かつた。
見たところ立派な紳士である。がそのカイゼル式の髭と鷲鼻を除いては別に何の特色もない。
私はすぐ藤枝から林田に紹介されてそこに腰かけた。駿三はまもなく部屋から出て行つた。あとにはわれわれ三人だけ。
「けさここの主人から急によばれて、やつとさつき来たんだが、来て見るともう君らが見えているという話さ。大分おくれをとつて残念だが、しかし主人やお嬢さんにあつて、もう大分おくれを取り返したぜ」
「いやこつちの方が大分へまをやつちまつたよ。僕の方の依頼人は主人ではなくお嬢さんなんだが、実は昨日たのまれてたんだ。ところで今日はもうこの騒ぎだ。ちつとへまだつたよ。しかし君の方は主人に頼まれただけに大分有利なわけだね」
「どうして」
「どうしてたつて、主人からきけばこのうちの妙な関係がすぐ判るじやないか」
「ああ、君はもう気がついたかい。実は主人もはつきり云わないんだけれど、この家の中には全く惨劇か何かおこりそうな空気があるよ。僕は今話をきいてそれを感じたんだ」
此の時、ドアがあいて笹田執事がうやうやしく、盆に何かのせてはいつて来た。
「只今、郵便箱にこの手紙がはいつて居りましたので……」
私はすぐ手近にいたのでその盆の上に二通の封筒がのつているのに気がついた。
表には、林田英三殿、今一通には藤枝真太郎殿と書いてある。
藤枝と林田とは各自その封筒をとつたが、裏返すと二人は、はつとしたように顔を見合わせた。
まぎれもなくその封印の所には赤い三角形のしるしがつけてある。
字は相変らず邦文タイプライターで藤枝の手によつてあけられた封書にはこんな事が書いてあつた。
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ダイ一カイノヒゲキハ、スデニオコナワレタリ。ナンジダイ二カイノヒゲキニソナエヨ。
[#ここで字下げ終わり]
藤枝が声を出してよむと、林田も亦よんだが文章は二通共全然同じであつた。
「ふん、こりや郵送されたものじやないね」
「うん、番地もなし、切手もなしだ。郵便箱にこのまま投げ込んで行つたものと見える」
恐るべき殺人鬼はこの二人の巨人に対してまた挑戦しているのである。
「人を殺すなら黙つてやりやいいんだ。何もこんな広告をする必要はない。馬鹿なまねをしやがる」
藤枝はこういうと私の方を見てにやりと笑いながらその封書をポケットに入れた。
2
藤枝と林田とは向いあつてしきりと話し出したが、殆どそれは大切な事柄ではなかつた。
私はいつも不思議に思うのであるが、よく方々の警察署が功名争いをして、肝心の犯人を取り逃がすなどということがある。彼らが一致さえすれば必ず犯人を捕えただろうというようなことを屡々耳にする。
それと同じことでこの二人の探偵が互に相談し合い、助け合つたならきつと今度の犯人も捕まるだろうに、と思われるのだが、残念にもそんな気もちは藤枝にも林田にもないように見えた。
二人とも表は平和に見えるけれども、きつと心の中ではしのぎを削つているのだろう。二人は腹の探りあいをしている、しかもおたがいに、カマをかけて見たところで相手がうかうかと考えていることをしやべるような人でないことを知つているので、決してそんなまねはしない。ただ態のいい世間話をしているのだが、かたわらから見ていると、何となく重苦しい気もちで決して愉快な対面とは云いかねるのである。
しかしこの空気はたちまちにしてここの主人によつて破られた。
青い顔に、つるし上つたような目つきで、興奮して駿三が飛び込んで来た。
「林田先生、藤枝先生、こんな手紙が今郵便箱から出て来たのです」
狼狽しきつた彼の手には、今しがた二人の所に来たと同じような封筒が握られている。
「第一の悲劇は既に行われたり。汝第二の悲劇に備えよ、ですか」
藤枝が落ち着いてきいた。
「え? 先生! どうしてそれを」
「何、今私の所へもきたんですよ」
「切手をはらずに届いて来たんですね」
今度は林田がこれもきわめておちついて訊ねた。
