もつもの、あにただ私一人ではあるまい。
「林田英三? ではここに来られても差し支えないと伝えてくれ給え」
 検事が緊張した面持で笹田執事に云つた。
「はい、あの私もあらかじめそう申し上げましてすぐこちらへお通し申すよう申したのでございますが、林田先生のおつしやるには、お調べのお邪魔をしても悪いし、又旦那様方におたずねしたいこともあるから御遠慮するということなので応接間で今旦那様とお話しておいでになります」
 この事件の直後、ややおくれて登場した林田探偵は、一刻も早くそのハンディキャップを取り返すべく、すでにもう秋川駿三の訊問を開始しているものと見える。まことに、聞きしにまさる敏腕さではある。
「そうか。では、あと初江と駿太郎という人がいるがこの人人は何も知らなかつたようだから、ではと……伊達正男をよんでくれ給え」
 笹田執事はかしこまつて部屋を去つた。
 まもなく入口にさつきの立派な青年が姿をあらわした。
「僕、伊達正男です」
 極めてはつきりした口調でそう云つて検事の示した椅子に腰をおろした。そうして検事の問に対して次のように語りはじめた。
「僕は小さい時から当家で育てられました。この家の遠い親戚なのです、父にも母にも早く別れてしまつてたつた一人ぽつちです、ここの叔父さん(彼は秋川駿三の事を叔父とよんだ、しかしこれは所謂おじさんであつて、叔父甥という程近い間ではないのだろうと思う)のお世話で、中学を出て目下某私立大学の経済学部におり、本年三月卒業したばかりですが、まだ就職口も見つからないので、大学院に籍をおいております、在学中はラグビーの選手をしておりました」
 そう云つてたくましい腕をちよつとさすつて見せたのである。
「君は昨日はいつ頃ここに来たのかね」
「夕方でした。このごろ近くに一軒家をかりておりますが、夕食を皆と一緒にたべるために五時すぎにやつて来ました」
「今聞けば君は、さだ子と婚約中の人だそうだね」
「そうです」
「では夕食後、さだ子の所で話でもしていたのかね」
「は、そうです」
「ずつと夜まで?」
「いや、実は、叔母によばれまして、叔母と話しておりました」
 若者の顔にはちよつと不安そうな色が浮んだ。検事はそれを見逃さなかつたらしい。
「君はその時叔母さんと何か争つていたのではないかね」

      16[#「16」は縦中横]

「争い? 別に争いという程の事もありませんでしたが…」
 徳子と伊達が口論をしたとは初耳だ。検事は周囲の状勢から何か推察してカマをかけているのかしら。カマとすればこれは成功だつた。
 伊達正男は明らかに狼狽した。
「しかし、今ほかの方にきくと何か口論があつたようだが」
「口論て、大したことはないのです。ただ叔母さんがしきりに私にせまるものですから」
「どういうことを?」
「さだ子さんとの結婚についてです。叔母さんに云われてはじめて知つた位なんですが、何でも叔父さんは今度僕がさだ子さんと一緒になると、このうちの財産の約三分の一をさだ子さんと僕にくれることにきめているのだそうです。叔母にすれば、それが甚だけしからん、という事になるのです」
「何が」
「つまりその額がでしよう、まだたくさん子供があるのにさだ子だけに三分の一を分けるというのは不当に多すぎると云われるのです」
「それで君はなんと答えた」
「無論僕は財産なんか、目的ではない。たださだ子さんと結婚するのが目的なんだから財産なんか一文だつていらない、と云つたのです。又実際そう思つていますよ。ところが叔母にはその理窟がどうしても判らないらしいのですね。僕の結婚と三分の一の財産というものとは離るべからざる関係があるらしいのです。つまり僕がさだ子さんと結婚すればどうしても三分の一という財産がついて来るらしいのです。これは叔母が判らぬというより叔父が頑固でそう云い張るのでしよう。だから僕は、余り不愉快だから、一文もいらぬと度々云つたのです」
「そうしたら叔母はなんと云つたね」
「叔母はしまいには、この婚約を一旦、取り消してくれ、とこういうのです」
「で、君は無論反対したろうな」
「勿論です。僕はとんでもないこと、さだ子さんと自分の間には二人で堅い約束をしたことでもあり、そんな今更取り消すなんていうことは絶対にできない、とこう云いました」
「結局君はその時、何と云つて部屋を去つたんだい」
「僕は、どんなことがあつても結婚する、といいました。叔母は、どんなことがあつても断じて結婚させないと主張します。結局、双方頑張り合つたまま、別れました。そうして僕はさだ子さんの部屋に戻り今の話をしたわけです」
 彼はこう云つて検事の顔をきつと見つめたが、彼が徳子との話にはいるや全く興奮したようすがあらわれていた。
「つまり叔母は君の結婚の邪魔をする、といいは
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