すということは余り大胆すぎるからね。ただ以上、誰の場合でも、一番説明のしにくい所は、一体犯人は昇汞をどうして手に入れたかと云うことだよ」
11[#「11」は縦中横]
「第一回の犯罪においては今いつたように、駿三、ひろ子、さだ子、伊達の四人を疑うことができる。ところで第二回すなわち昨夜の犯罪ではどうだ。このうち、駿三、ひろ子、さだ子の三人はいずれも直接の犯人ではない、といわなければならぬ。皆が皆完全にアリバイをもつていることすでにいつた通りだ。
「ところで始末の悪いことに、今いつたように一番怪しく思われる――すなわち直接の犯人と疑い得べき伊達正男はこの三人のどれとも、ひそかに連絡し得るのだ。では右の三人はいずれも同じ程度に疑わしいかというにそうではない。
「僕は父親になつた経験はないけれども、父が子を殺すということは、姉が弟を殺すというよりもはるかに難《かた》いと思つている。従つてこの場合、ひろ子、さだ子の方が駿三よりも疑うとすれば程度が高かるべきだ。
「ところで、僕はここで君に昨夜の事件のうち、最もデリケートな一点を特に指示したい。それはあのレコードのトリックだよ。犯人が何故あのレコードに変な仕かけをしたか、僕は昨夜の犯罪の重大な特色の一つとしてあのトリックをあげたい。夕べ君に示した通り、あのレコードは知らない人が見ると、トリオの部分まで行かぬ所で君が針をあげてしまつたことになつている。そういうトリックだ。僕は幸いあれと同じレコードをもつているので昨夜おそくうちで、標準スピードでかけて見ると、あそこまでは丁度二十四秒しかかかつていない。ほんとに君が針をあげた所までやると正確に一分二十秒かかる。こんなトリックを何故やつたか。そもそもかようなトリックが通常の犯人に考えつくことだろうか。実にこの点だよ。あれは、今回の犯人がやつたことの中で一番賢いところだが一方から云えば、大変な手落ちだつた。何故ならば、僕らは、愚かな頭脳所有者を嫌疑者の中からオミットすることが出来るからねえ。あんな利口なまねの出来る人がもし秋川家の中にいるとすれば一体誰だろう」(ヴィクターレコードの標準スピードは一分間七十八回転。作者附記)
藤枝はここまで来るとちよつと黙つたが、ふとまた云つた。
「今回の犯罪で注意すべきはまず此の点だろうね」
私はこの時思い出したことがあつたのでたずねた。
「駿太郎ね、一体あの少年をすつぱだかにして後手に縛つてなぶり殺しにするとはずいぶんひどいやり方じやないか。もし彼をただ殺すのが犯人の目的だつたとすれば……」
「さあね、しかしここに駿三に深刻な恨みをもつている奴がいて出来るだけ彼を苦しめようとすれば、出来るだけその子を残酷に殺すことになる。現にその目的は充分達しているぜ。駿三はわりにしつかりしているが心の中ではずいぶん苦しんでいるらしいからな」
「駿太郎は何と云つたつて少年だ。そう大して人に恨まれているとも思えない。して見ると親の因果が子に報いたという次第かな。そうするとただ財産関係であの少年が殺されたというわけでもないね」
「君は中々うまいことを言うよ。いい所に気がついたね。全くそうだ。問題は二つある。第一は何故駿太郎が殺されたかということ。第二は何故彼があんな殺され方をしたか、あんな残酷な殺され方をしたかということだ。あの少年の殺された方法はたしかに今度の事件で考慮に入れるべき特色の一つだよ。この二つの問題を同時に満足させるべき答はただ一つだ。すなわち非常に深刻に駿三を憎んでいる人の犯罪だという解答だ」
彼はこう云つて私をしばらく見つめていたがやがて三分の一程にもえつくしたシガーをポンと灰皿に投げこんだ。
「けれども、もう一つ妙なことに君は気がつかないかい」
12[#「12」は縦中横]
「さあね」
「あの豊頬の美少年を素裸体《すつぱだか》にした上、後手に縛つてしめ殺したり、あるいは頭を割つたり、やす子の胸まではだけて殺していたりして何となくこの犯罪は、いわば変態的なエロティックな臭味を大分もつているとは思わないかい」
