まれて出来たものと推定される。死の時間は殆ど駿太郎と同じ。ただしいずれが先に殺されたかは明らかでない。
(五)邸の東南の隅に大きな桜の木があつて塀の所に出ている。犯人は塀外よりよじて庭に下り兇行後、再びもとの道から出て行つたらしく塀の外側に、素足のつまさきについていたらしい土が附着していた。又桜の幹にも足の指の土が残されていた。
(六)なおやす子[#「やす子」に傍点]は下駄をはいたまま仆れていた。
 (この下駄は彼女自身の品であることが後に判つた。)
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   藤枝の観察

      1

 細かい点を除いて大点判つた所は右の様なものであつた。
 秋川家の南側の石塀を乗り越えて侵入し更にそこから脱出した者のある証拠があるので現場臨検後警察官の一隊はただちにその方面の捜索に取りかかつた。機敏なる警察当局は、殺人事件行わるときいてただちに非常線を張つたこと、既に先の巡査の言葉によつても判るのだがいよいよ侵入者の形跡を見ては捜査は一層厳重に、かつ敏活に行われはじめたことだろう。
 更に被害者佐田やす子の素性、従来の知人関係を調べるために八方に警察隊が飛んだ。やす子は読者の既に知れる如く、秋川家に来てからやつと十日にしかならない、それまでどこにどうしていたか桂庵の手を通じて来たので一向に判つていない。
 これは、あれ程物事を警戒[#「警戒」は底本では「警械」]している秋川駿三の雇い入れ方としては、いささかおかしいけれど、雇人に関して駿三は、万事徳子夫人にまかせ、それを信戒[#「信戒」はママ]していたという話だから、やす子も徳子の気に入つて使われるようになつたものと見える。
 一方、兇行当時の秋川家の人々の行動も一応警察官達によつて取り調べられた。この点に関しては、藤枝、林田及び私は参考人の立場に立つて、いちいち説明し得べきことを立証した。その結果はさきに藤枝、林田の会話に表わされた如く家族中一人も屋外に出たと思われる者はないことになつた。
 雇人に就いても三人の女中はずつと女中部屋にいたし、笹田執事はわれわれがピヤノの部屋に行つている間高橋警部から二、三の質問を受ける為ちよつと応接間に顔を出し更にわれわれが走り出した時は、高橋警部及び藤枝によつて、その部屋から出て来た所が見られているから、この老人も外に出たとは思われないことになる。
 秋川家に密接な関係をもつ者の中で、その当時の自己の行動につき立証するのに最も困難だつたのは伊達正男であつた。
 彼はちようど私達が秋川家に着くちよつと前に裏口から辞し去つたのである。しかるに暫く経つてから、二階のさだ子の部屋の前にその姿をあらわした。これは本人も認めているらしく林田もさだ子もそう云つている。
 ところでそれからの行動は誰にも判らない。本人の云う所に従えば、彼は林田に、直ぐ家に帰るように云われてから従順にその言に従い、再び裏口からぶらぶらと歩きながら自分の家に帰つた。
 そうして自分の家で紋付を取つて制服に着かえようとしている所へ、女中が事件を報告に来たというのである。
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(後に当局者の調べた所によると秋川家の裏門から彼の云つた程度のぶらぶら歩きで伊達の家に行くには約十分かかる。だから彼の供述が偽りである、とは云えない。けれども、これは伊達の歩調がぶらぶら歩きである、という仮説のもとにおいてのみ認められることで、この近距離を青年が、ことにラクビーの選手である彼が疾風の如くに走つたならば三分で行き得た筈である。従つて残りの五、六分の間に彼は何をやつたか判らないことになる)
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 ことに伊達の為に不利だつたのは平生雇つている婆さんがちようどその時うちにいなかつた事で、彼がまつすぐに平生と少しも変つたことなく帰宅したといふ事実を立証する者が一人もなかつたのである。
 伊達に対する警部の訊問はかなり厳しいものだつた。
 従来あらゆる悲しみと苦悩とを無言でかみしめて堪えて来たらしい可憐なさだ子がついにたまりかねて、
「皆さんは伊達さんを疑つてらつしやるのでしようか……」
 と林田に嘆願するようにたずねた位であつた。

      2

 ちようどその時さだ子のすぐそばに藤枝がおり次に私がいたのだから藤枝か私にこうきいてもいい筈なんだが、さだ子はわれわれよりも林田の方を信用しているものと見える。
 もつとも、藤枝や私は、彼女にはじめから好意をもつていないらしいひろ子に頼まれてここに来ているのだからそれも不思議はないけれど。
 林田もさすがにはつきりした事はいいかねて、何やら口の中でしきりに云いながらさだ子を慰撫《いぶ》していた。
 警察や本庁の人達の調べは約二時間余にもわたつて漸く一先ず打ち切りと云うことになつた。あとは裁判所から予
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