「私は早川辰吉と申し本年二十三才になります。最近牛込区○町○丁目の八重山館という下宿にまいりましたが別だん職業というものはありませぬ。私の父母は相当の商人で、質屋をしておりました。私の少年時代には父母は健在で大阪におり、私も同地の小学校に通つていたのです。小学校を出る頃父を失いました。しかし、資産は相当ありましたので私は別段困ることもなく、つづいて同地の某中学校に入学致しました。中学の三年の頃母を失つてしまつたので、大阪市外に当時住んでいた私の叔父の所に預けられ、そこから学校に通つておりました。
それからずつと叔父の所で通学して居りましたが、中学を出る頃になつて、私ははじめて、父の財産の全部を叔父に横領[#「横領」は底本では「横母領」]されていることに気がつきました。無論私は叔父だの叔母[#「叔母」は底本では「叔」]だのとさんざん争いましたけれども、とうとうごまかされてしまつたのです。叔父は私の後見人である地位を利用して実に非道な事をやつてしまつたのです。そうです、叔父があんな奴でなかつたなら私も今こんな浅ましい姿にはなつていなかつた筈なのです」
彼はこう云つたが余程残念だつたと見えて涙が一杯目にあふれて来た。
「親戚の人々もこの悪い叔父に楯をつく者は一人もないので、私全く一人ぼつちになつてしまいました。でも中学を出ると、進んで高等学校に入る気だつたので、一回その入学試験を受けましたがうまくまいりませんでした。これが丁度私の十九才の時であります。
「叔父は私に僅かばかりの資産を渡して、私が堕落するようにしむけました。今から思えば実に残念なわけですが、当時一方には自暴自棄になり、一方若いのに少しばかり自由に金が費えるようになつたものですから、私は日夜酒色に耽るようになつてしまいました。全く私は叔父のうまい計略に引つかかつてしまつたのでした。叔父は一方私に自由になる金をまかせて、酒色に溺らせるようにしておきながら他方多くの親戚達に、いかに私が愚か者であり、手におえぬ道楽者であるか、という事を宣伝してまわつたのです」
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「それまでは、表向き叔父に反抗しないでもかげではひそかに私に同情していてくれた人たちが親戚の中にも友人の中にも二、三あつたのですが、日毎にすさんでゆく私の有様を見、またそれを誇大して伝える叔父の宣伝の為に、皆私に愛想をつかして、だんだんと遠ざかつてしまいました。
「二十歳の春に私はバーに通う事を知り、その年の秋には茶屋酒の味を知りました。私はほんとうに淋しかつたのです。父母が生きていてくれたら……何度、どんなにこう心で叫んだか分りません。一番近いと思つていた親戚に裏切られた私は、色街にさまよいながらもいつも他人の――ことに異性の親切、真心をしたい求めるようになつたのです。
私が、全く酒色に溺れ、とうとうある廓の女と懇ろになつたのは、真に叔父にとつては思うつぼでした。彼は私の知らぬ間に、親族会議を開いて私が到底父の業をつげぬ男だということを親戚一同にも認めさせ、公然と私の家を乗取つてしまつたのでした。御上の前で恐れ入りますが、実際こういう人間が平気で大きな顔をしてくらしておるなんて、世の中というものは変なものだと思います」
辰吉は真実うらめしそうにこう云いながらわれわれの方を見た。警部は石のように無表情で彼のいう事をだまつてきいている。藤枝はしかし、いかにも同感というような顔付で、早川辰吉をながめた。
「私の家を乗取つた叔父は公然と私を追い出しました。否私の方からとび出たのです。そうして南地に出ていた金三という芸者と大阪市外に半年程同棲するようになりました」
「その姓名は?」と警部がちよつと口を入れた。
「岡田かつ子と申しました。当時は未だいくらか金もありましたので、二人でのんきにくらしておりましたが、半年程一緒におりまして事情があつて別れました。これが二十一才の時であります。それから後懇意になつたのが、今度事件になりました佐田やす子という女で、これは道頓堀のシュワルツエ・カッツエというバーの女給でした。
