呂の中でのめば普通よりもききめが早い。それにしても十五分や二十分かからなければ、前後を忘れて眠つてしまうことにはならないと思う。だから林田は初江が風呂の中でヴェロナールをのんでから誰にも知れずに風呂場にとび込むチャンスをまつていたわけなのだ。ところで六時という時を中心にして見ると、人物の出入りはこうだ。伊達とさだ子が応接間にやつて来た。伊達を送つてさだ子と林田が外に出た。まもなく二人で戻つて来ている。この間には犯行は断じて行われていない。肝心なのはその直後だよ。小川君とひろ子が話していて、ひろ子がさだ子を追いやつた時こそまさに林田にとつてはチャンスだつたんだ。さだ子も二階に上ろうとする。林田は無論巧みに同意する。(風呂場の花嫁第四回参照)そうして二人が二階に上つて行つたとこう君らは思つている。僕もはじめはそうかと思つた。ところが事実はそうではない。二人二階に上つたことは上つた。しかし林田は、巧みにさだ子をさきへ室にやつて、自分がおくれた。この点についてはさだ子が少しも林田を疑つていないのみか、また林田が例の手を用いてさだ子を沈黙さしたのだ。さつきその点をさだ子にきくとやつと語つたがやはり女性の心理利用だよ。林田はさだ子をさきに上らせると『おや、伊達君が戻つて来たようだ。僕会つて来ます。あなたは先へ行つてらつしやい』と云つたそうだ。そして六、七分たつと上つて来て『伊達が用もないのに廊下の所をブラブラしている。変な調子だつた』といぶかしげに語つたそうだ。で、あとで初江が死ぬと又々林田はさだ子に伊達を疑わせて沈黙させてしまつたのだ」
「ねえ藤枝君、君はしきりと女性心理云々というけれどね。伊達とさだ子は毎日会つてるんだぜ。さだ子だつて伊達を疑えば黙つてる筈はないからきつと伊達にはつきりと訊ねるよ。そうすれば、林田の嘘はすぐばれるにきまつてるじやないか」
 今度は警部がきいた。
「じや君にはまだほんとに恋をしている女性の気もちが判らないんだ。さだ子のような立場に立つものは伊達を愛してはいるが、こんなことでは林田のような奴につつかれるとかえつて林田の方を信じて恋人を疑うものだぜ。伊達と林田の云うことがちがえば、伊達の方をますます怪しむのだよ、怪しんだからつてやはり惚れてはいるがね。女が『私はあなたを愛しています』ということは『私はあなたを信じています』というのとは大いに違うんだよ。いや愛すればこそ、ますます疑うというのが女の気もちなんだ。

      14[#「14」は縦中横]

「もし恋と信頼とが平行するか比例するものならば、世にこれほど幸福なことはない。しかし恋は多くの場合、疑いを生むものだ」
「だつて男を絶対に恋して信じている女があるじやないか」
「それは、恋の範囲に於いてのみ男を信じるのだ。つまり自分以外の女を愛さぬということを信じるのみで、その他の Norm を犯さぬということを信ずるのではない。又実際世の中には、恋する女の為に犯罪を行う青年が多いじやないか。君だつて恋女房のために窃盗をした男をずい分知つてるじやないか。だからそれだけ男をその方面で疑つてもいいわけじやないかね」
「藤枝君から恋愛論をきかされるとは思わなかつたね。まあその恋の気持は判つたとして林田の犯行の方はどうなつたんだい」
 検事が口を出した。
「すなわち、さだ子が一人で二階にいる五、六分の間に敢行されたのさ。彼はヴェロナールがきき目をあらわした時分にそつと風呂場にはいつた。彼はまず外から声をかけたろう。これはヴェロナールのきき目がもし未だ現れておらぬといけないからだ。中から返事がない。そこでそつと戸をあけて見ると、ヴェロナールは全く効力を表わして初江は湯につかつたままぐつすりと眠つている。まさにチャンスだ。無論林田がはいつて行こうが誰がはいつて行こうが全く気のつかぬ状態である。ここでわがジョセフ・スミス・メード・イン・ジャパンはあの The Counsel the Crown のボドキン氏の論告にあつた通りのまねをする。いきなり初江の両脚を両手で引上げたのだ。事は一瞬にして決した。(風呂場の花嫁第八回参照)彼はそれから何くわぬ顔をして二階に上り、さつき云つたようなことをさだ子にしやべつたという次第。それから、ひろ子が初江の死体を発見して大騒ぎとなつた。小川君と林田が風呂場に行く。小川君が僕に電話をかけている間に林田はヴェロナールのパラフィン紙をかくして、健胃剤を流してそのパラフィン紙を浴場でひろつたと称して警察に出し、初江の着衣の中から残りの健胃剤を探し出したということになる。どうだね。これで、第三回の悲劇の説明はついたつもりだが……」
 藤枝はいささか得意の面持で一座を見渡した。
「ねえ君、あの日僕が君と一緒に君の家に行つたら『これで僕は今までの考え方を
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