の表現に就いて一瞥を与えて見る。さきにも云つた通りこの殺人交響楽の第一テーマが『恋する女性の心理を利用する』というものとすれば、第二の主題は『劇薬すりかえ』なんだ。第一の殺人で鮮かにこれが行われたが、林田は第三楽章でまた同じテーマのヴァリエーションを弾じている。予め心得ていてもらいたいのは林田のような男は常にその身辺に毒薬か劇薬をもつていたと考えていいということである。では彼は如何なるチャンスにこれを犠牲者にのますべきか。初江の胃がわるい、ということを知つてまず林田の心の中には犠牲者のあてがついた。勿論相手は秋川駿三以外の者ならば誰でもいい、駿三だけはできるだけ苦しめたいから、最後に殺すとして、他の家族は誰からやつつけてもいいのだが、ひろ子とさだ子を駿三の次には、あとに控えておきたい。というのは、この二人には出来るだけ嫌疑を蒙らしておかなければならぬ。見給え、その結果、彼の考えはまんまと図に当り、ひろ子はさだ子と伊達を疑い(ひろ子の推理の項参照)また警部はひろ子を疑つていた。(警部の論理の項参照)いや、彼らばかりではない、林田の創作は、もしこれが小説ならば、読者は恐らく、一応ひろ子、さだ子を疑つたに相違ないのだ。この点から云つても、初江が次の被害者になつた理由が理解出来る。そこでもとに戻つて殺人の順序をいうと、四時半に四人が戻つて来た。そこへ木沢氏がやつて来て、ポケットから散薬を取り出し、皆の前で――すなわち林田の面前で『じやこれを夕食前三十分にのんで下さい。夕食は六時ですか。じや、五時半位に一つのんで下さい』と云つた。(風呂場の花嫁第一回参照)これを林田はちやんときいていたのだ。つまり五時半に初江という人が木沢氏からもらつた薬を呑む、ということをよく心におぼえておいたに相違ない。ところで木沢氏が秋川邸を引取ると、同時に、林田が『ちよつと用があるんです、すぐ戻つて来ますよ』といつて一緒に出て行つた筈だそうですね。木沢さん」(風呂場の花嫁第一回参照)
今まで黙つてきいていた木沢氏はこの突然の質問にいささか面喰つたようだつたが、すぐ当時を思い出したと見え、はつきり答えた。
「そうでした。私がお邸を出ると一緒に林田さんも出て来ましたよ」
「どこまで一緒においででしたか」
「何、すぐ別れてしまつたんです。私はブラブラ歩いて帰りましたが、林田さんは流して来た円タクを掴えるとどこかに行きましたよ」
「さあそこだ。林田は一体どこへ行つたか」
藤枝はそういつて一座を見渡した。
「電話だ。電話のある所だ。なるべく人に聞かれないような工合にできている電話さ」
答えたのは検事だつた。
「そうだ。君の云う通りだ」
「藤枝君、今君に云われてやつと考えついたんだよ。林田はどこからか、里村千代に電話をかけて何か云わせたんだ。それでほら、初江に怪しい電話がかかつて来たわけだね」(風呂場の花嫁第一回参照)
「そうさ。その通り。五時二十分頃に、初江をよび出して彼女に次のように警告せよと云つたんだ。『木沢氏の薬をのんではいけない、危険だから。必ずのんではいけない』と。これは林田があとで検事や警部に話した通りだ。(警部の論理第三回参照)ここまでは林田はほんとうのことを云つてる。しかし彼が千代につけた智慧はこれだけではなかつたんだ。まだあとがある。『ひろ子さんの机の上に一包薬がおいてあるがあれをおのみなさい』と、これは一つの仮説だがたとえばこんな事を云つたのだろうよ。
13[#「13」は縦中横]
「そこで僕は、かねて林田の所持して懐中していた薬にはいろいろ種類があつたと考えるんだ。もし、初江が偶然にも、あの時風呂にはいらなかつたら、林田は第一の事件の如く今云つたような電話を利用して、初江に昇汞か何かを呑ませたろうと思う。ひろ子はずつと下にいたから、その間にそつと薬を机の上におけたに違いない。ところが、ひろ子と小川君がしやべり、さだ子は伊達と会つていたために、初江が偶然五時半、すなわち彼女が薬をのむ時間に、風呂にはいることになつたんだ。ここに於いて、林田はいかにも林田らしい方法を考えついた、彼はできるだけ派手に犯罪を行おうと決心した。初江はいよいよ風呂にはいることになつたが、この時不安なのでもう一度林田に相談した。この時林田は初江に『それは電話の忠告通りにした方がよろしい。そしてその薬は風呂の中ですぐのんだ方がいいでしよう』と云つたのだ。絶対に林田を信頼している初江はすぐこのトリックにひつかかつて、ひろ子の室においてあつたかどこにおいてあつたか知らぬがともかく、林田のもつて来たヴェロナールを風呂場にもつて行つてすぐ湯の中でのんだんだよ。これが五時半のこと。そこで僕は犯行はおそらく六時前後におこなわれたのだろうと思うのだ。というのは、ヴェロナールは風
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