ながら一生懸命に前をにらみながらかまわず二、三歩闇の方に進んだ。
その時、さつきのピヤノの部屋に降りているガラス戸の所にひろ子の姿が現れた。
「ひろ子! 早く! 私の部屋から懐中電燈をもつて来てくれ!」
駿三がどなつた。ひろ子はすぐに姿を消した。
惨死体
1
ひろ子が姿を消してからまた現れるまで(それは実に二分もかからぬ間であつたが)藤枝は、一年も十年も待つていなければならぬような顔をしていた。平生に似ず異常に緊張した目つきはただならぬ不安を示している。
警部も待ちかねたと見えて飛鳥の如くに走つて行つて今ひろ子が姿を表わした入口までゆきついた。
ほどなくひろ子が下りて来ると、警部はもぎとるように懐中電燈をとつて戻つて来た。
「さ、何でもいい、南の方、奥のほうへ行つて見るんだ。あの森みたいになつている所、あつちへ……」
藤枝は夢中になつて先へ歩き出した。
そこで私は一応この家と庭の位置をはつきり記しておく心要を感じる、でないとこれから私の記するところが読者にはつきりしないかも知れないから。
ここに表わしたのは私がほんの心覚えにノートにとつておいたもので無論正確な図ではない。
ことに、土地のスペースと建物のそれとの比率が甚だいいかげんなものなのだが大体こういう土地にこういう風に家が建ててあると思つていただけばよい、土地はあとできくと二千坪以上のものだから、図面では家屋に比してもつとずつと大きくなるわけだけれど見易い為に上の如く記した。
[#家屋と庭の配置図(fig1799_02.png)入る]
すなわち[#「 すなわち」は底本では「すなわち」]われわれは玄関を出て、点線の示す方向に進み木戸をあけて庭にとびこんだのである。
藤枝が奥の方と云つたのは、南の方の事でABという方向に森のように木がしげつているのだ。(ABが何を表わすか、それはすぐ後で判る)
距離の観念にうとい私には、木戸から南へむけてわれらがどの位進んだかはつきり記することが出来ないが、何でもおよそ現今《いま》の家の庭の中では、ずいぶん進んだという感じだけはたしかにした。
警部がパッと照らしている電燈の光が森のような茂みのはしの方に何か白い物を浮び出させた時、さすが鈍感の私も思わずはつとした。
「おい、あそこだ。あそこだ。間にあうだろう」
藤枝はこういうとその白い物体の方に飛ぶように走つて行つた。つづいて警部がおくれじと走る。私と駿三とはややおくれてかけつけたが、私ははじめて白い物に近づいて思わず、
「こりやひどい!」
と叫んだのである。
さつきまであんなに元気だつた駿太郎がここに、見るも無惨な死体となつているではないか。しかもなみたいていの死にざまではないのだ。
からだは全くすつぱだかである。
両足を開いてこちらに向けて仰向きに倒れているのだが、あしの下に着物がくちやくちやに敷かれている。両腕は背にまわされ、多分しめていた兵児帯で後手《うしろで》に緊縛《きんばく》されているのだろう、その端がいんこう部に二まわりばかり堅くくくられている。
きれいな顔の上半分が血まみれになつているのは傷でも受けたものであろうか。
更に奇怪なのは、猿股がひきちぎられてすてられ更にうすいメリヤスシャツがむちやくちやにむしつてあつて右に述べた通り、身体が全くむき出しになつていることだ。
私が叫んだと同時に後で、うんという異様な声がきこえた。ふりかえつて見ると駿三がふらふらと倒れかかつて来る。
「いかん。我が子のこんな有様を見せちや駄目だ。脳貧血だよ。君早くかついで行つて介抱してくれ。それからすぐ警察へ……」
「警察は僕がやる。小川さんはすぐ秋川さんをつれて行つて、それから林田君をよんでくれ給え」
高橋警部がこう云つて木戸の方へとんで行つた。
私は駿三を介抱しながらガラス戸の入口に向つた。
2
私がガラス戸の入口へ向つて進んで来るとひろ子が下駄をはいてこつちへ来ようとする所だつた。
「ひろ子さん、お父様がちよつと脳貧血を起したんですよ」
「まあ」
彼女はこう云つてかけよつたが、駿三ももう回復しかけたらしく、多少歩けそうなので私はひろ子に駿三を托した。
ひろ子は不安なまなざし[#「まなざし」は底本では「まざし」]で
「あの、何か起りましたの、弟がどうか……」
どうせまもなく判る事だけれど、彼女に今真相をつげる手はないと思つたから私はそれには答えず、
「林田君はどこにいます」
ときいたがちようど此の時、二階のさだ子の部屋にいる林田が騒ぎに驚いて窓から首を出したものと見え、
「おおい、林田君、すぐここへ来いよ」
「何だ。よし、すぐ行くよ」
という、一方は庭から、一方は二階からの藤枝と林田の問答がきこえたので
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