ききますと、今お母様の所に行つているつて、伊達さんが申しました」
「その時、あなたは伊達のようすに何かへんな所を感じませんでしたか。たとえばへんにあわてた様子とか……」
 ひろ子はほがらかに笑いながら答えた。
「伊達さんは、妹の許された婚約者ですもの、妹の部屋にいるのを見られたからつて、あわてなんかなさいませんでしたわ」

      14[#「14」は縦中横]

「では、その後の事はききましたから、今日はこの位にしておきましよう」
 ひろ子はかるく検事に挨拶し、それから藤枝と私の方に礼をしながら去つた。
「君、君がきいたあの小説は一体何だい」
 検事は一息ついたという形で、新しい朝日に火をつけた。
「ありや君、有名な探偵小説だよ。グリーン家の人々が一人ずつだんだん殺されてゆくというとても[#「とても」に傍点]凄い話なんだ」
「それをあんなきれいなお嬢さんがよむのかね」
「うむ、そんなこたあちつとも不思議はないさ。この頃の令嬢の趣味は、第一にスポーツ、第二に探偵小説かね。――そうでもないかな、第三か、第四かね。しかしともかく、よく読むよ……だがグリーン事件とは」
 藤枝はここで妙に考え込んでだまつてしまつた。
「いやエロとかグロとか云つて全く妙なものが流行しますよ。しかし探偵小説の流行は私等から云うと嘆かわしいですな。ことに余り作家が巧妙な犯罪を書きすぎるから、われわれの方が忙しくていかん」
 こう口を出したのは高橋警部だつた。
 一座は屍体のある家で捜査をしているのをちよつと忘れて、なごやかなくつろいだ気分でおおわれかかつた。
 しかしこの時、あわただしく戸が開かれて白髪の老体が腰をひくく、しきりにおじぎをしながらはいつて来た。
「ええ皆様、どうもとんだ御苦労様で。私御当家に永らく執事をつとめております笹田仁蔵と申しますものでございます。この度はとんだことで何とも申し上げようもございません。旦那様が大変お力落しで、なんでもかでも犯人を捕えてやらなければ、とおつしやいまして、ええ、決して皆様だけでは足りないといふわけではございませぬが、充分の上にも充分に手配をすると申すことで、けさから、有名なあの林田英三先生に御依頼致すというようなわけで、私只今先生をお連れ申しましたばかりで留守をいたし、大変失礼をいたしました」
 私はおもわず藤枝と顔を見合わせた。
 さては、さつきひろ子が「父も知り合いの探偵をたのんだ」といつたのは林田英三のことだつたのか。
 藤枝にとつても、検事にとつても林田こそは実に強敵である。
 林田探偵と云えば、藤枝同様、否、あるいは藤枝以上に名のひびいた私立探偵である。
 読者はあるいは知つていられるかも知れないが、林田氏の探偵方法は一種独特のもので、藤枝とは又全く異り、なんぴとの追従も許さず、あの清川侯邸の怪事件の時はおどろくべき快腕を振い、競争者たる当局を全く出しぬき、もう一人の強敵藤枝真太郎もすんでの事に出し抜かれる所だつた。あの事件では、結局藤枝が、最後の勝利を占めたとは云うものの、林田英三は藤枝と全く別な方面から犯人をあて、若しあの時偶然にも藤枝の時計が七分すすみすぎていなかつたら(これは勿論藤枝としては意外な手ぬかりだつたが)犯人の首に手をかけたのは、藤枝だつたか林田だつたかいまだに疑わねばならぬと私は信じている。
 あの事件では今云つたように藤枝は手ぬかりの為に却つて成功したのだが、世人は怪魔王と呼ばれたあの浜松の殺人魔の悲惨な最後をはつきりおぼえているだろう。
 表向きは、犯人は警察の捜査厳重で逃げるに道なく、大川に身を投げて自殺したという事になつているのだが、実は当局の手の充分にのびた以外に、藤枝と林田の手が両方から犯人の首にのびたのであつた。
 藤枝の手におちるか、林田の手に捕われるかという所で犯人は進退きわまつて自殺したのである。

      15[#「15」は縦中横]

 私は林田英三の経歴を詳しく知らない。けれども、藤枝のような官僚的な過去は全くもたないらしく、某私立大学を卒業後、犯罪学にひどく興味をもち、そのまま学究として進んだなら、あるいは学位を得るのも難くはなかつたろうと云われている。ただ彼の活動的気象は終日彼を書斎にとじこめることを許さず実際の犯罪事件に手を染めさせるに至つた。
 私立探偵としての彼の手腕は右にも述べた通り、並み並みのものではなく、たちまちにして彼の名は警察方面と悪人達の間に評判となつた。
 私はまだ一回も彼に会つたことはない。いよいよこの事件で彼にあい得るのだ。
 今や殺人犯人は藤枝と警察当局との以外に林田という大敵を向うにまわさねばならなくなつたのである。実に壮観というべきではないか。
 殺人鬼を繞つて当局と藤枝と林田の描く三つ巴は如何に発展するか。好奇心を
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