力を落して、もうどなたにもお目にかからぬような事を申しておりましたのですが、昨日もああやつてお運びを願つた事をきいて今日はもうすつかり感謝しております」
さだ子が云つた。
「ただ木沢先生が今日一日はどなたにも会わずに静かにしていた方がよい、と申されますので今日は失礼するから、私共からくれぐれもお礼を申し上げるようにつて只今云つておりました処でございます」
ひろ子があとを引きとつて語つたが、ともかく、この家の主人公の気分がなおつてくれたのは何よりである。
「あの、林田先生、只今妹からききましたんですが、伊達さんが警察から帰らないとか……」
「ええ、どうも警察では一応伊達君をも留置したらしいのです。さだ子さんからのお頼みもありますし、またあとでもう一度行つて見るつもりですが。ただ此の事は非常に秘密になつているのですからそのおつもりで……」
こうやつて四人は暫く応接間で語り合つていた。伊達がどうして戻つて来ないのだろう。彼がとめられたとは初耳である。
さだ子が、憂わしげに見えるのも無理はない。
ひろ子達の好意で、昼食は秋川家で食べる事になつた。下の日本座敷でひろ子、さだ子、初江、林田、私が一緒に卓をかこんだ。
主人は、まだベッドを離れられぬので、久や[#「や」に傍点]という女中が二階に食事を運んで行つたらしい。
食事中は初江が女中の代りに給仕をしてくれたが、よく見ると成程、昨日木沢氏が云つた通り、このお嬢さんが、一番、発達した健康そうな肉体をもつている。
夕方までいたけれども、別にこれと云つて、変つた事もないので、林田と私は六時頃、秋川邸を辞して警察に行つた。
この夕方伊達は帰宅を許されたが、また明日呼び出されるという事である。
早川辰吉の方は、藤枝が云つた通り、邸宅侵入罪で拘留されて、なお殺人の方を盛んにつつこまれたらしいが、まだ自白とまではいかぬらしい。
「夢中で、やす子の首をしめたのかも知れぬ、という所までこぎつけたんですがね。……駿太郎の方は断じて知らんと云つています。なお私の方では、今までの彼の経歴を調べるために刑事が、ゆうべ大阪に行きましたから、じき素性は判るでしよう。前の情婦の岡田かつ、という女との関係も調べる筈になつています」
高橋警部はこう私達に説明した。
その夜、私はまた藤枝を訪ねた。あいかわらずまだ熱は下らぬようだ。
ベッドの傍《かたわ》らには、今朝の新聞と今夕の夕刊とがたくさんおいてある。いずれも大見出しで「秋川家の怪事件」「犯人(?)捕わる」というような事が書かれ、家族一同と、早川の写真が掲載されてある。
4
しかし、伊達が警察にとめられた事は、成程、余程秘密になつていると見えてどこにも出ていなかつた。これはけさ藤枝が警察と電話で話した時も、警察の方で云わなかつたらしい。無論藤枝自身が電話に出れば、警察でも語つたのだろうが母が代つて会話をしたために云わなかつたらしい。警察の用心のほどが思いやられる。
だから、伊達がとめられた一件と、駿三の機嫌がなおつて来た事とは、この日私が藤枝に伝えることのできたニュースであつた。
四月二十二日は斯くしてあけ、斯くしてくれた。
翌二十三日の朝、わりに早く、私は藤枝に電話でよばれていそいでかけつけた。
私が藤枝のところに着いた時は、丁度、かかりつけの医師が来ていて、何か薬をしきりと彼の咽頭部に塗つてやつているところだつた。
「先生に、しやべるのと煙草を喫うのはいかんて、今叱られたばかりなんだがね。どうしても君に云わなきやならぬ事があるので、君をよんだんだよ」
私が医師に挨拶してしまうと、半ば弁解がましく藤枝が云つた。
「しかし君、どうなんだい。身体は。……如何です。昨日よりはいくらかよろしいでしようか」
私は医師の方に向いた。
「余り変りませんな。熱もまだあるし、まあ四、五日は静養される必要がありましよう」
医師は無論藤枝の職業を知つているので、何か私と秘密の話があると推察したと見え、一応、手当を説明して直ぐに帰つて行つた。
「実はね」
こう云つたが、苦しそうに彼はゴホンゴホンと二つ三つ咳をしながらつづけた。
「昨夜熱でよく眠れないんで、例の事件をいろいろに考えて見たよ」
「うん、うん」
