点]と清や[#「清や」に傍点]がおりましたので、皆そう云つておりますからたしかでございますわ」
とつけ加えた。
「実はその三人を一人一人今よんで、女中達の行動もきいて見たのだが、僕らが来てから三人の女中と初江さんがあつちにずつといた事はたしからしい。ただやす[#「やす」に傍点]子はねえ、僕らが調べた後で一度も女中部屋に顔を出さなかつたそうだ。だから皆まだ僕らがやす[#「やす」に傍点]子を調べていると思つていたそうだよ。何ならもう一度皆よんできいて見るかね」
林田がこう藤枝に云つた。
6
「いや、君が今ここできいたんなら大丈夫だ。……実際、とんだ事でした」
藤枝はこんなことを最後に主人に向つて云つたが駿三はただうなずいたまま一言も発しない。いや発し得ないのだろう。
「高橋警部や林田君や僕などのいる前で、こんなひどいことをする奴ですから犯人は余程の奴です。しかし御安心なさい。警察と林田君と僕と三つが同盟する時、きつと犯人を捕まえて見せますから」
「そうだ。秋川さん、しつかりして下さい。必ず僕か藤枝君か警察が犯人を捕まえますよ」
二人の名探偵にこう云われても主人は余り安心した様子もなかつた。無理もない、藤枝自身云つた通り、この有力な三つの力を愚弄して今度の兇行が行われたのだもの。
二人の名探偵もまつたく余り得意になれなかつた。何となく気まずそうに二人は立ち上つた。
「御両所に申しますが、警察の人達に、余りわれわれ親子を手荒く調べないように云つて頂きたい。さんざん訊問しても結果はこんな悲惨な事になるのですからね」
今まで黙つていた主人が急にこんな事を云いはじめたが、藤枝も林田もこれには一言もないと見えて苦笑して部屋を退却した。
それから私らは再びさつきの玄関の側の応接間へと通つた。
「藤枝君、今は同盟[#「同盟」に傍点]という言葉を出したが僕も今度という今度は、もう競争している場合じやないと思うよ、われわれは協力して犯人に向わなくちやならん」
「無論だとも。僕も全くそう考えているんだ」
「そこで同盟の印として今日のことで君が知らないことを一つ云おう。さつき僕が佐田やす子を訊問してそれから二階に上ると、さだ子の部屋の前に、もう帰つた筈の伊達がいて、さだ子と立話をしているんだ。それで僕は、どうしたのかと聞いたら、一旦、この家を出たが思い出した用があるので裏口から(渡り廊下の入口の事を云うのであろう)来たというのだ。君も知つてるだろうが、裏口からも階段がついているからね」
「それで君はどうした」
「そこで僕はさだ子に用があるからと云つて伊達にすぐ帰るようにいい、僕はさだ子と共に部屋にはいつたんだ。ところでさつきのこの騒ぎで、女中が伊達の家に行つて見ると彼一人きりしかいなくて、雇婆さんは丁度留守だつたというのだ」
「成程、すると、はたして君と別れた後、伊達がまつすぐに家に帰つてそれから今までずつと家にいたかどうかということは判らないわけだな」
「そうさ。もつとも、僕が伊達と別れてから例の事件が起つてそれから女中が迎いに行くまでは十分か十五分位しかないのだから、迎えの女中が行つた時彼がちようど服の上衣をつけていた、というのに不思議はないがね」
「しかしともかく、伊達のアリバイは決して完全ではないな。ところでこの家の中の者は、主人は、事件当時僕とこの部屋にいたし、ひろ子もここにいた。さだ子は君に調べられて二階の室にいたのだから、これも確かだし、初江は女中部屋にずつといたというわけだね」
「そうだ。だからどうも家族の中では皆が皆完全にアリバイをもつている。少くとも直接に犯罪に関係のあるものはないと云わなけりやならんよ」
「伊達の外にアリバイを立て得ないのは、厳格に云えば、そこにいる(と云つて藤枝は応接間の戸をさして)笹田執事だが、しかし僕らが玄関にとび出した時は部屋から出て来たのを見たよ」
笹田執事の部屋は玄関を上つて左手、すなわち応接間と廊下を隔てて反対の側にあるのだ。
「結局、此の犯人はどうしても外からの者だと思わなけりやならんね」