「そういえばそうだね」
「やす子の方はまあ抵抗の結果ああいう死にざまになつたとしても駿太郎の着物をはいだのはどうしたつて犯人だからね。死んだ後にはいだかもしれないけれど……」
「しかし君、後手に縛られた手首が大分すり切れていた所を見ると駿太郎は縛られてからかなりもがいたらしいじやないか[#「ないか」は底本では「ないか。」]」
「えらい。中々君はよくおぼえている。じや君、もがいている間に少しも叫び声を立てなかつたのをどう説明する?」
「そうさね。まずガンと一撃頭をなぐつて昏倒したひまに着衣をとつてはだかにし、それから縛つて駿太郎が息をふき返したとき改めて絞り殺したんじやないか」
「その通り。解剖の結果で判るだろうが、僕もそう思うよ」
「ともかく、駿三に深刻な恨みをもつている奴の仕業《しわざ》とすれば、少くもひろ子、さだ子、伊達の仕事としちやちよつとおかしいな」
「君、物には裏の裏ということがある。僕が検事をしている時に取り扱つた事件で、一見財産の為の人殺しのように思われて調べて行つたら実は痴情の故だということが判つたのがある。また丁度それと反対なケースもあるよ。だから外見からうつかりスタートすると、とんだ迷路にはいり込んでしまうものだ。僕は今度の駿太郎の死に方を一つの特色にかぞえるけれども、この特色に決してごまかされてはいかんよ。案外犯人のあくどいトリックかも知れんからね」
藤枝はこういうと、シガレットケースからエーアシップをまた一本とり出した。
この時電話がチリチリとなつたので彼はいそいで立つて行き、暫く話していたが、まもなくそれが終ると、にこにこしながらもとの椅子に腰をおろした。
「奥山君からだよ、頼んでおいたのでけさ二人の死体の解剖に立ち会つた結果を報告してくれたんだ。駿太郎の直接原因は、絞殺だそうだ。つまり、ガンと食わせた方がさきで、後に絞殺ということになつて、今君の云つたのとよく合つている。それからやす子の方は扼殺だということが明らかになつたよ」
するとまた、電話のベルがけたたましく鳴りはじめた。
「おやまた奥山検事からかな」
藤枝はいそいで立つて受話器を手にとつたが、
「あ、高橋さんですか。何、けさ捕まつた? どこで? 新宿駅で? そうですか。うかがつてもいいですか。じや、御邪魔します」
と云つて電話を切るとすぐ私の前に来た。
「何だい。犯人が捕まつたのかい?」
「うん、けさ早く牛込署の刑事が、方々の停車場に張り込んでいると妙にそわそわした男を新宿駅で発見したそうだ[#「そうだ」は底本では「そうしだ」]。不審訊問をすると答がおかしいのでとりあえず署につれて来たら、ようやつともう少し前に昨夜秋川邸へ侵入したという事実を自白したそうだよ[#「そうだよ」は底本では「そうだよ。」]」
「殺人もか」
「そこまでは行つていないらしい。司法主任の好意で来るなら来てもいいつてことだから行つて見ようじやないか」
無論躊躇すべき場合ではない。
藤枝と私とはすぐに自動車に乗つた。
被疑者
1
車に乗ると、彼は相変らず自動車中を一杯に煙草の煙を吹きつづけたが、何を思つたか、ふとこんなことをいい出した。
「あの、伊達正男という青年ね。ちよつと好意のもてる顔をしているじやないか。いい青年だよ。僕は、彼が今度の犯罪事件に全く関係のないように望んでいるんだがね。そういえばあの男たしかに誰か僕の見た男に似ているよ。どうも思い出せない……」
私にはしかし彼のいつてることがよく判つていた。伊達は、そのおもざしが、花形力士天竜をまともに見た時の感じによく似ているのである。あの凛然としていて同時に一くせありげな面だましい、ともいうべき顔によく似たいい男である。
この年の一月場所、私は藤枝を角力にさそつたことがあつた。少年時代に、梅《うめ》ヶ|谷《たに》、常陸山《ひたちやま》の角力を見た切り、さつぱり角力を見たことのない彼は、つまらなそうに土俵を見ていたけれど、幕内の土俵入りの時早くも彼は天竜を見て、
