藤枝の方に助けを求めるようなまなざしを送つた。様子をみた私は、立ち上るといきなりドアの方にかけ出して、
「いいですよ。僕が行つて止めて来ます」
「ああ小川君、君行つて駿太郎君にそう云つてくれよ」
藤枝にこういわれると、私は駿三がしきりに何か云うのもかまわず一人で部屋をとび出してさつきのピヤノの部屋にいそいだ。
ノックをすると同時に私はドアをあけたが、これは意外、部屋の中には誰もおらず、ヴィクトローラ一人相変らずいい音をさせているではないか。
私はとりあえず、ヴィクトローラの所へ走り寄つていそいで蓋をあけた。丁度その時レコードはショパン独特のあの婉麗極まりなきトリオの部分を奏ではじめている所だつたが、私はいそいでアームをあげてそれから廻転を止め、そのまままた応接間に戻つた。
(後に詳しく調べて判つたことだがこの時、駿太郎がかけ放しにしていたレコードはヴィクター版で Ignace Jan Paderewski の演奏にかかる Funeral March(Chopin op.35)で私がとめた所は丁度トリオのはじめの部分、藤枝があとで親しく実験した所では、正規の廻転で、はじめからここまで約一分二十秒の時間を要することが判つた)
「どうも恐れ入りました」
と駿三がほんとに恐縮したように私に云う。
「いや……しかし駿太郎君はいませんでしたよ、あの部屋には」
「何、駿太郎君がいない? レコードをかけつ放しにしたままか」
驚いて云つたのは藤枝だつた。
「はばかりにでも行つたんでしよう」
ひろ子が何でもないようにそう云つた。
「変です。おかしいです。駿太郎君を見て来て下さい。小川君、君も一緒に行つてくれ」
藤枝は、ひどくあわててひろ子と私をうながした。
7
ひろ子と私は急いで、廊下に出た。念の為にもう一度ピヤノの部屋を見たがやはり駿太郎の姿は見えない。はばかりの外から声をかけたが返事がない。階段の中途まで上つて二人で駿太郎の名をよんだけれども、これも無駄だつた。二階にもいないと見える。
ひろ子は私の先に立つて階段を下りすぐ左に曲つた。つづいてあとから行つて見るとピアノの部屋のすぐ隣、すなわちピヤノのおいてある側の壁の裏側に突出た廊下があつてそこに硝子戸があつてそこから庭に出られるようになつている。
「おや、戸があいている、それにこんな所にスリッパがありますわ」
ひろ子はその半ば開かれた戸の下にぬぎ捨ててあるスリッパを指した。
「あら、庭下駄がない! じやきつと庭に出たのかも知れませんわ」
早口に云つた。
「ともかく藤枝君にいいましよう」
私にはこの場合たいした智慧も浮ばなかつたので、急いでひろ子と共に応接間に戻つて来た。
藤枝は非常に何か心配な様子で私達が戻るとすぐ立ち上つた。
「おい、見えなかつたかい」
「うん、便所にも二階にもいないらしい」
私がこういうと傍からひろ子がひき取つて答えた。
「あの、庭に出たんじやないかと思われますの。廊下にスリッパがぬいであるし、庭下駄も見えませんので……」
藤枝は何も云わずいきなり高橋警部の肩をつかんだ。
「高橋さん、もしかするとこりや大変な事になる。すぐ庭へ出ましよう。一刻も早く!」
彼はこういうと驚く警部や駿三や私を残して玄関へ飛び出した。
彼のこのあわて方が尋常でないので警部も駿三も余程驚いたらしく、ことに警部はさすがに、瞬間に藤枝の気持を察したと見え、すぐに玄関へ出て靴をつつかけた。私も、二人におくれじと玄関へ出て自分の靴をつつかけたまま、藤枝と警部につづいた。
玄関を出てすぐ左に折れ、今いた応接間の窓の下を通ると木戸がある。これをあけると庭である。
藤枝も警部も私も、木戸をあけた途端、はたと当惑せざるを得なかつた。というのはここから左手にさつきのピヤノの部屋の中がすぐ見えるのだが反対に右側すなわち庭の方は、文字通り真暗で一体どこをどう行くとどこに出るのだかさつぱり判らない。
(あれだけ用心していた筈の駿三がこんな広い庭、しかも、奥には鬱蒼たる森をひかえた庭に一つも電燈をおかないとはどうしてだろう。後できくと駿三も無論ここに気がついていたのだそうだが、種々な説があつて、暗い方が安全だという人もあり、明るいほうが安全だという人もあつて結局彼は暗くしておくことにきめたそうだ。いざという場合自分が闇にまぎれて避難する気だつたのだろうか。ともかくこの事件の結果から考えると家の周囲に燈がついている方が危険が少いに違いないと私は思つている)
「こいつはしまつた。こんなに暗いとは知らなかつた。誰か懐中電燈を……」
藤枝がこう云つた時すぐ後から駿三が追つて来た。
「懐中電燈? 私の部屋にあります」
「秋川さん、すぐ、すぐ取つて来て下さい」
藤枝はこういい
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