ひろ子のはからいで靴が表玄関に廻つていたので私達は玄関の方に行つた。
 林田も帰るつもりと見えてついて来た。ひろ子は送つて来ながら、自動車を呼ぼうと云うのを、林田も藤枝も辞退した。
 靴をはく時、藤枝が思い出したように、ひろ子を呼んできいた。
「あのピヤノの部屋ですがね。あそこのブラインドをいつ誰がしめたか、きいておいていただきたいのですが……」
「あのブラインド? いけませんでしたの? あれは私がさつきしめましたのよ。皆さんがたが外でいろいろ調べていらつしやる間に……」
「あ、そうですか。いやいけないというんじやないのですよ。その時ヴィクトローラに手をふれられたでしようか」
「いいえ、私窓だけしめてすぐ外に出てしまいましたの。何かどうかしておりますの?」
「いえそうじやありません。つまり駿太郎さんがレコードをかけつぱなしにしたままになつてるんですね」
 林田は靴をはき終つて一足先にさつさと行つてしまつた。
「はい、私そう思います」
「それから裏口にたくさんスリッパがあるでしよう。あの中に裏に土のついたのが一足ありますから誰にも云わずに別にしておいて下さい」

      4

「はい、それはあの今しがた林田先生からもそう申されましたのでちやんと別にしておきました」
「へへえ?」
 これには藤枝も驚いたらしい。藤枝が内心得意になつていた発見を競争者たる林田はもうちやんと知つているのだ、しかも藤枝より一歩を先んじてひろ子に注意を与えている。
 藤枝はそれきり何も云わずに、秋川邸を出た。
「驚いたね。林田という男は成程ききしにまさる探偵だよ」
 しかし藤枝はさつきの草笛の一件からまだ私に対して気を悪くしていると見え何も云わなかつた。
「しかし先生のカイゼル髯はちとおかしいね。あの男は変装なんかしないのかしら……」
「おい、何を云つてるんだ。あれが附髯なのに気がつかないのかい。警察の人達なんか皆よく知つているぜ。敵を欺く手段とおぼえたりさ。事件の現場へはいつもあのカイゼル髯で現れ給うんだよ。だから君はじめ秋川家の人達もほんとのひげだと思つてるんだろう。もつともあれがないと先生鼻の下が馬鹿に長いからこの頃は平生でもあれをつけてるつて話さ。ははははは」
 ともかくやつと藤枝のご機嫌がなおりかけて来たのは何よりだ。林田のカイゼルひげも飛んだ所にお役に立つたつていうわけである。
 秋川邸の門を出ると藤枝は右に曲つて歩き出した。この家をはじめて訪問した時帰りは円タクを捕まえて乗つたのだが、二日目からいつも秋川家に出入りしている泉タクシーというガレーヂから車に乗ることにしていた。
 泉タクシーの前で藤枝は暫くそこの主人と話していたが、そのうち一人の運転手が出て来て藤枝に挨拶した。
「あ、君かい、じやあの日の通りに行つてくれ給え」
 こういうと彼は、傍にスマートな形をして乗客を待つているハドスン・セダンのドアを開けた。私もつづいて乗り込んだ。
 私は車がどこへ行くのかしらんと怪しんでいると、自動車は牛込の高台から外濠へまわり、四谷見附を通ると坂を下つて一散に赤坂に向つて走つてゆく。
 赤坂見附から溜池の方に更に走つたが、電車の停車場と停車場の間でピタリと止つた。
「いやご苦労様」
 二人は下りた。車を返してしまうと藤枝は少し進んで左手の敷島ガレーヂというのにはいつてそこでまた何か云つていたが、やがて私をさし招くので行くと彼はクライスラーのクションに既に腰かけている。私は驚いておくれじとあとからつづいて乗り込んだ。
 車は溜池から虎の門に出てそれから右に曲ると南佐久間町の通りをつつきりいつのまにか銀座の裏通りへと出た。
 事務所の前に来ると彼は車をとめさせて下りた。賃銀を払つて、合鍵を出してドアをあけスイッチをひねるとまず一息というので机の前に腰かけてスリーキャッスルをすいはじめた。
「一体こりやどうしたつてわけなんだい」
「君が尊敬するわが美《うるわ》しの依頼人秋川ひろ子嬢が十七日の日私を訪問した足取りさ」
「へえ。じや途中で乗りかえたんだね」
「乗りかえだけは大出来さ。さすが探偵小説愛読者だけのことはある。あれでしかし誰からもトレースされないと思つてるから彼女は愛すべきかなだよ。自分の家へ出入りの車に乗つてあそこまで来るなんてなんというノンセンスだ。それにあんな所でまたガレーヂの車にのりかえるとは。さすが大家のお嬢さんだけのことはあるよ」
「どうして君はそれを知つたんだい」

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「そんなことはわけはないさ。一体もつと早く判るはずだつたんだ。一昨日からあのガレーヂで聞いてたんだが、今の運転手がいつも出ていたのできけなかつた。十七日の午後ひろ子があれに乗つて溜池まで来たというのだ。そこで溜池で今きいて見ると十七日か十八日かおぼえぬけ
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