「ありやいい角力だね。何ていうんだい」
と私に説明を求めた。
ついで天竜が土俵に登つて能代潟《のしろがた》と戦い、掬投《すくいな》げでこれを仕止めると思わず拍手を送つて喜んでいた。もつともこの日人気の焦点となつた勝負は武蔵山と朝潮の一番で、立ち上つてから左四つになるまで、朝潮甚だしく優勢で、武蔵山は東二字口に寄りつけられ危く見えたが、これを残して左をさすと、朝潮の打つた例の強引の小手投げに乗じて、掬投げを打ち返し美事に武蔵山の勝となつたのである。
藤枝の頭の中には天竜の顔がおぼろげながらうつつて伊達と結びついているのだろう。
私はわざと何も云わず、やはり煙草をふかしていた。
自動車が警察署の前につくと、藤枝と私はただちに、高橋司法主任の部屋に通された。
「さき程はありがとう。早速小川君をつれてうかがいましたよ」
「いや大分手ごわいので刑事も閉口したらしいのですが、やつとさつき口を割るようになつたので、取り敢えずおしらせしたようなわけで」
「ありがとう。で、供述はピンと来ますかね」
「まあ、殺人の点は否認しておりますが、邸宅侵入は立派に認めています。この点は間違いはありません」
「ふうん、で、動機は窃盗ですか」
「いや。被疑者は佐田やす子の情夫ですよ。僕の方でも調べたんだがあの佐田やす子という女は今まで方々のバーやカフェーを渡り歩いた女ですな」
この時、給仕がわれわれの為に茶をもつて来てくれたが、私は高橋警部の前におかれた訊問書の上書をちらと見ることができた。
そのはじめの行に何かむずかしい法律語が書いてあつたが次のところには、
住居不定 無職
岡本一郎事 早川辰吉
(当二十三年)
と記されている。
藤枝も茶に口をうるおしながらそれを認めたものと見え、
「その早川辰吉というのが、今日の被疑者ですね」
「そうですよ。さつきから暫く休ませてあるのですが、もう一度ここで改めて供述をきく所だつたのです」
高橋警部はそういうと卓上の呼鈴を押した。
やがてドアがあいて、制服の巡査がはいつて来ると、警部は何か小声でささやいていたが、巡査はすぐ立ち去つた。
二、三分程たつと、さきの巡査が一人の青年をさきにたてて部屋にはいつて来た。
これが早川辰吉という男であろう。
2
私はその青年を見て少々驚いたのである。
昨夜あの秋川邸に侵入した上、二人の人間を殺したのじやないかという恐ろしい嫌疑のかかつている男のことだから、しかもその上、刑事を相当手こずらしたのだという以上、余程|獰猛《どうもう》な青年が現れると想像していたのだ。
ところが、今われわれの前に出て来た早川辰吉はどう見てもそんな大犯人とは見えない。かりに犯罪をやつてもたかだか空巣を狙う位の所だろう位にしか考えられない。
暫く留置場におかれたので眠不足《ねぶそく》の顔色は全く衰弱し切つてはいたが、一見やさしい好男子で、しかもどことなく品がある。
今車の中で話に出た伊達を凛然という言葉で形容すれば、この早川の方は決して凛然ではないが、やさ男である。伊達がどこか天竜を偲ばせるとすれば、早川の方は役者の感じだ。(私は読者に早川辰吉の顔をはつきり呑み込んで貰いたい為に、東京の福助の顔をあげたいのだがあれでは余り美しすぎる。あの感じの顔をもつとずつと汚くして考えて頂きたいと思う。それに加うるに時蔵の憂鬱そうな感じを混ぜて考えて頂けばややこの男のようすが判ると信ずる)
よごれたかすりの着物に兵児帯をしめ、足には草履をはいている。
すつかり諦めきつたという様子で、警部の質問に対して、語りはじめた。
(早川辰吉が育つた所は、彼の供述でも判る通り関西方面なので彼の話は全部上方弁で語られたのだが便宜上、ここには標準語に改めて御紹介する)
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