昨年の一月頃に私はそこへ行つて懇意になりました。当時やす子ははるみ[#「はるみ」に傍点]という名で出ていました。その頃はもう余り金もなく、公然と一緒になるのもうるさかつたので、忘れもしませぬ、昨年の一月廿八日、二人で大阪を逃げ出しまして、名古屋におちついたのでした。名古屋には、やす子も元いたことがあるという事だつたので、都合がいいと思つたのです。
昨年の七月までは、無事に二人で何とかして暮していたのですが、いよいよ生活が苦しくなつたので八月からやす子をまた名古屋のあるバーに出して働かさなくてはならない状態になつてしまいました。
私は、式こそあげないでも、まあ私の妻であるやす子を、バーに出すということには多少の不安を感じないではありませんでしたけれども、今申したように金が無くなつたので、これはどうもやむを得ないことだつたのです。
やす子の様子が怪しく思われはじめたのは九月|半頃《なかばごろ》からでしたが、でもこれは私の邪推だと思つて我慢をしておりました。丁度その頃私も何か働かなくてはならないので、やつと小さな印刷屋に、毎日出て働く口を見つけ[#「見つけ」は底本では「目つけ」]ました。
こうやつてまず九月は無事にくらしたわけです。
十月にはいつて丁度五日の日でした。私は終日働いてやつと夕方六時頃、うち――といつても無論間借りなのですが――に帰つて見ると、やす子がいないのです。気がついて見ますと、やす子の持物が全くありません。畜生! 情夫を作つてとうとう逃げやがつたな! と私は思いました[#「ました」は底本では「ました。」]」
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「それから私はおはずかしい話ですが、全くやす子を探すので夢中でした。私は毎日餓鬼のようになつて名古屋中をうろうろたずね廻りました。やす子の出ていた店は勿論、バーとカフエーを片つ端からたずねあるきまわりましたが全く彼女の行衞《ゆくえ》が判りませぬ。
十一月なかば頃まで探しましたが何処へ行つたのかさつぱり見当がつきません。それで十一月になつてから、再び大阪に戻つたのです。彼女の逃げた相手の男の手懸りさえあれば、勿論何とかなるのですが、てんでその相手さえ判らないのです。
大阪に戻つて恥を忍んで一時叔父を訪ねましたが、叔父は全く相手にしてくれません。それで私は、又労働をしたり色々なことをしながら大阪中を探しまわりました。
昨年中大阪におりましたが、元のつとめ先のシュワルツエ・カッツエという家の、他の女給の話から彼女が東京に行つているようなことをちらとききましたので、旅費を工面すると早速上京いたしました。それが今年の一月のことであります。
東京は広い上に、何分私ははじめての所なのでどこをどう探していいかさつぱり判りませぬ。銀座のバーを片つ端からたずねようと思つても、金がなくては表からはいるわけにも行かず、その間私は新聞を売つたり何かして云うに云われぬ苦心をいたしました、女一人の為に馬鹿な話ですが、私は全く夢中だつたのです。
でも、一心というものはおそろしいもので先月はじめに、渋谷の方で、彼女の姿らしいものを、乗合自動車の中で見かけたのです。私は歩いていたので、そのまま追つかけるわけにはまいりませんでしたが、それからというものは渋谷の方に居《きよ》をうつして毎日毎晩あの辺を見張つておりました。
偶然の機会から、渋谷の小さなバーで彼女らしい者がその近くのバーにいることをききましたので早速行つて見ますと、二、三日前にひまを取つたばかりの所でした。それは本月のはじめのことであります。
しかしこれまで判れば、あと探すことは余程楽になりました。私は彼女の兄弟ということで、そこの店でいろいろききますと、大分探り出すことが出来ましたので、更にやす子が頼みに行つたらしい桂庵を捜しますとちようど本月八日に、牛込の秋川という家に奉公に上つたということが判つたのです。どこをどう胡魔かしたのか、ちやんと姉という人が保証人になつておりますそうです、がそれは渋谷のバーに一緒にいた年上の女で、今は男と一緒になつて一軒ちやんと店をもつている人らしいのです。