林田が煙草に火をつけながらそう云つた。
7
ちようどその時、窓の外にガヤガヤと声がして警視庁の人達、警察の人達が一通りの検視捜索を終つて戻つて来た。
藤枝も林田も私も、応接間に待つていると本庁の捜査課長はじめ、刑事部の人々を先頭に六、七人の人達がはいつて来た。藤枝、林田共にこれらの人々と懇意の間柄と見えて親しげに挨拶をしていた。
応接間はたちまち、今回の事件に関する緊急会議所と変つた。藤枝も林田もここではじめて当局の現場検視の結果をきくことが出来たのであつた。この結果によれば、警察の人々はかなり現場で活動したことになる。
私がその時きいた事柄の大体を記すと次の通りである。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(一)駿太郎の死体、楓の木の横に南西に頭を向けて両足を大の字に開き仰向きに仆れていた。無論他殺と認められた。死体はひきちぎられたシャツ[#「シャツ」は底本では「シヤッ」]の一部分が肩のあたりに残つているのを除いて全裸体。着衣は死体の下にあり、シャツはむしり取られ猿又ももぎ取られたらしい。両手を兵児帯で後手に緊縛《きんばく》されている、その帯の端が咽喉部に三巻半ほど巻かれ、これが又|緊縛《きんばく》されており、呼吸は完全に止められている。
[#ここから1字下げ]
脳天よりやや前額部に近く鈍器による裂傷一個あり、烈しく出血している。一見これが致命傷らしく、深さは充分骨膜に達し骨を破つている、しかし、咽喉部にまかれた帯による絞殺も可能な場合であるので、撲殺、絞殺いずれがその直接の死の原因であるかは解剖によるにあらざれば明らかでない状態であるが、いずれが先にせよ、時間的には永くも僅か二、三十秒位の間しかない筈である。
なおこの他に、縛られた手首には皮膚に擦過傷が現れている。
猥褻暴行の跡はない。
(この最後の一行は、蛇足のようだが、猿又を取つてある所から係官は一応確かめたものと見える)
死体はまだ温度をもち、検視前二、三十分に兇行が行われたものらしい。
(この点は読者の既に充分知つておらるる所である)
なお、死体の横に、庭下駄とおぼしきものが一足ちらかつていた。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
(二)駿太郎の死体附近は茂つた木の下なので余り土は乾燥してはいない。しかも判然とした足跡が見出し難い。が東方に向つて靴の足跡が僅かに発見出来る。くさむら等みだれていないので格闘等のあとはない。
(靴の足跡と云うのは実は藤枝や林田や私のものであると後に判つた)
(三)駿太郎の死体から東南方約十間程の草の中に血まみれになつた拳大の石が発見された。駿太郎の頭部の傷と符合するから恐らく兇器はこれだろうと思われる。
(四)佐田やす子の死体、他殺と認められる。絞殺、恐らく両手を以てやくさつされたものらしい。多少抵抗したらしい跡がある。猥褻暴行の痕跡はない。死体は東の方に頭をむけて仆れていた。右の二の腕に死の直前に受けたらしい大きなあざ[#「あざ」に傍点]が発見された。多分人間の手で掴まれて出来たものと推定される。死の時間は殆ど駿太郎と同じ。ただしいずれが先に殺されたかは明らかでない。
(五)邸の東南の隅に大きな桜の木があつて塀の所に出ている。犯人は塀外よりよじて庭に下り兇行後、再びもとの道から出て行つたらしく塀の外側に、素足のつまさきについていたらしい土が附着していた。又桜の幹にも足の指の土が残されていた。
(六)なおやす子[#「やす子」に傍点]は下駄をはいたまま仆れていた。
(この下駄は彼女自身の品であることが後に判つた。)
[#ここで字下げ終わり]
藤枝の観察
1
細かい点を除いて大点判つた所は右の様なものであつた。