「そ、そうです。そうです。他の郵便物の中にまじつて来たのです」
駿三は林田にその手紙を渡しながらそう云つた。
「如何でしよう。指紋を調べてもらつたら……」
彼は二人に向つて嘆願するように云つた。
「さあ、こんなことをする奴が、指紋を残すようなへまをやりますかね……顕出すればあなたの指紋か笹田君の指紋が出て来るのが落ちじやないですかな」
藤枝はこう云いながら急に私をうながして立ち上つた。
「御主人と林田君とのお話もあるだろうし、僕も帰つてする仕事もあるからこれで失礼しようじやないか」
まあいいではありませんか、という主人と林田にいとまをつげて藤枝と私は玄関まで出て来た。
林田は応接間に残り、主人が一人送りに出て来た。
靴をはきながら、ふと何か思い出したように彼は駿三に云つた。
「秋川さん、今まであなたの所に来た同じような封筒をあなたは一体どうしてしまつたんです?」
この不意打の質問に駿三は口をあいたまま驚いて暫しは何も云えないようだつた。
「秋川さん、もし残してあるのだつたら、よく今日のと見比べて下さい。紙質がちがつているかどうかという事を。それからタイプライター[#「タイプライター」は底本では「タイプライラー」]というものは、手で書くと同じように機械によつて個々必ず癖があるものですからそれも見比べておいて下さい」
驚いている主人の前に彼はかるくあいさつをした。
「それからもう一つ。従来は必ず郵送されて来たのでしようね。切手のはつてなかつたのは今日がはじめてでしよう」
この質問に、駿三は思わず首をたてにふつたのである。
3
門の外に出ると藤枝は暫くふり返つて、秋川家の建物をながめていたが、やがてぶらぶらと歩き出した。そうしてケースから一本エーアシップを出してライターで火をつけながら、うまそうに一服すいこんだ。
「どうだい、馬鹿馬鹿しいと思わないかい。人を殺すなら黙つて殺しやいいじやないか。相手を苦しめるつもりなら相手に脅迫状を送るのも意味はあるが、僕だの林田にこんな手紙をよこすというのはちよつと気狂いじみちやいないかね」
彼はこう云いながら例の封筒を入れたポケットを外から叩いた。
「まるで探偵小説じやないか。しかし、こういう事をかりに犯人がやつているとすると、今度の犯罪はこの点にたしか一つの特徴があると云えるよ。よくおぼえておいてくれ給えね」
ちようどこの時、空車という札をかけた自動車が通りかかつたので、藤枝はすばやくそれをとめて、二人は車中の人となつた。私も一緒にこれから彼のオフィスに行くつもりなのである。
車が牛込と麹町の二つの高台の間になる外濠の所に来るまで、彼はだまり込んで煙をふきつづけだつたが、ふと口をきつた。
「さつきひろ子が、ヴァン・ダインの小説をよんでいたと云つたのをきいたろう。君はあれについてどう思うね」
「さ、どう思うつて。君があの時検事に云つた通りさ。このごろのお嬢さんが探偵小説を読んでいたからつて僕は少しも不思議だとは思わないよ」
「うん、そりやそうさ。しかしね。あの『グリーン殺人事件』という特別の名が君に何かを暗示しなかつたかい。少くとも僕らが知つている所では、あの人は、秋川一家に、――殊に父親に何か危険が来はしまいか、と恐れていたのだぜ。しかもその結果思い余つて僕の処にきのう来た人だよ。しかも更に僕の処で、おかしな手紙を受け取つて青くなつて帰つて行つた人だぜ。その人が昨夜、あんな本をよんでいた、という事実はどうだろう。君は一体どう思う?」
「うん、成程そう云われりやおかしな話だね。あんな小説をよんでいる余裕はなさそうに思われる。でも僕はあの人がいいかげんなことを云つていたとは思いたくないな」
私は知らず知らず美しいひろ子を信じる気になつていた。
「いや、僕のいうのはそういう意味ではない。出たらめだと云うのじやないよ。ほんとだとするんだ。ほんとだとするとどういうことになるだろう。今日行つたあの家のお嬢さんが、惨劇の直前に『グリーン殺人事件』をよんでいたという事実……面白いじやないか」
