われわれが二つの死体を発見したのは丁度四月二十日の午後八時五十分頃のことだ。
 私は、藤枝、林田と共に佐田やす子の死体のかたわらに立つていた際シガレットの火をつけようとしてライターをつけたがその時、左手にはめていた腕時計を見たが、ちようど八時五十二分を指していた。
 それから約七分たつてから、警察から刑事数名と野原医師がかけつけた。一方事件は警視庁に報告されたと見え、二十分ほど経つてから沢崎捜査課長、田中技師及び刑事が現場に登場するに至つたのである。
 月のないこの夜、まつくらな木立の中を、電燈、提灯をともした制服の警察官等が二つの死体をとりまいて右左に動く様は筆につくせぬ異様な恐ろしさを人々に与えた。
 読者の知れる如く、駿太郎、やす子の二人はたつた今七、八分前まで現にわれわれと話をしていたのである。殺人鬼はいよいよその本性を表わしはじめた。僅かちよつとの間に二人の生命を! しかもかくむごたらしく! 夢ではない。事実である。

      4

 現場に当局者が登場して活動しはじめた以上、多少遠慮した方がいいと考えたのか、あるいは外に思う所があつたか、藤枝は急に私を促して、
「君、うちに上つて結果を待つとしようじやないか」
 と、木蔭を出て歩き出した。
「そうだ、僕も主人を慰問してやらなくちやいかん」
 俺だつてお前のあとに残つて種を拾うようなケチなことはしないぞというつもりか林田も木立の間からふらふらと出かけ、母屋の方に池の側を通りながら例のガラス戸の入口の方に向つた。
「ねえ、小川、僕はまだこの家のたてかたを充分研究してないんだ。裏口にまわつて見ようじやないか」
 藤枝が不意に云うので私は同意の旨を顔でしらせると、藤枝は池の方に行かず、ずつと東の方(やす子の死体のあつた地点すなわちBよりももつと東の側)に向つて歩きはじめた。
 まるで林田と藤枝は子供の喧嘩をしているようなものだ。お前がまつすぐに行くなら、俺は廻るぞと[#「廻るぞと」は底本では「廻るぞど」]藤枝が林田に云わんばかりである。
 林田は、どうぞご自由に、と云つた風で、すまして、ガラス戸の入口から家の中にはいつてしまつた。
 死体のあつた茂みから母屋を見ると、実に立派な洋館が東西に横たわつているのが見える。左が玄関で右端が女中部屋である。母屋と女中達がいる所との間にはちよつとした廊下があつてその渡り廊下(図には細くなつて表れている)が母屋につづく所に庭に通う出口が一つある。
 それを左手に見ながら東側の塀に沿うて歩いて行くと立派な裏門に来た。
 不意に闇の中から人が現れて電光をわれわれに浴びせたがすぐ親しげな声が聞えた。
「おや藤枝さんですか」
 それは制服に身を固めた巡査だつた。
「殺人事件が起つちまつてからお邸検分と出かけました。あなたはここで警戒ですか」
「はあ、今ちよつと内外の交通を遮断しております。牛込区内には全部非常線が張られていますから、大抵今夜中にも捕まるでしよう」
 それから二人は私に全く判らぬ暗合か符牒みたいなもので暫く話していた。
 (これは、警察官や犯人達の間に用いられる隠語だと後に藤枝は私に説明してくれた)
「いやどうも御苦労様です」
 藤枝はやがてこういいながらその巡査に別れ、裏門を右手に見廻しながら今度は北側の塀の所まで歩いた。それから暫く外から内のようすを見ていたけれども、別に変つたこともないらしく、再び裏門を左に見て戻り、例の渡り廊下の入口から母屋に上ろうとしたのである。
 藤枝は靴を脱ぎつつ私の方に向つて、
「君これから右手が台所と女中部屋らしいね。こつちには別に異状はないらしい。じや僕等も主人公を慰問するとしようか」
 と云つたが私は彼より早く、母屋の廊下に飛上つてしまつた。そこには、スリッパが無暗にたくさんぬぎ捨ててあつた。
「おやおや、昼間のお客さんがぬぎすてたまんまかい。表玄関を遠慮した連中の為に此の家で出したんだな。一つ拝借するとしよう」
 藤枝がこんな事を云いながら後から上つて来た。
 その時ほんの偶然から、彼は右足をスリッパにつつかけそこねてよろよろとすると同時に、そのスリッパを横の方にはねとばしてしまつた。
 彼はそれで他のスリッパをはいたが、ふとはねとばされたスリッパを見て、独り言を云つた。
「おや、こりやおかしい」

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「どうしたんだい」
「いや、何でもないが、一寸このスリッパを見給え、裏にひどく土がついてるじやないか」
 こういうと彼は今度は夢中になつて十五、六もおいてあるスリッパを片つ端から調べて居たが、やがて私に向つて命令するようにこう云つた。
「おい君、そのスリッパをぬいで見せろよ」
 私がいわれるままに両方ぬぐと彼はその時私が左足にはいたスリッパを調べていたが。
「ほら見給え。
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