気持なので私は一刻も早くここを逃げ出したかつた。が、ひろ子は折角今までいたのだから、どうしても次の、梅幸、羽左衛門の『かさね』を見て行く、と云つて頑張つた。それは明らかに負けおしみだつた。彼女は今ここを逃げ出せば自分の負けだ。もう少し頑張ろう、という気らしい。けれども心の中では私以上に苦しんでいるにちがいないのだ。
 しかし何と云つても矢張り女である。
 物凄い木下川《きねがわ》堤で、与右衛門が鎌を振りあげてかさね[#「かさね」に傍点]を殺しにかかつた時は、ひろ子ももはや堪まらなくなつたらしい。幸い、舞台の照明がひどく暗いので今立つても人目にわりにつかない時である。
 私は、かさね[#「かさね」に傍点]が『のう情けなやうらめしや……』とかきくどいているのを後に、三人を促して逃げるように劇場を出てしまつた。
 こうして二十三日の外出はさんざんの失敗に終つた。
 令嬢達は帰りの自動車の中で、一言も口をきかなかつた。私はただひたすらに恐縮し切つて、だまり込んでいた。この二人の美しい令嬢の一人が数日後に無残な死体となるだろうとは露ほども考えずにただ自分の失敗を韮をかむような思いで心の中でかみし
前へ 次へ
全566ページ中299ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング