ないのですが、興奮の結果、あるいは自殺などという事が全くないとは云えません。私は昨夜おそくよばれて、余り眠れないからというので、抱水クロラールを作つたのです。大体、此のクロラール、ヒドラートという薬は余り感心出来ぬ睡眠薬なのですが、何分、今までヴェロナールだのヌマールだの大抵な薬を連続してのんでおられるので、中々他のものではきかぬのでね」
 木沢氏は、弁解がましく語つた。
「成程、御主人の容態はそんななんですか」
 藤枝は頻りにM・C・Cの煙をたてて暫く何か考えていたが、ふとまた口をひらいた。
「これはあるいは、御専門――多分内科でいらつしやると思いますが、それ以外にわたるかも知れませんけれど先生はこの秋川の家族のようすが少々変つているとお考えにはなりませんか」
「というと?」
「つまり何ですな。精神的方面でです」
「左様、おつしやる通り、私は精神病の方面は余りよく知らんですが、この御家族がやや、アブノルムな状態にあるという事は考えられますね。しかし……」
「しかし、それはこんな惨劇がつづいて起れば誰だつてそこの家族にノルマルな状態を期待する方が無理でしよう。それにしても令嬢方の様子は著しいコントラストを形作つているようですが……」
「そうです。女の方々で斯様なショックをうけておられるのですから、多少どうもヒステリーの気味はあります。ひろ子さんは、わりにしつかりしておられますけれども、やはり大変興奮しているようです。さだ子さんはその反対に大変陰鬱になつていますがやはり余程神経を悩ましていられるようです。令嬢の中では初江さんがまず今一番健康のようです。私はかなり前からこちらの方々を診ていますが、元来初江さんが一番身体もがつしりしていて丈夫そうです。しかし先生も云われた通り、こんな事件があればどんな家の者だつて通常の状態ではいられませんよ。ひろ子さんにせよ、さだ子さんにせよ、むしろちやんとしておられる方でしよう。――時に藤枝先生の方の犯人のお見込みは如何なのです」
「さあ、まあ、今の所全く判らないと申し上げるより外ありません。もつとも昨夜、一人怪しい男が捕まつた事はつかまりましたがね」
「昨夜の事件はともかく、十七日の夜のは多少私も関係しているので気になりますよ。何しろ私の処方した薬が昇汞になつていたんですからな」
 これから、木沢氏と藤枝はまだいろいろと語つて二十分程ひろ子の部屋にいたが、別にここに記さねばならぬような話はなかつた。

      9

 暫くすると木沢氏は立ち上つた。
「では、また御主人が目をさますといけませんから私はあちらに行つて来ます。ひろ子さんと代りましよう」
 木沢氏が出て行くと間もなくひろ子が戻つて来た。
「如何でした。お父様は?」
「は、もうちよつと前目をさましましたが大分おちついております。しかし」
 と云つてちよつと微笑しながら、
「警察や探偵の方々は頼りにならないつてこぼしておりましたわ」
「いや全く恐縮。一言もありませんよ。すつかり信用をおとしてしまいました」
「でも先生は、まだいいんでございますわ。林田先生には、父が自分で頼んで安心していたのにこんな事になつてしまつたと云つてぶつぶついつていますの」
「さて、私たちもそろそろ失礼しますかね」
「あら、まだいいじやございませんの」
 藤枝は、しかし七本目のM・C・Cを灰皿にすてると立ち上つた。
「成程、あなたは、文学、美術以外に犯罪小説に興味をおもちのようですね」
 といいながら本棚の前に行つたが、
「ここに、ジェス・テニスンの『殺人及びその動機』という本がありますが、およみでしたか」
 とひろ子の方をちよいとむきながらきいた。
「はあ」
「恐ろしい殺人犯人が書いてあるでしよう。確か、コンスタンス・ケントの事が書いてあつたと思うが……」
「ああ、あの少女の殺人鬼のことですか」
「そう。そうです、中々おそろしい女性がいますよ。上べは虫も殺さぬような顔をしていながらね。尤も、ここにいる小川君なんか、美人と見れば誰でも尊敬するたちですがね」
 彼はこう云いながら私の方をからかうようにあごでさした。私は赤くならざるを得なかつた、それにしても一体藤枝は何のためにこんな変な事を、美しいひろ子の前でいい出したのだろう。
「ほんとでございますわ。外面如菩薩《げめんによぼさつ》内心如夜叉《ないしんによやしや》と申しますからね。きれいなやさしそうな女ほど恐ろしうございますわね。ほほほほ」
 ひろ子は、美しい目をみはつて笑つた。
「ではまた、明日にもうかがいましよう。お父様が来てはいけないとおつしやれば仕方ありませんが」
「あら、そんな事ございませんのよ。父はただ、警察も探偵もたよりにならないと云うだけで決して先生方をお断りする気ではございませんの」
「じやまた明
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