秋川家の南側の石塀を乗り越えて侵入し更にそこから脱出した者のある証拠があるので現場臨検後警察官の一隊はただちにその方面の捜索に取りかかつた。機敏なる警察当局は、殺人事件行わるときいてただちに非常線を張つたこと、既に先の巡査の言葉によつても判るのだがいよいよ侵入者の形跡を見ては捜査は一層厳重に、かつ敏活に行われはじめたことだろう。
更に被害者佐田やす子の素性、従来の知人関係を調べるために八方に警察隊が飛んだ。やす子は読者の既に知れる如く、秋川家に来てからやつと十日にしかならない、それまでどこにどうしていたか桂庵の手を通じて来たので一向に判つていない。
これは、あれ程物事を警戒[#「警戒」は底本では「警械」]している秋川駿三の雇い入れ方としては、いささかおかしいけれど、雇人に関して駿三は、万事徳子夫人にまかせ、それを信戒[#「信戒」はママ]していたという話だから、やす子も徳子の気に入つて使われるようになつたものと見える。
一方、兇行当時の秋川家の人々の行動も一応警察官達によつて取り調べられた。この点に関しては、藤枝、林田及び私は参考人の立場に立つて、いちいち説明し得べきことを立証した。その結果はさきに藤枝、林田の会話に表わされた如く家族中一人も屋外に出たと思われる者はないことになつた。
雇人に就いても三人の女中はずつと女中部屋にいたし、笹田執事はわれわれがピヤノの部屋に行つている間高橋警部から二、三の質問を受ける為ちよつと応接間に顔を出し更にわれわれが走り出した時は、高橋警部及び藤枝によつて、その部屋から出て来た所が見られているから、この老人も外に出たとは思われないことになる。
秋川家に密接な関係をもつ者の中で、その当時の自己の行動につき立証するのに最も困難だつたのは伊達正男であつた。
彼はちようど私達が秋川家に着くちよつと前に裏口から辞し去つたのである。しかるに暫く経つてから、二階のさだ子の部屋の前にその姿をあらわした。これは本人も認めているらしく林田もさだ子もそう云つている。
ところでそれからの行動は誰にも判らない。本人の云う所に従えば、彼は林田に、直ぐ家に帰るように云われてから従順にその言に従い、再び裏口からぶらぶらと歩きながら自分の家に帰つた。
そうして自分の家で紋付を取つて制服に着かえようとしている所へ、女中が事件を報告に来たというのである。
[#ここから1字下げ]
(後に当局者の調べた所によると秋川家の裏門から彼の云つた程度のぶらぶら歩きで伊達の家に行くには約十分かかる。だから彼の供述が偽りである、とは云えない。けれども、これは伊達の歩調がぶらぶら歩きである、という仮説のもとにおいてのみ認められることで、この近距離を青年が、ことにラクビーの選手である彼が疾風の如くに走つたならば三分で行き得た筈である。従つて残りの五、六分の間に彼は何をやつたか判らないことになる)
[#ここで字下げ終わり]
ことに伊達の為に不利だつたのは平生雇つている婆さんがちようどその時うちにいなかつた事で、彼がまつすぐに平生と少しも変つたことなく帰宅したといふ事実を立証する者が一人もなかつたのである。
伊達に対する警部の訊問はかなり厳しいものだつた。
従来あらゆる悲しみと苦悩とを無言でかみしめて堪えて来たらしい可憐なさだ子がついにたまりかねて、
「皆さんは伊達さんを疑つてらつしやるのでしようか……」
と林田に嘆願するようにたずねた位であつた。
2
ちようどその時さだ子のすぐそばに藤枝がおり次に私がいたのだから藤枝か私にこうきいてもいい筈なんだが、さだ子はわれわれよりも林田の方を信用しているものと見える。
もつとも、藤枝や私は、彼女にはじめから好意をもつていないらしいひろ子に頼まれてここに来ているのだからそれも不思議はないけれど。
林田もさすがにはつきりした事はいいかねて、何やら口の中でしきりに云いながらさだ子を慰撫《いぶ》していた。
警察や本庁の人達の調べは約二時間余にもわたつて漸く一先ず打ち切りと云うことになつた。あとは裁判所から予
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