つたのだね」
「まあそうです。いや、まあ[#「まあ」に傍点]じやありません。正にそうです」
「うん、そうか。では今ではその邪魔者がなくなつた、というわけだな」
検事はどういうつもりか、こう云つて伊達の顔をじろりと見た。
しかし、伊達の顔色には少しもこの言葉からの動揺は見られなかつた。
「それから君はさだ子と入れかわつたのかね」
「僕がさだ子にその話をするとさだ子は驚いて叔母の部屋に行きました」
「すると君はさだ子の部屋に一人残つたわけだね」
「そうです」
「どこに君はいたね」
この問は伊達には何のことやらちよつと判らなかつたらしい。
「さだ子さんの机の前に腰かけていました」
「すると君はさだ子の机の引出しを開けることが出来たわけだね」
17[#「17」は縦中横]
この時、伊達の顔にはさつと血の気があらわれた。
「何、なんですつて? 机の引出しを開ける? 僕、これでも紳士のつもりですよ。女の人の、ことに婚約者のいない留守にその人の秘密を知ろうなんてした事はありません。さだ子さんだつて僕がそんな事をしないと信じているから、僕を一人部屋に残して行つたのでしよう」
検事といえども容赦はしない、出方によつてうんと云いこめてくれようというようすが見えた。
「いや、そう君興奮しちや困るね、私は君が引出しを開けたか、ときいたわけじやないんだ、あけようと思えばあけ得る立場にいたのだねという意味を云つたまでだよ」
「僕、あけようなんて思つたことは……」
「それならそれでよろしい。時に君は、叔母さんが西郷薬局に風邪薬を注文したことは知つていたかね」
「全然知りません」
伊達はぶつきらぼうに云つた。
それから二、三の点について問答があつたが、やがて検事は伊達に引き取つてもいいという許しを与えた。
次によばれたのは年ははたち位の当家の女中で佐田やす子という者であつた。美人とは云えないが十人なみの容色、ただ昨夜からの椿事がすつかり彼女の気持を顛倒させている上に、検事や警部という厳《いかめ》しい役人の前に出たため、青ざめきつておどおどしていた。
彼女に対する検事の問はわりに簡単だつた。
昨日薬をとりにやらせられた話に止《とど》まつていた。
「私は御当家にまいりましてからちようど十日にしかなりませぬ。昨日の午後、時間ははつきりとはおぼえませぬが、さだ子様――二番目のお嬢様が、西郷薬局の番号を教えて下さつて、お嬢様の風邪薬をすぐ作つてくれるように電話をかけろということでございましたので、その通りに致しました。十五分ほどたちましてから、西郷薬局にまいりました。はじめての所なので、お邸で道などよくうかがつてまいりました。向うにつくと、もうできておりましたのですぐ薬を受け取り、手にもつて戻りました。ちようどお台所にさだ子様がいらしつたのですぐお渡し申し上げましたのでございます」
「君は、薬局からどこにもよらずまつすぐに戻つたかね」
「はい、どこにもよりませんでした」
「誰かに会いはしなかつたか」
ちよつとやす子はためらつたようだつた。それは質問の意味を考えているようにも見えた。
「いえ、誰にもあいませんでした」
「薬はたしかに手にもつて来たね」
「はい、手にもつておりました」
佐田やす子に対する聴取はこれで終つた。
次いで笹田執事がよばれて、種々きかれたけれども、この老人は薬の件については何も知らぬようで、あまり要領を得ず、このききとりもまもなく終つた。
「じや今日はこれ位で引き上げようじやないか」
検事は、秋川家で骨を折つて作つてくれた飲物や茶菓子には一指もふれず、ただ茶を一杯のんだきりで警部をうながした。
「いずれは解剖の結果もきかねばならないが、ともかく今日はこれで……」
検事の一行は、秋川駿三に送られて玄関にと出た。
藤枝も私もそれを送つて玄関まで行つたが裁判所の自動車が門外に走り出ると、主人に案内されてわれわれ二人はそばの応接間にと通されたのである。
秋川一家と惨劇
1
主人に案内されて応接間に藤枝と私がはいると藤枝はいきなりそこに端然と腰かけていた四十二、三の紳士に対して、
「や、暫く」
と挨拶した。
するとその紳士も立ち上つて答えた。
「こりやお久しぶり。又あいましたね」
「おやおやお二人ともよく御承知なんですか。今私が御紹介しようと思つていた処だのに」
主人が云つた。
すると紳士が口を出した。
「いや、藤枝君には度々やられてますからよく存じていますよ」
「とんでもない。僕の方が林田君にいつも出しぬかれているんでさ」
二人とも、社交的辞令を用いているのだが、心では互に「何くそ」と考えているに違いない。
ただ私はかけ違つて、まだ此の有名な林田探偵には一回も会つたことはな
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