「事件は依然として謎だ。いろいろに考えられる。警察の方も余りはかどつていないらしい。そこで僕は、ある考え方を進めて見たんだ。その結果、僕は三つの大切な結論に達した。昨日君に頼んだ事と少し変つてくるからよくきいてくれ。もし、将来、警戒すべき事件が起るとすればだ[#「もし、将来、警戒すべき事件が起るとすればだ」に傍点]。第一[#「第一」に傍点]、一番危険な場所は秋川邸内だ[#「一番危険な場所は秋川邸内だ」に傍点]。従つてその家族を保護するには、彼らを家から外に出す工夫をしなければならぬ。第二[#「第二」に傍点]、昨日は君にひろ子とさだ子に注意してくれと頼んだが、これを今改める。君は、将来、あの家族は勿論、あの家にいる者、来る者全部の行動に注意してくれ給え[#「あの家にいる者、来る者全部の行動に注意してくれ給え」に傍点]。たとえそれが警官であろうと医師であろうと同じ事だ。勿論君一人でこれら全部を一眸の中におさめる事は不可能だろうし、君があの家にいない時にはどうする事も出来ないわけだが、ともかく、それだけの事を心においてくれ給え。第三に、伊達正男が警察にとめられている限り、将来の事件は多分おこらない[#「第三に、伊達正男が警察にとめられている限り、将来の事件は多分おこらない」に傍点]。しかし昨夜きけば、もう帰されたそうだから充分気をつけて……」
「じや君はやはり伊達正男を……?」
「いや、今は何もきかないでくれ給え。今いつた三つの事だけを充分注意していてくれないか」
私は少々呆れて彼の顔を見つめた。
「ところで早速今いつた重大な点の第一の応用問題だが、今日は君、秋川邸へ行つたら、誰でもいいからできるだけあの家の人をつれて、芝居でも活動へでも出かけ給え。できるだけ長く外にいるんだよ」
「しかし僕一人で、そう一人以上の保護はできないよ。何か外で起つた場合は」
「その危険は断じてない。荒唐無稽な探偵小説か何かでなければ自動車でさらわれたりなんか決してないよ。殊に今度のようなえらい犯人がそんな事をするものかね」
5
「でも……僕一人で大丈夫かな」
「大丈夫だ。秋川邸の外に出ている限り、おそらく君が附いていないでも大丈夫だと思う」
「じや、君の指図に従うとするが……すると秋川邸内の方は僕は一日留守にするから何も判らないよ」
「無論それは仕方がない」
「では失敬」
私はよく判らぬけれども、藤枝の命令に従つて、ともかく秋川家の令嬢を連れ出すべく、邸にいそいだ。
私が同家に着いた時は、未だ林田も木沢医師も来ていなかつた。知り合いになつた関係上、やはりひろ子をたずねるのが自然なので、笹田執事にその旨を頼むと、ひろ子がすぐ出て来てくれた。
自分の部屋に来てくれという事だつたので私も余程それに応じて行こうかと思つたのだが、藤枝か林田ならばともかく、私は藤枝の代理とはいうものの事件に対する観察力などというものはまるでないのだし、云わばひろ子達のお相手役なのだから、一人でひろ子の部屋で差し向いになるのはちよつと礼を失するように思われる。
それで応接間で話すことにした。
「あの、藤枝先生は如何でございますの」
「あいかわらずですよ。まだ熱があつて床についています」
「まあ、いけませんことね。生憎な時に」
ひろ子はうれわしげな表情をした。
「お父様の御様子は如何です」
「ありがとうございます。もう大分よろしいので。けさからおきておりますの。午後になつたら、部屋から出て庭ぐらいあるいてもいいだろうということでございます。先生方にもお目にかかつてお礼申し上げると申しております」
「じや、ずつと御機嫌はいいんですな」
「ええ、そりやもう……」
「ねえ、ひろ子さん、突然ですが、今日どこかに出かけて見ませんか」
さすがにひろ子はちよつとおどろいたらしい。
「これは藤枝がいうんですよ。私に是非あなた方に申してくれということだつたんです。ああいういろんないやな事があつた後だから、こうやつてうちにばかりひつこんでいらしつてはいけない。ますます気がめいる[#「めいる」に傍点]ばかりだから、少し陽気に外に出かけなすつた方がいいだろうというのですよ。無論あなたお一人でなく、出来るなら、さだ子さんも初江さんも御一緒にね」
「藤枝先生がそうおつしやつて下さつたのでございますの」
「ええ、だから出かけようじやありませんか。尤もこれが普通だとお母さんがなくなられ、弟さんも死なれた直ぐ後で、むやみに外に出歩くというのはいけないかも知れませんが……何分、藤枝が、あとの方のために出来るだ
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