私は、その日から今おります下宿に岡本一郎という偽名ではいり込んで、毎日秋川家の様子を見ておりました。勿論、はじめの考えでは、いきなり秋川邸に彼女を訪ねるつもりだつたのですが、さて門の前まで行つて見ると、余り立派なので急におそろしくなり、いつか彼女が出て来たら会つた方がいいと思いなおしました。電話をかけて相手に警戒されるのもつまらぬと考えて機会を待つていたわけです。するととうとうその機会がやつて来ました」
「ちよつと」
藤枝が、急に口を出したが、ちらと警部の方に許しを乞うような顔付をした。
警部も別に反対しなかつたらしいので、彼は早川辰吉の方に向き直つた。
「それがつまり今月の十七日の午後だつたのだろう。佐田やす子が秋川邸を出て薬屋に行つた時、君は彼女に会つたわけだね」
この質問は私にとつてはまつたく意外だつた。
しかし早川は別に驚きもせずに答えた。
「はあ、本人もそう申しましたのですか。おつしやる通り、あの日の午後、私はやつとやす子をつかまえたのでございます」
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「会つた時の話を詳しくしてごらん」
今度は警部が早川に向つて云つた。
「はい。あの日、やはり私は、いつもの通り秋川家のまわりをうろうろしておりますと、何時頃でしたか、ともかく夕方、裏門から彼女らしい女が出てまいるのです。すぐにかけつけて話をしようと存じましたが、彼女は何かひどくいそいでおりますので、私は考えをかえ、ひそかに尾行してまいりました。すると五、六町も行つた所の西郷薬局という店にはいりました。私は一分を一時間位の気もちで持つておりますとやつと出てまいりましたので、曲り角でいきなり彼女に出会したのです。
この時のやす子の驚きは申し上げるまでもありません。私は今まで思つていたことが一時に胸に迫つて来て何から云つてよいやらほんとにわけが判らなくなつてしまいました。しかし何分往来中のことでもありますので、二、三町廻つた所の小さな公園の中にはいり、ベンチに腰をかけて六、七分ばかり話し込みました。無論彼女は逃げよう逃げようとしていたのでありますが、私がおどかしてつれて行つたのです。
ところが、やす子は、帯の間から薬の包を出して、何分今急病人があつてこれを取りに行つたのだから、今は長い話はできぬと申して逃げようと致しました」
「ちよつと君。やす子はその薬袋を手にもつてはいなかつたかね」
藤枝が言葉をはさんだ。
「いえ、帯の間から出して私に見せたのです。私も、ともかくここで長い話はできぬ。では今はこれで別れるが今夜ひまがあつたら会おうじやないか、と申し出しました。それまで彼女は、決して情夫なんかあつて逃げて来たのではない。これには深いわけがあることだとしきりと弁解しておりました。今度、僕が邸の塀の外で草笛をふいたらそれを合図に必ず出て来い、出て来ないとどんな目にあわすか判らないぞ、とこう申して仕方なく十七日の午後は別れました。その夜、塀外でしきりと合図を致しましたが、一向やす子は出てまいりませぬ。癪にさわつたので電話をかけて見ますと、いきなり外の女の声がしたので何も云わずに切つてしまいました。
そのあくる日、朝から見張つていると、何事が起つたか、朝から警察の方々がしきりと秋川家に出入していられるようです。こりやどうしたのかなとふしぎに思いながらその日の夕刊を見るとあの始末です。これじやとても今日はやす子が出ては来まいと、十八日中はあきらめて、帰つてしまいました。
十九日の朝早く、電話をかけますと、ちようど偶然やす子が出て来ました。今夜はあわねば殺してしまうぞと勿論これはおどかしで申したのですが、今夜は明日の葬式の為にとても出られぬと申します。じやあしたの夜、すなわち、昨夜です。二十日の夜合図をしたらきつと出て来い
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