た。
「木沢氏と警察へは今電話をかけた。君は早く藤枝君をよんでくれないか。ちよつとの病気ならとんで来るだろう。」
 私はそういわれて、林田と入れ交《ちが》いに廊下にとび出し、いそいで藤枝をよび出した。
 彼はまだ病床にいる筈だが、今はそんな事を云つている場合でない。私は無理に電話に出てもらつた。そうして今私が見た所を手短かに話した。電話口で藤枝のあわてた声がきこえる。
「何だ。ジョセフ・スミスじやないか! よし、俺はすぐ行く。しかし君はそれまでに風呂場をも一度出来るだけ調べてくれ給え。そして少しでも妙なものがあつたら、よくおぼえておくんだ」
 藤枝がいよいよやつて来る。これで私も一安心と再び風呂場にもどつたのである。
 このときは、急をきいて、伊達もさだ子も中にやつて来た。ひろ子はもはや回復したらしく、あおい顔をしたままやはり中にはいつて来て、とりあえず初江の死体を日本間にうつすことにきまつた。
 木沢医師が来るまで、林田が人工呼吸をやつてしきりと水をはかせているようだつたが、初江の様子は素人の私が見ても全く絶望の状態であつた。
 正確な時間をはつきり記憶していないけれども、初江の死体発見はひろ子がさつき、
「もう六時四十分ですわね」
 といつて庭から去つてから三、四分後のことだから、多分六時四十分から五十分の間であろうと思う。
 それから約十五分後に木沢氏がいそいであらわれて、応急の手当に全力を注いでいるようだつたが全く努力は報いられなかつた。
「溺死ですな。浴槽の中で溺死されたわけです。不思議な現象です。私は、はじめてですよ、こんな場合に遭遇したのは」
 この木沢医師は、ジョセフ・スミスの事件を知らないと見え、不思議そうな顔をしていた。
「風呂場の中で、エピレブシーをおこしたとすれば、こういう状態がおこるかも知れませんがね。しかしこのお嬢さんを私は大分長く診ていますが、今まで発作をおこしたような事はないんですがねえ」

      8

 既に一度ならず、しかして一人ならず、
「ジョセフ・スミス。風呂場の花嫁」
 という言葉を云つているので探偵小説、犯罪実話に興味をもたれる読者は、あああれか、とあの有名な事件を思い出しておられるだろう。しかし、私はジョセフ・スミス事件を少しも知らぬ方々の為に一応この事件にふれておこう。
 Joseph Smith は最近の英国の殺人鬼である。彼は僅かの日月の間に三人の女と順次結婚し、これに生命保険をつけ、遺言を認めさせておいて、無残にも風呂場で三人とも溺死させてしまつたのである。
 一九一五年の五月二十三日、スミスは、殺人犯人として公判に附せられた。それは第一の妻エリザベス・アニー・コンスタンス・マンディーを浴槽の中で殺したという嫌疑であつた。彼に対して公訴を提起した王冠法曹(The Counsel bor the Crown)はボドキン氏、そうしてスミスの為に弁論を行つたのは有名なエドワード・マーシャル・ホール卿(当時ミスター)で、裁判長はスクラトン氏であつた。
 被告人は徹頭徹尾殺人を否認した。しかし結局、陪審員[#「陪審員」は底本では「陪審院」]は有罪の答申をなし、被告人にはただちに死刑の判決が下り、彼は同年八月十三日刑場の露と消えたのである。
 この事件は、当時『風呂場の花嫁事件』として喧伝されたもので、大戦乱最中のヨーロッパに異常なセンセーションを与え、当時の我国の新聞にも二、三回紹介されたこともある。
 如何なる方法で彼は妻を殺したか。
 被告人が最後まで否認しつづけて死刑台上に登つてしまつたので正確なことは判らないが、ここに当時の王冠法曹(我国の検事に当る者)のオープニング・スピーチの一節を紹介することによつて大体知り得らるると思う。
「同月十三日フレンチ(被告人の家の主治医)は被告人からのノートを受け取つた。『早く来て下さい。妻が死にました』とそれには書いてあつた。彼の所に駆けつけたフレンチは、マンディーが浴槽の中に既に死んでいるのを見出した。彼女は仰向きに倒れていたが殆ど全身が水にひたつていた[#「彼女は仰向きに倒れていたが殆ど全身が水にひたつていた」に傍点]。口も顔も水の中に在り[#「口も顔も水の中に在り」に傍点]、両脛は臀部が直ちに突出し[#「両脛は臀部が直ちに突出し」に傍点]、ただ足の先だけが浴槽の端に出ていた[#「ただ足の先だけが浴槽の端に出ていた」に傍点]。(中略)被害者はよく発育して五フィート八インチの丈をもつていた。しかしてこのよく発育した女が両脚をのばしたまま浴槽の中で水に全く浸つていたのである。ここに甚だ簡単なしかも最も恐るべき殺人方法がある。これに依れば簡単に人を浴槽の中で溺らせることが出来るのだ。水のはいつている風呂は、人がはいつていれば無論、深くな
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