私はこの時はじめて「グリーン殺人事件」の内容と、今の状態を思い合わせて、車の中でおもわずぞつとしたのである。
「小川君、僕の記憶がまちがつていないとすれば、あの小説はグリーンという一家族の者が、不思議な方法で次から次へと一人ずつ殺されて行く話だつたね。フィロ・ヴァンスという探偵が活躍するが惨劇を防ぐことが出来ない。グリーン一家の主人は死んで後家さんが残つている。これは病人で老婆だ。三人の娘と二人の息子がいる。皆はたち以上の人達だ。最初、長女のジュリアが殺され、それから末の娘のアダというのが殺されかかつてこれは助かる。四日程たつて長男のチェスターが何者かに殺される。二十日たつてから次男のレックスがまた殺されてしまう。それから終りに母とまた末の娘が毒殺されるが、娘の方はまた助かる。とこういう話だつたね。そうしてその話で、結局犯人は……」
彼はこう云つて私をじつと見つめた。
「犯人は」
私は思わずつづけた。
「犯人はその末の娘だつた筈だつたね」
4
「では君は秋川一家にやはりそんな不祥事が起ると云うのかい。丁度小説にあるグリーン家のように」
私はむきになつてきいた。
「うん、ないとは云えないね。現実が小説の真似をするということは絶対にあり得ないとは断言出来ないよ」
藤枝はいやに落ち着いて煙草をふかしている。
「それで、結局、犯人は家庭内の、無邪気に見える娘だというわけかな」
「小川君、僕はそこまで事実が小説のまねをするとは必ずしも信じないよ。仮りにこの事実を探偵小説だとして、真犯人があの家の娘の誰かだとすれば、作者は余程腕がないと云わなけりやならない。それじやまるでヴァン・ダインの小説の通りだからな。……もつとも作者はわざと読者の裏をかいてそんな所に犯人を定めるかも知れないが……ともかくわれわれは小説中の人間ではないからね。しかし、くり返して云うが、ひろ子が昨夜、ヴァン・ダインのあの小説を読んでいたという事実は、今度の事件のうちで非常に重大な意味をもつていると君は思わないかね」
「とはどういう意味だい」
けれど藤枝はこの問には答えずそのまま黙りこんでしまつた。
車はいつの間にか麹町区を通りぬけて、人通りの多い銀座の通り近くを走つている。
私は藤枝の言葉をいろいろに考えて見た。
成程、今藤枝の云つた通り、脅迫されて青くなつているひろ子が、昨夜、あの恐ろしい探偵小説を読んでいたということは、ほんととすれば――いやたしかにほんとに違いない、あの美しいひろ子が何でうそなどいうものか――余程不思議な事実である。
彼女は悠々とあの小説によみ耽つていたのであろうか。それとも何か他に目的があつて読んでいたのだろうか。
しかし私にはその目的が全く判らなかつた。
私がこんなことを考えているうちに、車は早くも藤枝のオフィスの前に止つた。
オフィスにはいると、彼は先ず机の上に積まれてある手紙に目を通したがやがてその中の一通をとり出した。
「おい君、また妙な手紙が来ているぜ。三角印だよ。少々しつこすぎるじやないか」
彼はこう云つてその内容を私に示した。
文句は相変らず邦文タイプライターで、この手紙はちやんと切手がはつてあつて郵送されている。消印は麹町区。内容は、
「五月一日を警戒せよ」
という九字であつた。
私は藤枝の少しもあわてない態度に実はひそかに感心したのである。藤枝ばかりではない、さつき秋川邸でこの種の手紙を受け取つた際の、林田探偵も少しも顔色をかえなかつた。
さすがに二人とも名探偵といわれるだけあると思つた。
藤枝は、おもむろにポケットからさつき受け取つた手紙を取り出した。それから、昨日ここでひろ子宛に来たあの手紙をも取り出した。
彼はこの三つを机の上に並べながら仔細に見比べていたが、やがて拡大鏡を取り出してレンズを通してしばらく見ていた。
約十分間彼は何も云わず
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